2007-06-18

ニセアカシアの花


土曜日曜とまたあちらこちらと走り回って。
その行く先々で、ニセアカシアの花が道に覆い被さるように白い房をぶら下げていた。
窓を開けて走ると、この花特有の甘い香りが車内一杯に広がる。
花の匂いがあまり得意でない私も、小さな頃から慣れ親しんだこの花の香りだけは大好きなのだ。
すごくいい気分、ではあるのだが。すっきりは出来ない。
どうしても奥歯の一番奥に、苦いような。複雑なものが溜まっているようだった。
 
ニセアカシアというのは通称で、日本の図鑑に載っている名前はハリエンジュと言う。
アメリカが原産で、マメ科植物特有の根生菌と共生する生育形態により、栄養供給が得られやすく非常に成長が早い。
それでいて、同じように成長が早いヤナギ科やカバノキ科の木とは違って幹の密度が高く、非常に大きくなるし良い材が採れる。しかも、花の蜜からは良い蜂蜜が採れる。
それで、土取り場の傾斜保護や河岸の滑落防止のためを兼ねて、一時期盛んに植えられた。
北海道でも、特に林業が盛んな地域では、普通の木を植えるより「ついで」のメリットが大きいこの木が、そうした場面で優先的に選定されていったのである。
 
今になって、それによる問題がいろいろ表れてきた。
窒素分を菌から供給される、この木の栄養豊富なマメ、つまり種は。北海道にもともとあった木の種よりもずっと繁殖力が高かった。
植えられたのが河岸や山の中腹が多かったため、川の水や山の雪崩によってどんどん周辺に種が広がっていった。
あちこちで芽を出したニセアカシアは。付近にもともと生えていた木の背丈を、すぐに超えてしまった。それらの木の種が芽を出すはずだった土地を、どんどん日陰に変えていってしまったのだ。
一番大きい木の種類が変われば、一緒に生きていく生き物達も変わる。木によって、葉を食べる虫も皮を食べる虫も違う。虫が変われば虫を食べる鳥も変わる。土中の成分も根生菌によって変わるから。林底に生える草も土中の微生物も変わる。そして、日本によくある木が拠り所だった、日本にしかいない生き物達が。その生活が脅かされはじめた。
今問題になっている、「外来種問題」である。
ニセアカシアだけでない。二ホンタンポポがセイヨウタンポポにほとんど駆逐されてしまったのは有名な話だし、アメリカザリガニは二ホンザリガニをどんどん追い詰めている。ブルーギルやブラックバスは、タナゴやヘラブナの幼魚を食い散らかし、しかも釣っては放されるからどんどん人のいないほうへいないほうへ、つまり貴重な命が残っているほうへと生息域を変えていっている。
すっかり外来種といえば「悪者」で、なんとかして駆除する対象だ、というのが世間の常識になってしまった。
 
生き物は悪くない、悪いのは人間だ。何とかしろ、何とかして殺すな、という人がいる。
しかし。
悪いのは誰か、と言われたら、答えられる人はいるのだろうか。
今スーパーに並ぶ野菜や花壇用に売られる花の苗も、そのおおかたは外来種だ。きゅうりやら大根やら人参やら、日本の郷土料理に使われるような野菜だって、元を正せば中国から入ってきた外来種なのだ。
植えればいいことがある、と思って持ってこられたのは、同じだ。たまたまそれが産んだデメリットが目立ってしまったのが、先に挙げた「外来種問題」の標的たち、というだけなのだ。
それがアスパラやブロッコリーだったとしても、もし広がりすぎれば問題になっていたはずだ。セイヨウタンポポだって、もともとは葉を食用にするために畑に植えられていたのだから。
 
人は、命を操作する。
遺伝子組み換えやクローン技術ではそれに対しアレルギー反応を示す人々も、栽培した植物を食べ飼育された肉を食べている。
服や靴に使われる綿や絹や皮も命から作られたものだし、植えた木を切って作った椅子に座りその余りくずを使って作った紙の本を読んでいる。
それを全て、否定できる人はいるのだろうか。否定できる人は、「人」から尊敬され得るような「生活」を送れるのだろうか。
 
悪いのは、人間だ。それは間違いない。
だが、その言葉の「人間」には、当然自分も含まれることを。忘れてはいけない。 

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