2007-06-04

6月3日。10時半。常盤公園。

翌朝。朝方は春霞みに包まれていたが、程なく昨日に続き、快晴。
気もそぞろである。人の話なんて、何にも聞いちゃいない。夕べひどい目に遭わされた張本人だけは、心ゆくまでからかったが。
用件を手短に済ませ、予定通りに逃げ出した。
まずはもう一度、常盤公園。午前中に行かなければ。行きたい所は、山ほどある。時間が無いのだ。
6月3日。10時半。真夏より高く上った太陽が、真上から照りつける。暑い。
しかし、公園で木陰に入れば、まだ空気は冷たいことを思い出させてくれる。
真夏は連日30℃を超える旭川だが、不思議とこの公園で暑い思いをした記憶は無い。噴水や小川、木々たちのマイナスイオンのお陰だろうか。
着くまでの急ぎ足で汗まみれだったことも、いつの間にか忘れてしまった。
西側の林床には、野菊が一面に白く咲き誇っていた。
野菊の仲間というのは、とてつもなく種類が多い。タンポポやマリーゴールドも、分類では野菊の仲間らしい。私の悪い頭ではそうそう覚えきれないし、見分けもつかない。
だから私は、まとめて「野菊」と呼んでしまうことにしている。間違いではなかろう。
白いじゅうたんに、緑みがかった緑陰が落ちる。涼しい。
やはり、北海道は6月が一番いい。
西の小さい池では、蓮も咲き始めていた。
あと1・2週間もすれば見頃になるだろう。
蓮は、午前中しか見られない。やっぱり早めに来て良かった。



ツツジ。チューリップ。藤。それに、先ほどの野菊と蓮。梅もまだ少し残っていたし、ライラックやナナカマド、リンゴの花も咲いていた。
冬の寒さが長く尾を引いた後、一気に北海道でも一番暑い地方になる旭川は、北海道全体の特徴としてよく語られるそれ以上に、様々な植物の花期が重なる。いっぺんに我こそはと咲き乱れる。
今しかないんだ、という叫び声が聞こえてくるようだ。
華やかな中に、儚さ、趣きを見る。そんな日本的美感覚が、この公園ではよく生かされている。
パンジーだのペチュニアだの、あんな派手すぎる上に年中咲いてる花は、日本には似合わない。
年中咲いてる桜の木なんて、全く価値は無いだろうし、誰一人花見で宴会などしないだろう。
日本には日本の美しさがある。それを忘れちゃいけない。
藤棚の向こうに、例の売店がある。
あるはずが無い。わかっていても、少しドキドキした。
ふと見たのぼりに、一瞬心臓が凍りつく思いをしたが。
よく見てみる。「カレーイス」そりゃそうだ。もしあるとしたって、冷蔵ケースの隅っこにある「カレーイス」のためだけにのぼりは立てないだろう。
わかってるんだよ。わかってるんだが、この売店のカレーライスに全く興味が無い私にしたら、カレーアイスに思い出がある私にしたら。のぼりがありそうなのはアイスのほうなのだ。
隅々まで確認したが、やっぱり無かった。ガリガリクンやモナカが並んでいるだけだった。
それにしても、この売店は20年前とまるで変わっていなかった。置いている駄菓子の類まで変わっていない。
きっとカレーアイスも、もう作っていないから置いていない、それだけなのだ。もし作っていたら絶対置いてあったろう。そう思わせる要素に満ち満ちていた。
製造元め。覚えてろよ。
どこだかもわからん製造元への恨みによって、私は郷愁の喪失感をごまかしていたらしい。

千鳥が池をぐるりと回る。景色がぐるぐる変わる。飽きない。美しい。
そして、ゴミが全く無い。他のこの規模の公園なら、すぐコンビニ袋一杯のゴミが見つかるだろうに。吸殻一つ見当たらない。
観光客の来ない公園のいいところは、そんなところにもある。
誰だって、自分にとって大切な場所にはゴミなんか捨てない。
旭川の人々は、みんなこの公園が好きなのだ。

広場では、お祭りに向けて見世物小屋の準備が始まっていた。
「ワールドオートバイサーカス」向かいには「ビックリハウス」と「地獄の4丁目」
流石だ。この街の祭りには、古き良きいかがわしさが、しっかりと息づいている。
テキヤ追放が各地で叫ばれて久しいが。あれ以来の夜店のなんとつまらないことか。
カタヌキのオヤジにイカサマされて、子供は大人の社会を知るのだ。
やっぱりこの街はいい。この街のよさが、この場所には凝縮されている。
 
動物園行って、ラーメン食べて。それで終わりでは、旭川は語れない。
のんびり常盤公園で日向ぼっこして。夕涼みして。それから帰ったって、遅くはないですよ。観光客の皆さん。
ただし、ゴミだけは必ず持って帰ってね。
 
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