文明の果の大笑い
私の記憶では、『富嶽百景』の一節と思ったのだが。
調べてみたら、違った。『ヴィヨンの妻』であった。
何にせよ、私の文明観・芸術観に、ここまでしっくりきた言葉を、私は他に知らない。
笑うために、私は生きている。とすら思う。
笑うのが好きだ。実によく笑う。
全く社交性が無い私が、どうにか社会にそっぽを向かれずに済んでいるのも、よく笑うからだろう。
屈託の無い笑いは、人の警戒心を緩ませる。
含み笑いや薄ら笑い、そういう不信感を抱かせる笑いもあるが。
笑い方にさえ気を付けていれば、何も言わなくても認められる。
逆に、ちっとも笑わない、真面目ぶった人は、信用されない。必死に熱弁を振るっても、だ。
そんなかわいそうな人はどこにも必ずいる。
互いの不信こそ諍いの端緒と考えれば、笑いは、世界を救えるかもしれない、唯一のもの、とすら思う。
感覚の極に何があるか。私は、それも笑いだと思う。
題目の出典が富嶽百景にある、と思ってしまったのも、富士山を見上げて、こんな圧倒的な力の前では笑うしかない、という記述があるからだ。
まさに絶景、という景色の前で、うはは、と笑ってしまった経験。あなたにはないだろうか。
私はある。2度や3度ではない。
心の底からうまい、と思った時。やはり、うはは、と笑う。
良い小説を読んだ時。可笑しみのある文であるかないかを問わず、笑う。
泣くほど悲しい話でも、よいものであれば読み終われば微笑んでいる。
天才的スポーツ選手。
例えばマイケル・ジョーダン。
例えばマイケル・ジョンソン。
例えば野茂英雄。
例えば小野伸二。
例えばナリタブライアン。
彼らの圧倒的な才能にも、うはは、すげえ、と笑うしかなくなったことがある。
笑いは、人の求めるものが行き着く先には必ずある。
笑わせることが仕事、という人もいる。
そのルーツを辿れば、遡りきれないところまで遡る。
各地に伝わる謡は、労働の合間だったり酒の席だったりで、笑うためのものだ。
大昔から、人は笑いの力を知っていた。
笑え。笑え。
笑いはあなたを、周りのみんなを幸せにする。
笑えないほど真面目な話より、笑える下らない話が役に立つことだってある。
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