2006-08-11

墓参り


日本人は、無宗教だと思っている人が多い。
確かに、正月には神社へ初詣に行き、盆・彼岸には仏式の墓へ弔いに訪れ、バレンタインだクリスマスだと大喜びする。七五三を祭ったことがない人はごく少数だろうし、永遠の愛を誓う神はキリストの父親が多数派である。
およそ、節操がない。
私は、昔からそこが疑問だった。
海外の人から見たら、日本人ほど画一的な民族も少ないらしい。であれば、本来基盤になる思想がかなり共通しているはずなのだ。
大学の専攻はそのあたりを選んだ。曰く、『日本人の道徳』。
ある程度の研究はしたのだが、自分で納得できるほどの結論が得られず、論文はお茶を濁した。
ほぼ頭の中だけで巡らせた妄想に近かった大学時代に比べると、社会に出て様々な人と接する機会を得た今なら、もうすこしマシなものが書ける気がする。

日本人にとって、一番宗教心をおこされるもの。何だかよくわからない畏怖を感じ、神妙になるもの。
それは、多分墓参りである。
めんどくさい、行かない、なんて言ってる奴に限って、墓前で手を合わせるときには神妙な面持ちをしているものである。
葬式や法事では、近すぎる。人々が想うのはあくまで生前の面影だ。そこに、何だかよくわからないものは感じない。極めて、わかりやすい。
墓。よく知っているじいちゃんばあちゃんに加え、何だかよくしらん親戚先祖まで一緒に眠っている墓。
そこに向かう時こそ、日本人の心象の原風景が顕れる、ように思う。
誰が、じゃ、ないんだ。日本人は、個人の意思では動かされない。第二次世界大戦時、日本のファシズムの原動力となったのはヒットラーでもムッソリーニでもなく、『軍部』という集団だった。
日本では一神教はまず受け入れられない。受け入れた人はオカルト扱いである。未だにキリスト教徒はそういう目で見られてしまう。
キリストだろうが釈迦だろうがアラーだろうが孔子だろうが大黒様だろうが、日本人にしてみればいっしょくたなのだ。
えらいかみさま。そして、良さそうな所を抽出して悦に入っている。
墓参りも、同じだ。一人だとせいぜい安らかにお休みくださいぐらいしか考えないものが、集団であるためにいつもありがとうございます、なんて祈ってたりする。
それがいいとも悪いとも思わない。それが、日本人なのだ。
そして、孤高を装いたがる私もまた。その日本人に他ならない。

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