2007-08-03

少年と金太郎飴の片思いと出会いと別れ

私は、何かにつけて未知の事項に過大な期待を抱きやすい性分である。
特に、素直で純真だった子供の頃というのは。見たこともないものに対しいつでも強烈に憧れていた。
 
例えば。金太郎飴である。
切っても切っても同じ顔、だなんてことが、本当にこの世に有り得るだろうか。いや有り得るハズがない。有り得るとすれば、一体全体どんな魔術を用いたとでも言うのか。否、それは断じて魔術などではない。恐らく、詐術だ。子供騙しさ。騙されやがって。ばかめ。
ああ、今この手に金太郎飴が握られていたならば。この手を以てかの詐術の一部始終を暴き散らし白日の元に晒し、彼らの詐術を見破りたる我が慧眼をば世に誇ることも出来ようものを。
などと。まあ、当時5歳なのでこんな言葉遣いのハズは無いわけだが。
こんなような中身の妄想が膨れれば膨れるほどに、もう、なんとしても、金太郎飴が欲しくて欲しくて仕方ないのである。切って切って切り刻みたくてたまらないのである。
男子には、一度しかない七五三。姉の七も終わっていたので、文字通りラストチャンスである。後に妹が生まれてまたチャンスが来るんだが、この時点でそんなことは知る由もない。
祖母が設えてくれた紋付袴を着て。記念写真ももどかしい。もう、この手にある、紙袋を引きちぎりたい思いだけでいっぱいなのである。
帰ってから、ね、帰ってからね、と何度でも言い聞かせる母を、心底恨んだ。多分、一生で一番母を恨んだのはこの時ではなかろうか。
ぎりぎりと奥歯の削れるほどの忍耐を重ね。帰宅した途端に爆発した。
紋付袴を乱雑に脱ぎ捨て、裸同然の姿のまま例の紙袋を打ち破り。台所で包丁に手を伸ばそうとした所で、流石にゲンコツが飛んできた。
極度の興奮を抑え付けられ、その場にへたり込んだ私を尻目に。母は次々に金太郎飴を打ち砕いていった。
どうやら単純に食べたくて仕方が無いのだと思ったらしく、切り口がどうとかはまるで考えていない。ほら、と皿に乗って差し出されたそれは、もう何だかわからない物体。ちょっとカラフルな、うまそうでもまずそうでも面白そうでもない、ただの物体であった。
 
それでも、手に取りじっくりと観察してみたのである。
切り口を正面から見れば、確かにそれは金太郎の顔のようにも見えなくはなかった。
だが、乱雑に割られたその切り口に従って見たら、何だかわからない。
はっと気がついた。これは、太巻きだ。あのすし屋の丸桶のはじっこにおまけみたいに乗っかっている、あの太巻きと同じだ。具や米の代わりが色つきの飴というだけで、きっとあのようにぐるぐる巻いて作るに違いない。切っても切っても顔なんかじゃない、例えば縦に切ったなら、びろーんと同じ模様の棒になるに違いない!それみたことか、金太郎飴の詐術、見破ったり!
顔を紅潮させ得意げにまくし立てた私に、家族は冷ややかだった。
何を当たり前のことをこの子は、ぐらいの調子である。
私の家族には、そういうところがある。どんな大発見も、この家の人間にかかれば当たり前だろうぐらいの反応しかしてもらえないので、ムキになり続けた結果、今のこの私がある。ような気がする。
 
すっかりふてくされて、無残に砕けた飴玉を一つほうばった。うまくなかった。何だかガサガサして、ケーキの上の砂糖菓子みたいな味だった。
半分ぐらいまで舐めて、耐え切れなくなって吐き出した。口内の熱にとろけた切り口と外周の白飴は、見るもおぞましい物体に感じられた。そのまま捨てようとして、またゲンコツが飛んできて。仕方なく再度ほうばった。
やっぱり、うまくなかった。切っても切っても同じ顔。つまり、この先この、元は棒だったぐずぐずの円柱たちを食べるだけ、同じ味を味わうことになるわけだ。
うんざりした。もう二度と自分に七五三が訪れないことが、幸運であるようにすら思われたのである。
 
以来、26年近く経つわけだが。本気でそれ以来金太郎飴は食べていない。食べたいとも思わない。
憧れなんて、目標なんて、手に入ったら意味が無いんだと。いうような話ということにでもしておこうか。

No comments:

↑ このブログがお楽しみ頂けたら押して下さい。ただの「拍手」です。