2007-05-16

題名の詩性(その2)

中身に全く興味が無いのに題名だけ印象に残っている本。その2である。(その1も参照してみて下さい。)今回も、作品そのものとは全く関係が無いので、くれぐれも誤解の無いようにお願いしたい。
 
私は、この作家の作品を読んだことが無い。読むつもりも、何故か起きない。
理由は、特に無い。何せひとつも読んでいないので、理由になるものはありようがない。あえて探せば、その作者が持つ固有の読者層(特に女性)の崇拝ぶりに気味の悪さを感じている部分はあるが。それとて作品を読む読まないとどうこう言う根拠になるものではないだろう。
まあ、作品も作家もけなすつもりは特に無いのだが。なんとなく見たい映画しか見ないように、なんとなく見たいテレビしか見ないように、なんとなくこの作家の作品は読まないだろう。それだけのことだ。
それでも、この作家の題名の詩性は、なかなかのものだと思う。
某ロックバンドのヒット曲の邦訳そのまんまの、彼の出世作はどうかと思うが。題名に著作権が問われにくいのをいいことに適当にブログタイトルを剽窃しまくっている私が言えたことではない。
 
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
 
「終末思想」というのは、数多くの宗教に共通してある。キリスト教の「最後の審判」や大乗仏教の「末法思想」などが代表格だ。
ごく現代でも、若者達には「世界の終わり」を待ち望む時期、というのがどこかにある。
そのほとんどの場合、終わるのはあくまで「世界」にとどまる。天文科学では将来的に太陽の膨張・爆発、それに伴う地球という惑星そのものの終焉時期も予測されているが。その終末までの時間があまりに天文学的な数字であるせいか、とりたてられることは少ない。
語られるのは、「世界の終わり」。削られた語を補足すれば、「人間世界の終わり」である。
その原因が核戦争であれ、地球温暖化であれ、小惑星の衝突であれ、「かつて栄華を極めた恐竜が滅びたように、人類もまた」という語られ方である。どうしても、地球そのものがふっとぶ、だとかいうところまでは考えたくないものらしい。
なぜって。
人間というのは、どんなことが起こるとしても、自分だけは生き残る。と、考えたいものだからである。
人間だけが、人間世界だけが滅びる程度のことなら、ひょっとしたら自分は生き残れるかも。そういう逃げ道の無い話に、人は魅力を感じないものらしい。
 
じゃあなぜ、世界を滅ぼしたがるのか。
抑圧からの脱却願望ではないだろうか。
この世に生きている全てのものは、オギャアと生れ落ちたそばから多くのしがらみを身に纏っている。
その抑圧は、自力だけではなかなか打ち破れるようなものではない。
それでいて、人間というのは全て自分に都合よくものごとを考えるように出来ているから、しがらみさえなければ何とでもなるのに、という思いを多くの人が抱えることになる。
特に、これから社会の枠に、一番下から滑り込まなければならない若者には、それが強く出る。しかもその時点で親のカネだのコネだのが作用して平等でなくしがらみがあるから、なおさらだ。
かくて一部の若者は、1999年7月に世界が終わる、とまことしやかに話したてるし、今にも近隣諸国が攻め込んでくるかもしれないから軍隊を持て核を持て、と騒ぎ立てる。
それでいて現実に起きたら死ぬ確率が果てしなく高いから、「その日」が近づけば忘れたフリをするし、軍隊を持ちそうとなったら急に9条のみ護憲がいい、なんて日和ってしまったりする。
世の終末願望の大半は、こうした根拠の無い過信や甘えを背景に持っている場合が多い。
 
夢物語としての、「世界が終わった後」。そこにあるのはいつだって、しがらみから全て解き放たれたごく単純な「力こそ正義の、リセットされた世界」である。それは何か必然ででもあるかのように、共通する。つまりは、何をも意に介さぬ無頼者の楽園、ということだ。
無学な私の咄嗟の脳内検索では、ものすごく卑近な例しか浮かばないが。
例えば『北斗の拳』である。
所詮、夢物語である。現実が見えていない。
暴れれば生きていける、とでも思っているのだろうか。ケンシロウが畑を耕したり、海に潜りモリを構えたり、森でどんぐりを拾ったりしているところは見たことが無いが。毎回筋収縮エネルギーにより引きちぎる服は、誰が縫っているんだろう。
奪うためには作る者が必要である。奪う人間が増えすぎた世界の資源は、すぐに枯渇する。
こうした夢物語はどこかで、そういう「人間性」を守るために必要なことから逃げる。
ジャングルに生きる部族だって、社会や誇りを持っている。「世界の終わり」の夢物語は、面倒な繋がりだけを都合よく切断し、生きるために誇りを捨てることを拒絶している。
 
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。それは、虚構の世界にしか存在し得ない。
ゴキブリみたいに這いずり回って生きられないなら、世界の終わりは生き抜けない。
それを楽園と言えるなら、話は繋がるが。それなら別に世界を終わらせなくても、明日にでも始められるけどね?

