2006-05-30

学歴社会

今日、社長から言われた。

「○○事務所の○○サン、この資料によればA大じゃないか。三治君と同じだな。こういうのは活かさないとな」

げんなり。
この人は何時代の人なのか。
そもそも、大学名は一緒だが、その○○サンと私では20年は年度が違う。その上、私は結構新しい文系学部の卒だが、その○○サンはまず理系学部に違いない。私が場違いな会社にいるだけなのだ。

想像してみよう。
三治「そういえば○○サン、A大のご卒業だそうですね」
○○「そうだが。どこで調べた?」
三治「(返答に詰まる)ええ・・・まあ、近い方に伺いまして(冷汗)
   というのもですね、実は私もA大なんですよ」
○○「ほお、そうかね。やはり理系学部?」
三治「いえ、文系なんですが」
○○「ふーん、そうか。」
三治「・・・」
○○「・・・」

これ以上何か起こるだろうか。
学んだ内容も違う。教授も違う。そもそも、同じA大でも理系と文系では校舎が10km程離れているのだ。名前だけで考えた結末は悲惨なものに違いない。

そう、名前だけ。
学歴なんてもんは、名前だけだ。
私の場合、4年間鼻糞ほじってたらもらったもの。それが大学の卒業証書だ。
周りの学生だって似たようなものだ。辛うじて関心があるのは成績の可否で、講義やその背景を研究しようなんて考える奴は皆無に等しかった。学業を生かした就職をした奴だって一人も知らない。
こうした風潮は今に始まったことでない。戦前の文学作品に描かれている様子も大差ない。しかも作家先生が書くぐらいだから最高学府でのことだ。

それでも、社長のように、一種の信仰のように学歴・学閥主義があると信じる人はまだ多い。
私には、大学出の人にこんな仕事をさせられないだのと、わけのわからない理由で就職を断られた経験すらある。

なんだこれ。

学力が採否の基準ならば、入社試験を厳格にすればいいだけのことだ。
同じ大学の出身者を取引上優遇していたら、最大利益は追求できない。
ましてや、大学出だから採用しないなんてのはもはや職業選択の自由の侵害だ。

私は、自慢できることではないが、学校を出てから2度転職をしている。
学歴は有利になることも不利になることもあったが、間違いなく確信をもって言える。学歴で判断した会社にいい会社はない。下らん名前に拘っていては、生き残れない時代だ。

本質を、見抜かなければ。

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