2007-08-27

「熱血」の独善と、ひとりの少年の勝利

昨日の日曜日。遅い昼食の後でソファーに寝そべり、たまたまテレビをつけていたら、その番組だった。
たまたまでもなければまず見ない番組だったのだが。気になるところがあってつい最後に近い所まで見てしまった。
弱小野球部に起こった奇跡。とかなんとかいう題の、ドキュメンタリーだった。
公式戦で10年勝てなかった高校の野球部が、2点リードされた9回2死走者無しまで追い詰められ、そこから逆転で久々の勝利を収めるまでを追ったドキュメンタリーなのだが。
全体の演出は、予想通り不愉快だった。
そもそも、野球に「奇跡」などない。奇跡を何だと思っているのか。偶然性の高いプレーの中で決められた目標に向かい、全力を尽くす。その結果には、偶然や好運ぐらいはあっても、奇跡などないのだ。
有り得るはずのないことが起きるのが奇跡である。モーゼの割れた海の道、イエスの復活、そうした、どう考えても有り得ないはずのことが起きた、それが奇跡なのだ。
9回裏2死で2点差、しかもその試合のような、互いに点を取り合った3対5の2点差なら、まだまだ逆転勝利の可能性は相当残っている。150試合ぐらいある神奈川のような学校数の多い県予選の中でなら、毎年1試合ぐらいなら起きても全く不思議ではないのである。
試しに計算してみる。
地区一回戦のレベル、しかも点差が示すような力が均衡した試合の場合、打者が出塁する確率はどんなに小さく見積もっても30%近くある。打率だけなら3割に満たなくとも、エラーや四球など相手のミスもあるからだ。
この番組でのシーンの場合、それが9回2死から4つ繋がって3点入っていた。そうなる確率は、どんなに少なく見積もっても0.3の4乗=0.0081=0.81%もあることになる。これは、サイコロを3個振って3個とも6で揃う確率、1÷(6×6×6)=0.00462...≒0.46%の2倍近い確率になるし、ジャンボ宝くじの下2ケタの当たり(普通3000円)の確率、1%にかなり近い。
宝くじで3000円当てて、奇跡だ!なんて言う奴がいるのか?
しかも、投手はじめ守備側の動揺だとか、打者の勢いだとか、攻撃が繋がったことによる数字に変えようのない“流れ”が野球にはある。この番組の試合でも、2人目と3人目の走者は四球と死球で出塁していた。
それを織り込み、例えば一人塁に出る毎に次打者の出塁率が0.1ずつ上がる、として試算してみれば、0.3×0.4×0.5×0.6=0.036=3.6%にもなる。30回に1回以上起きることになる。
それを奇跡と呼ぶのか、と。起きるはずのないこと、と言いきってしまうのか、と。延々と追い続けてきたチームを、まだ試合も終っていないうちに「奇跡でも起こらないと勝てないチーム」と言い切るのか。何様のつもりなんだ、と。
試合にかけた選手達の努力、たとえ一縷の望みであっても勝利を目指す姿勢、そういったものを表現上否定してしまっていることに気付いていない。
民放の似非「ノンフィクション」にありがちなこうした過剰演出は、極めて単純な不快感を私に与える。だから普段なら見ないのだ。
でも、見た。
過剰演出以上に「許せないもの」が、そこに映っていたからだ。
 
高校までの私は、勉強は割と好きだったが、学校や授業は常に大嫌いなまま過ぎた。
一人として、尊敬できる教師がいなかったからだ。
今よく話題になるような、教える能力の無い教師、やる気の無い教師、プリントだけ配って終わるような教師。それもいたが、彼らはまだよかった。むしろ歓迎だった。
やる気なら、私にあったからだ。
授業で教わったことより、教科書で興味を持ったことを自分で調べたりして学んだことのほうがよほど多かった私にとって、空気のような彼らはかえって好都合だった。現行の教員制度では、高校教師の知識量などたかが知れている。本を読むほうがよほど深い知識と思索を得られるのは自明だった。
私にとって問題なのは、そんな奴じゃなかった。
「昔の先生のよう」と語られるような教師。熱血教師。生徒に愛され父兄の評判もいいような。そんな教師が、私には最悪の存在だった。
奴らが熱心になればなるほど嫌気がさし、口からデマカセでご機嫌取りの台詞だけを並べてやりすごした。成績も素行も全てがソコソコだったので、うわべだけ取り繕えば構われずに済んだからだ。
奴らの内に潜む、「俺はお前らより強く正しい」という意識、「教えてやる」という姿勢、それがどうにも不快でしかたなかった。
番組の弱小野球部の監督は、まさにそのタイプだった。あまりに腹立たしくて、しばらく一人ブツブツ言いながら見ていたのである。
 
