2007-08-10

病理の背景

普通、私の仕事の繁忙期は盆前で一応のケリがつく。今年はいつもより長引いたが、昨日でやっと一段落らしき感じである。
ふう、と一息ついたときに、毎年気をつけなければならないのが、燃え尽き症候群である。もともと鬱傾向がある私は、特に注意が必要だ。
鬱ほどやっかいな病気はない。と思う。何しろ、何をしても楽しくない。嬉しくない。心肺を締め付けられるような重たい胸の痛みに常に付き纏われ、生きてることに意味なんてあるの?という思いだけでいっぱいになる。
何にもやる気がしねえなあ、なんて時が要注意なのだ。ひたりひたりと、悪魔が背中を狙っている。
 
最初に自分にその傾向がある、と気付いたのは、大学1年の春だった。
浪人中ろくに予備校にも通わず、競馬しながら文筆で食えたらいいのにな、なんてぼんやり考えながら過ごしていた私は、それでも現役当時より相当偏差値を落とした大学にもぐりこんだ。
世を拗ねた性格は当時から変わらないが。周囲から無言の圧力をかけられ続けていた私は、それでもやはりホッとしていたのである。
大学の講義。それは高校までの押し付け刷り込み教育から解き放たれた、自由で好きなようにやっていいもの。そんな漠然とした期待感があった。
実際に講義を受けてみれば期待ほどのことはなかったが、それでも結構勉学に燃えていた。一年次の成績は抜群に良かった。途中で以前書いた「一行論文」を突き出しドロップアウトした文学論だけは当然のように不可だったが、あとはほとんど優だったのである。
その結果に、隙があった。らしい。精神科なんて診療代泥棒だと思っているので受診しなかったから、自己診断でしかないが。
成績が良かった。それが、つまらなかったのである。
自分自身の理解の程度は、自分でよくわかっている。教壇に立つ講師達の知識量や洞察力には遠く及ばないことがわかりきっているのに、成績が良かった。
つまんねえなあ。テストの点、論文の内容、そのへんがそこそこなら結局優がもらえるのか。誰も俺の未熟を暴こうとはしないのか。
一度挫折しひねくれた人間というのはどこまでもひねくれるもののようで。成績が良かったことが逆にやる気らしいやる気を全て削いでしまったらしいのである。
俺みたいな馬鹿に優つけるような、あいつらの評価なんか何の意味もないじゃねえか。だったら俺は何しに大学なんか通ってるんだ。という思いが、いつの間にやら飛躍し「何しに生きているんだ、生きてることに意味なんか無い」にまで繋がってしまった。鬱の始まりである。
長すぎる春休みが追い討ちをかけた。部屋に閉じこもり、ひたすら何かに怯えていた。何をするのも怖ろしく、何もしないと嫌な記憶ばかりが頭を駆け巡った。何も考えなくていいことを探した。
ベッドの上で一人でトランプを始めた。それも、大富豪である。4人制で大富豪を行った場合、富豪が勝つ確率。10回行った場合の結果のばらつきのグラフ。そんなおよそわけのわからないものをひたすら何千回と行い、ノートに記録し分析していた。
外に出たら吐き気がして、近所のコンビニすら行けなかった。メシを食うのも怖かった。家族とすら顔を合わせたくなかった。鏡を見るのが、何より一番怖かった。
最初のきっかけから鬱期の行動から、今考えたら下らない事ばかりなのだが。本人にとっては必死だった。
真っ暗い水溜りの中へどぼんと放り込まれ。何も見えず聞こえず、ただ息苦しい。そんな感覚だった。

一月以上そんな状態が続いて。立ち直ったきっかけもまた、今考えれば下らないことだった。
なぜか部屋でひとり、テレビドラマを見ていたのである。テレビなんて恐怖の塊だったその頃の私にとっては、魔がさしたに近かった。目が離せない。動けないのだ。
今見てもおよそ下らないとしか思えないシーンで、急に涙が止まらなくなった。嗚咽が次から次へと沸いてきて、止まらなかった。多分、人生で一番泣いた。
しばらく泣いて、今度は泣きじゃくる自分が可笑しくなってきた。次から次へと腹の底から可笑しさが沸いてきて、また止まらなくなった。とうとう声を立てて笑った。
泣いて、笑ったら、憑き物が落ちたように治っていた。40日も苦しめられていた胸の閉塞感が無くなっていた。
なあんだ。泣いて、笑って。それだけのことだったんだ。
意味なんか、無いんだ。無くたって、いいんだ。
そう思えたのである。
 
私は、自分で自分を追い詰めやすい。人の評価をあまり気にしない分、自分で自分を認められない思いを常に抱え続けて生きている。
人生はうまくいくこともいかないこともある。それを、私は全て自分のせいにしたがる傾向がある。自分の弱さを、認めたくないのだ。
だから、ふとしたきっかけで負のスパイラルにはまり込む。鬱に苦しみはしたものの、それに気付けたのがよかった。
世の中なるようにしかならないし。なったように泣いたり笑ったりしていればいい。「こうあるべき」なんて考えなくたって、世界は回っている。
それが、私が得た結論だった。
 
以来、あの苦しみを味わうことはなくなった。
多少気分の揺れがあっても、気をそらしコントロールできるようになったようだ。
例えば、軽い燃え尽き症候群になる繁忙期の後なんかは、ぽつぽつブログを書き綴ってみたりだとか。
誰に読ませるわけでなくても、書いたり自分で読んだりしていることで軽くなる。
あとは、いつものように。

No comments:

↑ このブログがお楽しみ頂けたら押して下さい。ただの「拍手」です。