春の匂い
よほど小さい頃から、私はアレルギー性鼻炎だった。
私にとって鼻というのは、詰まっているのが当たり前で。スッと通っている時のほうが珍しいのである。
小学校ぐらいまではそれこそ鼻からは一切息ができないぐらいで、いつもポカンと口を開けている子だった。口を開けなければ息ができないのだから、仕方ないのだ。
だがそれが教師には何とも間抜けに見えるらしく、集会中などによく注意された。落ち着きがなかったのもあって、ほとんどアホ扱いされていた。
テストの成績は良く、大人をナメている部分があった私には、それがどうにも悔しかった。中学ぐらいからは多少の詰まりなら鼻から息をする訓練をし、さらに口もポカンとは開けずに微かな開け具合で鼻と併用しながら息をする訓練をし、今日に至るのである。
そんな私なので、普段は非常に匂いに疎い。息をするので精一杯の私の鼻は、匂いにまで構っていられないのだ。
だが、たまにある鼻詰まりがゆるい日。解き放たれた私の鼻は、ものすごく敏感になる。普段オブラートにくるんで食べる龍角散を、直接舌に塗りたくったような。落差の衝撃である。
多くの人が花粉症に苦しむこの時期は。花粉より季節の変わり目の温度変化に弱い私の鼻の粘膜にとっては、1ヶ月ほどのヤマを越えて楽になってくる時期なのだ。
このタイミングで、「春の匂い」が、強烈なあの匂いが。私の鼻めがけて襲い掛かってくる。
「襲い掛かってくる」という物騒な言葉も、決して大げさではない。まさに鼻をつんざくような、強烈な匂いなのである。
北海道に住んでいると、多くの人は3月ごろに春の訪れを匂いで予感するんだそうだ。
だそうだ、というのは、勿論私の鼻はその頃絶不調の極みだからである。生まれてこのかた、そんな匂いは嗅いだことがない。
雪に閉ざされ、大陸からの冷たい季節風に晒される無臭の日々が続いた後で、海からの生ぬるい季節風が吹くと。ソレを感じるんだそうだよ。知らないが。
私だって皮膚の温度感覚としてはそれを感じるが。匂いは知らない。
私にとっての「春の匂い」は、そんな何だかロマンチックなものなんかじゃないんだ。もっと、前頭葉に痛みを伴うような、激烈なものなんだよ。
都市部とはいえ、3kmも行けば広大な農業地帯が控えている私の住処・会社では。この時期は、地中細菌の活動開始に合わせた施肥の季節なのだ。
一昨日、昨日と、よく晴れて暖かい日が二日続き。多くの農家でその年中行事が行われたらしい。
太陽光でよく暖められた土地に、突如大量に投入された窒素化合物。地中の分解者たちは喜び勇んで分解しまくり、アンモニア臭を発する。それが今日のような湿度が高く風のある日に、ふんわりと町まで運ばれてくるのである。
年度替りで各地の挨拶回りに飛び回っていたのだが。こんな日に限って社内勤務である。
何せ相手は、気体だ。建物へ身を隠したところで、どこからともなく隙間を見つけて侵略してくるのだ。
連日の長時間運転で疲れきった目と頭と体に、これはつらい。
いっそ花粉症になれればいいのに、なんて馬鹿なことすら考えてしまうのである。
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