「てめえふざけんな。負けてえのか!
あれがお前の一番いい球か?勝負球か?一番いい球を何で投げないんだ!
代われ消えろ。やめちまえこの野郎」
3回、交代出場した代わりばなに3点取られたエースを、口汚く罵る。
これだけで、その監督のやり口はわかる。思うがままにならない奴は、脅す。恐怖支配だ。単に激しい言葉で選手の闘志を焚きつける、というのではない。「代われ」と自己の権力をちらつかせ、脅す。
選手は萎縮する。萎縮するから、無難に監督の指示からはみ出ぬようにしかプレーできない。
こんな監督では弱いはずだ。という私の思いとは裏腹に、番組はこの監督のやり方を肯定するかのようにその人となりに迫ってゆく。
東京のそこそこの私大を卒業後、大手通信会社に入社。24歳の若さで海外赴任も経験する、いわばエリートコースを歩む。だが高校まで取り組んだ野球への思いを捨てきれず、30歳から教師として高校野球の監督に。
「結局ね、優等生だったんですよ。
当時で年収700~800万ですから。同世代の奴らと比べればまずまずいい給料もらってて。
何かつまらないというか、これが俺のやりたいことなのか、という思いがあったんですね。
どうしても野球への思いが捨てきれなくて。
本当にやりたいこともやらないで、生きてるって言えるのかな、と。
やり残したこと、悔いを残したくなかった。
本当にやりたいことを必死にやるのがどんなに大切なことか、選手にはそれを伝えたいし、それしか伝えられることはないと思ってます。」
何故それが、高校野球の監督だったのか。
他に選択肢はなかったのか?たかが自分の思い程度のことだけで、子供達を指導出来ると思ったのか?
わざわざ就職活動をして悩んだ挙句見つけた仕事に、続けていけるようなやりがいを見つけられなかった人間が。「年収7・800万」、そんな下らないことしかかつての仕事について語れない人間が。
彼が伝えたいのは「自分勝手な野球への思い」であって、「野球の楽しさそのもの」ではないのだ。
そんなもの選手にしたら、いい迷惑だ。エゴの押し付けでしかない。
「お前の抱えたハンディなんか知らねえんだよ。お前がエースだと思って投げさせてんだ」と試合中に彼は選手を罵ったが。選手にすれば、「お前のエリートコースを捨てた思いなんか知らねえんだよ。」だろう。
 
野球の指導者として、伝えるべきこと。それは、野球の楽しさ、必死になるだけのやりがい、それ以外に無いはずだ。
この監督はそれを、何ひとつ教えていない。教えることができなかったのだ。
常に監督に脅えた目をし、監督の姿のない、抑圧から解放されたロッカールームで、惨敗したことも何とも思わず無邪気にふざけあう選手達。
その姿から、一心に野球に打ち込み、何かを見つけたい、そんな思いは伝わってこなかった。
何故か。自分のエゴに引きずられ、「野球をやりたいという強い思い」を、全選手が持っていて当然、という前提にしてしまったからだ。自分の基準にはめ込んだからだ。
勿論、まるでやりたくなければ野球部には入らないだろう。その思いを育て、一心に打ち込ませる、自分の意思で打ち込んでいく中で、何かを見つけさせる。それこそが指導者としての仕事なのに。
自分の思いを勝手に押し付け、同じ思いを強要し、お前ら何でやらないんだ、俺がこんな思いしてやってるのに、と追い詰める。
選手達はとにかく怒られないように、そればかり考え続け、一通り言われるままに練習し、終われば解放された、としか思わない。部活動の中に、惰性以上のものが見出せなくなっている。
たとえ甲子園に出られたとしても、彼の並べたキレイゴトの「伝えたいこと」など選手は何ひとつ掴めはしないだろう。強要されるがままにやっただけなのだから。
 
一人だけ、実にいい目をした選手がいた。
入学した時の体格は147cm・33kg。3年生になった今も、ひどく痩せた万年補欠の選手である。
「どうして続けているの?」という問いに、彼はきっぱりと「野球が楽しくてしかたないんです、野球バカですね。」と言いきった。補欠だとかは関係ない、野球が楽しいから、と言いながら、毎日日課にしているという深夜の素振りに打ち込んでいた。
彼の家は貧しかった。修学旅行にも行けないほどだったが、それをすまなそうに言う両親に「いいよそんなの。あんなのつまんないし。思い出なら野球で作れるし。」とこともなげに言った。
恐らく彼は、修学旅行か野球か、彼の家の経済上どちらかしか選べないことを知っていたのだ。
野球というスポーツは、こまごまといろいろ金がかかる。バットやグラブ。ユニフォーム。ひとつひとつ馬鹿にならない値段がする。三年間での総額は修学旅行一回分より確実に多くなるだろう。
それでも大好きな野球をやらせてくれた両親に、深い愛情を感じていた。
愛のあるところにはやる気が育つ。彼の目には、「代われ消えろ」と脅されていた投手の目にはない、まっすぐな輝きがあった。
彼は、夏の大会までの3年間を通じて公式戦での出場がなかったそうだ。
ひ弱な彼は、監督の構想からは外れていたのだろう。
「自分が出て勝ったら最高ですね。」それでも、そう屈託なく彼は言った。
 
