ゲンマイの呪縛
札幌に住んでいたから、4歳頃だろうか。やっと雪が溶け、外の公園で遊べるようになった日。ちょうど、今時期だろう。
やたらはしゃぎまわっていると、同じ団地の友達がやってきた。当然の如く合流し、更なる大騒ぎになった。
子供というのは、一緒に騒いで10分も経つと、何故か喧嘩するものらしい。その時の私も、例外ではなかった。何かにいきなり腹を立て、プイと背を向け一人遊びを始めた。
しかしまた、子供というのは仲直りも異常に早い。5分もすると、一人遊びのつまらなさに耐えられなくなるのだ。
それは、相手も同じ。そして、今度は互いに少しだけ気を遣い、少しだけ盛り上がりを抑えた分、長い時間一緒に遊ぶことになる。
二人で滑り台のてっぺんに立ち、やれあそこは何だ、ここは何だと、知っている限りの知識を動員し議論を闘わせていた。
もしここが居酒屋で。もし二人が血気盛んな大学生であれば。互いに相手を見下しつつ孤高を装い、結果二人ともが何ら新しいものを得られず終わるところだが。そのあたり、4歳児は実に賢い。知らないことを受け入れ、交換し合い、知識の幅を広げていくのだ。
はるか彼方、地平線にも近いぐらい遠くに思えたが、多分今見に行ったらせいぜい100mかそこらだろうが。その時の感覚としては、はるか彼方を。
一人の少女、一つか二つ年上だろうか。すごい勢いで駆けて行った。
まだ、長く走り続けられなかった私には、その運動能力は驚異的だった。ちっとも相手が見えないが、鬼ごっこか何かしているのだろう。延々と走り続けていた。
「すげえな。」
私は言った。自分を「僕」と呼ぶくせに、やたら汚い言葉遣いをしたがる頃だった。
「あいつさ。」
友人が言った。
「ゲンマイ食ってるから、あんなに元気なんだぜ。」
「ふうん。」
何の疑問も無く、ただ、私はその説を受け入れた。
玄米が何かもわからない、ましてその胚芽部に含まれる良質のタンパクやビタミンによる健康効果など、知る由も無い。ゲンマイを食べる=元気になる。極めて単純なそれだけが、印象に焼きついた。
かれこれ、少なくとも25年前のことだが。私はその呪縛から未だ逃れられない。ゲンマイと聞く度に、その少女の駆け回る姿が目の前をチラつく。
ゲンマイが体に悪い、という、どんな科学的根拠が現れようと、私は決して信じないだろう。ゲンマイは絶対に、食べると元気が出るものだと。信じて疑わぬだろう。
社会の常識の根っこなんて、案外そんなような単純なものなんだろう。という気がする。
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