おかしな夢
ほぼ毎日、夢を見る。
寝起きの悪い私は、携帯のアラームをスヌーズにして、最初の音から30分かけてぐずぐずと起きるのが常なのだが。
その、スヌーズを一度止めて次のスヌーズまでの間、5分足らずの間に、恐ろしく長い夢を見る。
ここ最近見た夢で言えば、現楽天監督・野村克也が服を選ぶ時のものだとか。右から来たものを左で受け流す夢だとか。おおよそ下らないものが多いのだが。
今日の夢は、ただでさえ良くない寝覚めがさらに悪くなるほど、重いものだった。
何気なく、いつものように買い物をしている夢だった。
私は、買い物が結構好きだ。しかも、安いものを探すのが好きだ。探しに探して、やっぱり無いな、と諦めても結構楽しめるタイプである。
安いなと思ったモノには、皆一様に「中国製」の刻印が押されている。ああ、やっぱりな、と思う。
ここまでは、現実でよくあるシーンだ。そこから一気に加速し、あちこちから画と「思い」が飛び込んでくるのが、私の夢の特徴だ。
まずは、昨日NHKでチラッと見た、中国の首都・北京とその周辺の「水」を巡る状況。
急速に都市化・近代化した北京では水消費の飛躍的上昇に歯止めが利かず、周辺農村にダムの水の使用禁止令を出したり、水汚染に繋がる工場を閉鎖させたりしているそうだ。
途方に暮れる中国の農村の人々の光景が、不意にアフリカの街角で座りこんだ子供達の眼差しに繋がる。
そして、銃を構える子供達へ。
この子達は、きっと私達の月収ぐらいの金があれば、銃など持たなくても済んだのだろう。
銃や弾薬を買う金はあっても、食料を買う金は無い国がある。
そんなにまで追い詰めたのは、誰なのか。
再び、買い物をする私に映像が繋がってくる。
私達の誰もが安いものを求め、商売人たちは世界を股にかけ安くあがるものを探し回る。
なぜ輸入品が安いのか。作る人に払う金が少なくて済むからだ。
私達の豊かな社会は、どこかの人を安い値段でこき使って生まれている。
この、今手にした安すぎる中国製のコップに、もし日本で払われるべき金額が払われていたら。どうなるだろう。
アフリカの子供達は、このコップ一杯の水に、どれだけ飢えているのだろう。
私の生活によって食い物にされている人は、いったい世界にどのぐらいいるのだろう。
そんなことを考えていると、不意に映像が消える。
夢の中でさえ物思いにふけりがちな私の夢では、よくあることだ。
しかも夢の中だけに、論理が好きなだけ飛躍する。
今日の飛躍の着陸点は。江戸時代の身分制度、「士農工商」についてだった。
この順番は、単にタテマエであり、現実には商家の発言力が非常に高かったと言われている。
しかし考えてみると、よくできた順番なのだ。
「士」は、公に準じ民を治める。最も社会に貢献する存在である。
「農」は、生きてゆくために最も重要な食べ物を作る。または獲る。彼らがいなくては、皆が生きていけない。
「工」は、人々の生活を便利に豊かにする。彼らが作るものによって、士も農も商も仕事が簡便になり、余裕が出来る。
「商」は。それぞれを繋ぐ。誰かに足りないものを、有り余るほど持つ人から受け渡す。
下から順に、いない場合の社会の成立に及ぼす影響が少ない。
上っ面だけの「四民平等」や「民主主義」よりも、よっぽど合理的だ。理想論とはいえ、よく出来ている。
しかし、それぞれの仕事を媒介する「カネ」が、いつまででも蓄えがきくものだったばかりに、作り続けねば手元に残らない農や工の人々は商に搾られ、さらに公を疎かにする士に商がカネをエサに取り入って。
しまいには商が一番上に来てしまったわけだが。
さて、現代。よく似ている。
士たる公務員や政治家はエサに簡単に釣られ。
農の人々は土地に縛られ大規模効率重視の大陸型農業に食われ。
本来の工であるべき工場の人々はいつまでもひどい労働環境に押しやられ。
カネを持つものを優遇し続けるように、税務も法制も定められていく。
とばっちりは、国内にとどまらない。世界の人々が貧しいままなのは、払うべき対価が払われていないことによるのだ。
生きていくのに必要なのは、カネでは無い。カネと引き換えに手に入れるモノのほうだ。
なのに、カネに縛られ、カネのために生きる人々によって、
搾られ続ける人達がいる。
私は。
搾る側だ。
大したこともせず、安いものを買い漁り、のうのうと生きている。
食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲み。それを奪った相手のことは考えない。
生きてる価値なんか、無い。
何のために生きてるんだ。ばかが。
そんな気分で、目が覚めた。
それでも、いつも通りに起き、水を飲み、寝癖を直し顔を洗い歯を磨き。
いつも通りに出社し、いつも通りにサボっている。
どうしようもない思いだけは、抱えたままではあるのだが。
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