意地
金にならない仕事ほどムキになる、という悪癖が、私にはある。
いい加減三日がかりでパソコンにかじりついて資料作成作業をしているが、これは確実に金にはならない。
金にならないということは、会社のためにならないということで、イコールどんどん肩身が狭くなる、ということでもあるわけだが。
請けてしまった仕事は、意地でも手を抜くわけにはいかないのだ。
成果というのは問答無用に目指すべきもので、金は成果に後からついてくるものだ、というのが私の信条である。
鼻面に人参がぶら下がっていようがいまいが、私が走るのはそれとは関係が無い。
金にならない仕事、というのは得てして重なるものらしく。
昨年設計から施工まで関わった現場から連絡が来た。
先方からわざわざ連絡が来たのだ。意地でも行かねばならないのだが。何せ明日からの泊まり出張に向けた資料だ。時間が無い。
すぐ行きます、と言って、こういう時の私の車のそばは近寄らないほうがいい。
多分気のせいだとは思うが、赤信号二つと一時停止一つを時速130kmぐらいで駆け抜けたような気がする。多分気のせい、メーターの見間違い、だが。
この現場では、私はいつも大変に歓迎される。たいして金をもらっていないからだ。それでいて、連絡があればすぐに飛んでくるからだ。
金より大事なのは、評価である。金を貸して増やしても遣えばすぐに無くなるが。評価は死ぬまでなくならない。場合によっては、死んでも受け継がれて無くならない。
金を貸してはいけない。金を貸せば、逆恨みされる。貸すぐらいならあげたほうがいい。金が評価に化けた「貸し」は、いつまでも残り、結局大きくなって返ってくる。と思っている。
会社から私個人への評価で言えば、こういう部分は減点なのだろうが。知ったこっちゃない。
本当に会社のためになるのは、どういうことなのか。そんなこともわからない奴には、わかってもらわなくて構わない。
連絡が来た問題は、大したことではなかった。安心して処置を施し、ほっとしたのでゆっくりと帰る。
こういう時の私の車のそばも、なるべく走らないほうがいい。完全にぼーっとしているからだ。
多分気のせいだとは思うが、コンビ二に寄ろうとして縁石に乗り上げ、鈍い金属音がして左前タイヤのダンパーカバーが外れたような気がする。多分気のせいだとは思うが、路側帯に落ちているのを帰りに見たような気がする。多分気のせいだが。
そうして帰ってきて。昨日壊してしまったブログ記事の復旧である。そもそもがあまりに残業が長引きイライラして書いた文だったので、ちっとも覚えていない。
でも、一度UPしてしまった以上、意地でもやらなければならない。
ブログはもう完全に、金になるならないの外の世界である。こんなもので金をとっては申し訳ないと思っているので、私はアフィリエイトの類も全くやらない。
それでも、筆名とはいえ記名で書いている以上、私にとっては意地でもやらねばならないことなのである。
幸い結論までの過程は覚えていたので、元記事より大分端折った気はするが。さして時間もかからずに終えた。
残すは一つ。懸案の資料作成である。
丸二日かかっただけあって、なかなか纏まらなかったが。
今日だけは絶対に残業はできない。キリンカップ・モンテネグロ戦を見なければならないからだ。
私が見たところで何にもなりはしないとは思うが。ドーハの悲劇を知るものの一人として、孫の生き字引ぐらいにはなってやらなければならないではないか。
せっかく好きで見始めたのだ。凡戦がある程度想定できるからといって、見ないわけにはいかない。これだって、私には意地でもやらなければならない仕事なのである。
意地と意地のぶつかり合い、なんてスポーツ新聞の見出しのようだが。自分の中でだってそれは起き得る。
格闘技の名試合がそういう時に生まれやすいように、自分の中でも非常に高い集中力とエネルギーが得られるようだ。
作業開始から2週間、かかりきりになって丸二日、ろくに進まず半分ほどだった資料は、ピューッと3時間で残りが終わってしまった。
余裕かましてブログ更新にすら取りかかっている。
世の中、意地を張るのはカッコ悪い、余裕のある大人がステキ、なんて空気があるようだが。
意地張るのだって、いいもんですよ。
普段は余裕通り越してぐうたらの極みの僕が言うんだから、間違いありませんよ。
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