2007-06-20

地球にやさしい?

耳障りの良いキャッチフレーズには、大抵嘘が含まれている。
爽やかテイスティなんていう清涼飲料水の後味はベタベタして決して爽やかではないし、エロカワイイなどと言われるアイドル歌手は見れば見るほど醜い表情をしていて全くカワイくない。
誰でも使っていて、誰も問題にしない、当然目指すべきことのように誰もが考えている「地球にやさしく」なんてキャッチフレーズにも、大きな嘘が隠れている。
 
実は、去年の秋にこの件について書こうとして、何日かかけて書いていたのを消して、やや別のものに書き直したことがある。
そうこうするうちに、先に言われてしまった。やっぱりあの人にだけは、敵わない所がある。
ザ・クロマニヨンズの、『土星にやさしく』である。
 

ゴリラ住むアマゾンの
ジャングルを あげる
深呼吸する 土星 土星

当たり前のことだが。土星は、深呼吸なんか、しない。ゴリラをかわいがったりもしない。
太平洋をあげようと、ミトコンドリアをあげようと、土星には痛くも痒くもない。
ナンセンス。そう、ナンセンスだ。じゃあ、地球は?
愛は地球を救うのか?地球と土星は何が違う?
 
大気中のCO2濃度が何%になろうが、それによって平均気温が何度上がろうが、石油資源が枯渇しようが。
砂漠化がどれだけ進もうが、陸上に一滴も雨が降らなくなり、淡水が無くなろうが、海そのものが無くなろうが。
何万、何億種類の生物が絶滅しようが、何兆の命が奪われようが。
地球にとっては、知ったこっちゃない。
生き物が生きているガイアなんて、地球の全体積から見たらタマゴのカラみたいなもんなのだから。
地球に優しく、と言われる内容は、ほぼ全部、地球にとってはどうでもいいことなのだ。土星にとってそうであるように。
 
じゃあ、「地球にやさしく」というフレーズがつく事柄が、やろうとしていることは、何のためか。
やさしくされなきゃ困るのは、人なのだ。
人間は、魚や動物や木の実草の根を採ることだけでは飽き足らず、森を伐り畑を耕し牛や羊を飼い、地球の環境を大きく変えてきた。工業化が進むにつれ、石油や石炭を掘りたくさんの火を使った。
人のため、と言われ最初に思い浮かぶのは、そうした開発の歴史だ。
だが、それによる弊害がどんどん出てきた。これからも人類が生き続けるためには、開発だけではなく自然の復元、それとの共生が必要だ、ということに気付き始めた。
人のため、という開発的なフレーズの対立軸になり得るのは、自然、もっとスケールを大きくすれば地球、だったわけだ。「地球にやさしく」というフレーズの誕生である。
「地球にやさしく」省エネを、リサイクルを、バイオテクノロジーを、というのも、結局は人間が生きていくため。身もフタもない言い回しを避けただけのことだ。
 
所詮言い飾っただけだから、このフレーズには切迫感がない。
土星の気持ちになってみることができないように、人は地球の気持ちにもなれない。噴火する山を見て「怒ってるなあ」なんて見当違いを述べるのが関の山だ。
いつまでたっても人々の環境への意識が上がらないのは、こうした耳障りだけのキャッチフレーズの罪も重いはずだ。
「未来の子供達のために」なら、まだいい。でもやはり死んだ後のことを言われた気分が残る。
だから、私がとっておきのフレーズを考えた。
全員が親身になって考えるフレーズを。
みんな明日から、これを使って下さい。
 
「あなたと大事な人が、あと30年生きるために。やらなければならないことがあります。」

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