負ければ最後の試合。9回2死走者無し。問題の、「奇跡」が起こるシーンで、彼は代打として初めての打席に立った。
明らかに、高校野球でよくある「思い出作り采配」である。どうせ負ける、負けたら最後だ、機会の無かった3年生の選手に花を、というわけだ。
彼が打つ、勝負強い、と思っていたなら、ここまで公式戦出番無しのはずがない。どこかで試しているはずだ。純粋に勝利を追及する采配として、スタメン9人より打つと考え送り出したはずがない。
負けだ、終わりだ、と、テレビ局より先に諦めていたのは、カメラの前でくどくどとキレイゴトを並べてみせた監督だったのだ。最後まで自己満足で、どうせ負けるなら、といいことをした気分になりたがったのだ。
必死で自分の指示にくらいついてきた選手の思いを置き去りにして、勝利の可能性を減らすと思いながらも「教育者としてチャンスを与えた」とかいう逃げ道を用意することを優先したのである。
どこまでエゴイストなんだ。そしてそれを美談のまま終わらせようとするこの番組は、何なんだ。
こいつら、子供達を何だと思ってやがるんだ。
震えるほど腹立たしかった。その後の展開は前フリで予測出来ていても、許せなかった。
番組が泣かせようとしたより少し前の場面で、全く別の理由で。私は目に涙を溜めていた。本気で怒り狂っていたのである。
代打の彼は、「勝ちたい」と言い、そのために控えである自分の立場を受け入れ、チャンスを信じずっと一人夜中まで素振りを続け。試合ではサードコーチャーとして声を枯らしていたのだ。
その思いすら踏みにじる行為であることに、このダメ監督は気付いていない。それが、許せなかった。
 
彼は打った。諦められていた彼は打った。同じように諦められた仲間にチャンスを繋げた。小さく構えて、初球を綺麗にミートし。レフト前に運んでみせた。
彼だけは信じていたのだ。毎日努力を積み重ねた自分を。チャンスを逃さず弾き返せる自分を。そして、まだ何も終わっていないことを。
ドラマよりドラマチックな逆転劇は、彼がもたらした。伝えるべきものを何一つ伝えない駄目監督が、最も期待しなかった彼から。期待されずとも自分の力で道を拓いてみせたのだ。
番組は、その勝利を極めて安易に「奇跡」として伝え。原動力は監督であったかのように安易なストーリーをでっちあげたが。
奇跡などでは、ない。監督がもたらした?とんでもない。
見放された自分を信じて、信じきってみせた彼の勝利だった。
 
「一生懸命ないい先生」には、常にこの監督と同じような独善性があると思っている。少なくとも、私に関わった教師は皆そうだった。
ことの善し悪し、自分の望み、そんなことは小学校を出る頃には皆自分で判断できる。どんな悪ガキだって、卒業文集には立派な作文を書けるのだ。
それを自分勝手な基準で枠にはめ。「何かを伝えられたら」などと。伝えようとすればするほど、彼らの伸びようとする力を削ぐだけなことに気付かない。
「美しい国」とやらを目指すため、国の基準だけで教育が進められる方向に動いてさほど世論も動かない今、私の中で気持ち悪い思いがどんどん膨らんでいる。
枠にはまりきった北朝鮮のマスゲームを、美しいと思うのか?
あんな気持ち悪い光景を量産するのと中身の変わらない教育なんか、クソ食らえとしか思わない。
 
彼のヒットは、美しかった。
怒られたくなかったのではない。
言われたとおりにやりたかったのでは、ないのだ。
ただ純粋に野球が楽しかった、打ちたくて打ちたくて仕方なかった代打の彼のクリーンヒットは、どこまでもまっすぐで美しかった。
あの美しさは、誰に教わったのでもない。
本当の美しさは、誰にも与えられない。教えられない。与えよう、教えこもうとするのは思い上がりだ。
本当の美しさは、ひとりひとりの中に、ひとつずつある。

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