2006-05-09

社会の半分は、嘘で出来ています。

半分。いやもっと多いかもしれない。
人間の社会は、嘘まみれである。
 
嘘といっても、いろいろある。まず、故意の嘘と過失の嘘がある。
 
過失の嘘。これは無知故に、真実と違うことを伝えてしまう嘘のことである。
例えば。小学生の頃、「コーラを飲むと骨が溶ける」と言われて信じ、そのまま友人に言いふらしたような経験。誰にでもあるものだ。
タチの悪いものであっても、罪には問えないだろう。
また、対策もまた簡単だ。勉強することである。人は神ではないから無くなる事はないが、なくす努力を続けてきたからこそ今の繁栄がある。
 
故意の嘘に説明の必要はあるまい。つこうと思ってついた嘘のことだ。
これにもいろいろある。大きく分けて、善意の嘘と悪意の嘘。
 
善意の嘘は、相手が真実を知って傷つくことを避けるために行われるものだ。
例えば。離婚した母が子に「お父さんは天国に召されたのよ」と言い聞かせる。尊敬すべき存在である父親が、まさか女と逃げた等とは言えまい。良かれと思いついた嘘だ。
だが、子にとってみれば真実と違うことを教えられたことが、後に傷となるかもしれない。いずれ、伝える側の独善の面はある。
相手のためを思うことは、難しい。
 
悪意の嘘。我に利あらんとてつく嘘である。最も忌むべきものであり、重罪だ。
だが、一番多い。間違いなく一番多い。人間は誰でも自分が一番大事なものだ。
 
故意の嘘に、どう対処すべきか。
全ての人を疑う。一案である。人は誰でも半分嘘だと思えば、慎重になる。
だが、半分の真実までも疑ってしまう。故に、損することもあるかも知れない。
無関心である。一案である。スナフキンの生き方だ。自分の目で見た物しか信じない。
だが、人の知見を生かせないのはやはり損な生き方であろう。
ではどうしようか。
できれば、悪意の嘘だけを見抜きたい。それが得な方法だ。善意の嘘は、信じれば知らぬが仏である。
すべてを、素直に信じてみる。騙されてみる。
騙されて騙されて、騙されるうちに、悪意ある人間の所作がわかりはじめる。
素直な気持ちで発せられる言葉と、悪意によるものとは、やはり違うものだ。
騙されて騙されて、人は強くなるのだ。
 
要は、勉強するしかないということだよ、君。

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