2006-05-05

ネットの匿名性について

最近のニュース等でネット社会の問題が取り沙汰される場合、必ずと言っていいほど挙げられるのが、匿名発言の是非についてである。
 
曰く、匿名であるが故に犯罪を誘発するような言行に走る。
固定IPによる個人特定等の対策を講じるべきだ、とか何とか。
おいおい、ちょっと待てよと。
犯罪は、あくまで当事者の責任である。
ネットでどうこう、匿名発言がどうこうって、そもそも文字なり何なり二次元の匿名情報によって犯罪に走っちゃうような弱虫クンは、いずれ犯罪者だろ。とゆうことが一つ。
もう一つは、じゃあお前等も匿名情報は一切流すなよ?とゆうこと。
顔にモザイクで変声機を通した「近い人の証言」なんつーウサンクサイもんを散々垂れ流してるメディアの糞共が匿名発言がなんだだのちゃんちゃらおかしい。
 
と言えばきっと奴らはこう言うだろう。
「我々は公共メディアとして責任ある報道を」
「我々は発言者を把握している」
「私たちの報道は正しいと判断したものをのみ」
「信じられる情報を伝えることが」
 
しるかぼけ。
 
情報伝達の主役は、受け手である。送り手ではない。
受け手がどう感じたか、何が伝わったか、それが情報というものだ。
どんなに意図と違う受け方をされようと、それに意義を唱える権利は送り手にはない。
受け手が感じたことが全てなのだ。
どんな大声だろうと受け手が聞いてなければオシマイである。
ちゃんと聞いてくれと言ったところで、思われたことについては送り手からはどうしようもない。
 
人間は、社会とつながりをもって生きている。
誰だってそれを壊されるのは嫌だろう。
だからこそ、社会生活に支障の出る話は匿名でない限り出さないのである。
それは、ネットでも一緒である。
2ちゃんねる等の匿名サイトでは、匿名だからこそ内容ある書き込みがなされうる側面もあるのだ。
あとは、受け手の問題である。
メディアの言い分は、単なる論点のすり替えでしかない。
 
自分達の権威を守るために、新メディア潰しに必死な彼ら。
自分で自分の首を絞めていることに気付く日は来るのだろうか?

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