2 comments:

Anonymous said...

こんばんは☆

三冶さんて熱い方なねぇ(笑)・・
それでいて理路整然としているのね。

私、さっきアイポリス?の一件拝見して思わず笑ってしまって。(当事者である三冶さんや、アイポリスなる組織?の担当者には悪いのだけれど)

契約書、規約書の類って利用者、契約者に解りずらい「甲は乙にたいしてどーのこーの」の、難しい言葉を羅列しケムに巻くような、よくよくその手の法律やなんかに明るい、精通している人じゃ無きゃ理解しがたい「表現」や「専門用語」なんかを、意識的にしているのが多いし、むしろ、読まれないほうが都合がいい?場合が多々あって、それを想定し、大前提にしているのでは?なんて思えなくもないのが多いですし。
(実際、私も面倒で読まなかったりしますもの。それこそ、相手の思うつぼですけれど)

なので、三冶さんからの「ご意見、ご質問」の詳しく鋭い指摘には相当、相手側も青くなったのでは?これは侮れない、って。(それにしても法律関係に詳しそうですね。六法全書を勉強したことがありそうな感じ!)

ここを何気におとつい見つけ「素直は美徳にゃない」に共感してコメントしたものの、今日、過去記事のほんの一部を読んでみて、まさかこんなに密度の濃い熱くてストレートで面白い内容、お人柄とは!?想像以上でした(笑)

久々に、興味惹かれるような、過去記事を遡って全記事読み通そう、なんて思えるようなプログを発見できたことは嬉しい限りで、実際、なかなかないですから私の場合。。

探せばあるものね~と、しみじみ思いましたわ♪

そういうわけで、これから少しづつ過去の記事を読ませていただきますわ☆

また長々と書き連ねてしまいました(笑)
ちょっとウザかったかしら(汗)・・・
以上、またマリアでした☆

三治 said...

>マリアさん

連日ほんとありがとうです。
ありがとうですが、私何せ誉められるのが苦手なので・・・(この記事参照)極力、誉めないで下さいww

アイポリスっていうのは。
『魔法のiらんど』という携帯向け無料ホームページレンタルサービスがありましてね。今ケータイ小説でちょっと話題になってますけど。
私そこでホームページ5年ほどやってましてね。主に下らない事ばっかりやって遊んでるんです。
このブログも、もともとそこで始めたやつをいい加減愛想つかして引っ越してきたんです。
アイポリスは法令やそこの規約を遵守するよう利用者を取締りしてる組織です。
その仕事振りがあんまりにも”マネゴト”で、自社都合に満ち満ちてる癖に、口では偉そうに「安全で平和なネット社会を実現している!」とかあちこちで言い触らすもんですから。しかも直轄の担当が魔法の社長らしいんでね。たまたまカチンとくることがあったので一発かましてみました。反省はしていませんw
笑っていただけて光栄ですよ。たぶん、魔法さんもねwww

契約書、難しくないですよ。語彙が一般的な話し言葉ではあんまり使わないもの、というだけで。論理は単純ですから。
要は何らかの権利を引き渡す時に、その条件を一切誤解する余地の無いよう書いてるだけですから。
ケムに巻こうとしてるんじゃなくて、むしろ勝手な解釈をしてケムに巻こうとするような輩が出ないようにしてる、てとこですかね。その結果かえって語彙力を要求されるし、回りくどい言い方になっちゃうからわからない人にはサパーリわからない文になっちゃってる、ってのが皮肉ですけどね。

私の指摘は、何にも詳しくも鋭くも無いんです。言ってることは極めて単純ですから。
ただ、どうせやるなら相手の土俵に乗って負かしてやれと思って回りくどく回りくどく書くように心がけましたけどww
法律の知識なんてからっきしありませんよ。私の専攻は日本史です。この件だって、中学校の公民で習った憲法知識を元に議論してましたからwww

あんまり読んでタメになるようなもんじゃないし、下手くそな文ですけど。
私が面白いと思ったこと書いてるんで、面白いと思って頂ければ幸いです。
ちなみに、別に最新記事に書かなくても私はコメントついたら気付くように作ってありますから。読んだ記事について書く時はその記事にコメント頂ければ良いですよ。

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