2007-07-17

青い鱗と私の幸福

私は、大変安上がりな男らしい。別に意識しているわけでもないのだが、私の好きなものは安いものが多いのだ。
例えば、回転寿司なんかへ行くと、それが顕著になる。私の食欲を刺激するものは多くの人々には無価値らしく、安い青皿にばかり乗って回ってくる。
トロより赤身。大海老より甘海老や桜海老の軍艦。ホタルイカよりヤリイカ。ホタテより赤貝。ヒラメよりハマチ。
回転寿司なんだから遠慮するな、と言われても困ってしまう。微塵も遠慮などしていない。好きなものを食べているだけなのに。
そうして、一番好きな類のもの、わざわざ回転されることがあまりないものたちを、オーダー用紙に各2・3皿単位で書き列ねたあたりで、私にご馳走してくれている同行者の怪訝な表情はピークに達する。
〆イワシ。〆サバ。アジ。旬ならサンマもいい。多くの人にひとくくりにされ蔑視を浴びる「ヒカリモノ」たちが、私にとっては一番楽しみにしているご馳走なのである。
 
小さい頃は、嫌いだったような記憶がある。〆サバなんかは、独特の酸味がどうにも苦手で食べられなかった。
寿司自体、そんなに好きでなかった。海産物なら、うにやかにみそのようなもっと旨味がはっきりしたものが好きだった。
転機は、初めて一人暮らしした町の性質にある。
時給制の安い給料の仕事。田舎だから一人用の物件が少なく、やたら広くて高い2LDKの家賃。おまけに、携帯でインターネットに初めて触れ、喉元までどっぷりと浸かってしまっていた私には、毎月多額のパケット料金請求が来ていた。
7年も前の話である。iモード誕生2年目。パケホーダイは、まだ無い。「パケ死」という言葉が頻繁に飛び交う中で、私は初めてのおもちゃに出会った子供のようにはしゃぎ回っていた。
当初の予定としては、自炊で食費を抑え無駄な買い物をしなければ、乗り切れるはずだった。だが、「仕事」も「家事」もおままごと程度にしか経験が無かった私には、それを両立するのがどれだけ大変なことかを想定する能力が備わっていなかった。
1ヶ月も経てば、生活は荒廃した。特に食糧事情はひどいものだった。一つ78円のカップ麺をしこたま買いだめしたり。1kg198円のスパゲッティを少しづつゆでて1週間凌いだり。見栄坊の私は、仕事の人と一緒に食べなければならない昼飯はあまり貧相に出来なかったから、夜は本当に悲惨な食事が続いた。エンゲル係数なんて何の指標にもならないことを、身を持って証明していた。
極端にタンパク質が不足していた私にとっての救いは、その町が漁師町だったことにあった。
日に日にやつれていく私を心配した仕事場のおばちゃん達、漁師のお嫁さん達が、何かにつけ魚やらイカやらカニやらを持ってきてくれたのである。
うまかった。デカいスケソウを1匹丸ごと晩御飯に、なんて日は夢のようだった。
先日紹介した三浦綾子の「続・泥流地帯」に、貧しい農家の娘が「にしんの季節は毎日魚が食べられてお大尽になったようだ」と漏らす場面があるが。私は実感としてその想いを理解することが出来たのである。
貧乏もしてみるものである。魚は、特にその町で豊富に水揚げされる青魚たちは、私に至上の喜びをくれるものに変わっていた。
 
世の中すっかり広くなった。コレがうまい、と誰かが言えば、誰が言ったか知らなくても、自分で食ったことが無くても。欲しがる人が群がり値段が上がるようになった。
本当にうまさがわかっているか、いないか。そんなことは関係ない。数だけが問題で、利益だけが問題で。需給の論理だけで価格が決まっている。それを忘れた人たちは、価格をそのまま価値に置き換える。
本当にうまいもの、食べたいものなんて、自分以外の誰かが知ってるハズがないのに。
だからね。社長。奢りがいがない、って言われても困るんですよ。
私は私が好きなものを好きなだけ食べられて、幸せなんですよ。それが「奢りがい」ってもんでしょう?

No comments:

↑ このブログがお楽しみ頂けたら押して下さい。ただの「拍手」です。