2007-01-09

天秤の針

私は、全ての価値を天秤にかける性分である。
例えば、うまいものが好きだ。いつもうまいものが食いたい。
しかし、金は無い。常に無い。高い店ではなかなか食えない。
だから、食材だけ買って自分で作る。
しかし、国産和牛100g800円は買いたくない。高すぎる。
オージービーフ100g88円のほうがコストパフォーマンスは高いと思う時が多い。
同じ100g88円ならば、道産豚肉切り落としのほうが優る気がしてくる。
買い物をするうちに、時間が無くなる。時間だって当然天秤に乗る。
結果、すきやき風卵とじ牛丼の気分が、コンロにそのまま火にかけるなべやきうどんになったりする。
牛丼気分だからと言って、間違っても吉野家やなか卯は出てこない。あんな店で金をドブに捨てたくないのだ。
味。金。手間。三つの尺度で天秤にかけた場合の帰結の一例である。
仕事の合間の昼飯、つまり今だが。それならさらにひどい。
予算と味なら手作り弁当だが、そのための手間は重すぎて釣り合いが取れない。
コンビ二弁当は高くてまずい。近所のラーメン屋は出てくる時間にリスクを抱える。
さらに栄養バランスという尺度が加わる結果、肉系の調理パン+野菜ジュース、369円ぐらいで落ち着く。
ほぼ毎日同じだが、論理的帰結ができているので飽きないし不満もない。

もっと複雑な事象であっても、同じように天秤を尺度の分だけ用意する。
だから、何にも優先すること、は存在しない。
天秤が振り切れるほど重いことはあるが、私の天秤に乗らぬものはない。
 
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