2007-10-29

なまぬるい秋の日 その1

携帯で撮った写真が随分溜まってしまった。忙しかったのである。忙しくても写真はちょっとの隙で撮れるが、それをUPしようとなるとそうはいかない。
今我が家のバイオくんはネットに繋がっていないので、ブログは基本会社で隙を見て更新している。会社のPCを使う用事が多い時はろくに更新も出来ない。
気合を入れれば文章だけは携帯でもUPできるが、画像はBloggerではまだ携帯からアップロードする方法が無い。どうしようもないのだ。
それでもどうしてもという場合は、携帯からGmailに添付送信してネカフェから繋いで落として、とか、もっと気合を入れれば一旦どこかのうpろだに上げて携帯で無理くりBloggerの編集画面開いて画像の直リンクを引っ張って、だとかやる方法はあるのだが。前者ならちょっと画像にお化粧をしたりするうちに平気で1時間ぐらい経ってしまうのでカネもかかるし、後者はBloggerアカウントのタイムアウトまでの時間が5分ぐらいしか無いので、あらかじめ携帯で文章を打ち込んでコピーしておいて、だとかすごいことになる。どちらにせよ、よっぽど気合を入れないとできる仕事ではない。なまぬるいひるさがりに仕事をさぼりつつやるような調子の場合と同じ心構えでは、とてもできやしないのである。
それでも今年の春先まではやったこともあったんだが。今はそんな気合はどこにも無い。まあ、早い話がもうブログにそこまで傾ける情熱が無くなって来ているのかも知れぬ。あんまり、書きたいことが無くなってきている。私の貧相な見識と感性では、そんなに毎日のように書きたいことがあるほうが不思議だ。よく持ったもんだとすら思う。
まあ、その貧相な感性を振り絞って撮ってきた写真がちょこまか溜まってしまったし、今日は割となまぬるいしで、もったいないからまとめてUPしてみようか、というのである。
 
幌加内町、朱鞠内湖。撮ったのは、確か10月の1週目頃だったと思われる。
ダム湖とはいえ、ダム湖では日本一の広さを誇る湖であり、それでいてあまり深くないので湖の中に立ち枯れした木が顔を覗かせていたりして、なかなかに風情のある場所だ。どんな場所か興味のある人はWikipediaの説明でも読んで下さい。
朱鞠内というところは、日本一寒いところである。昭和何年だかに-41.2℃という、余裕でバナナでも大根でも釘が打てる温度を記録している。何年だか知りたい人はご自分で調べて頂きたい。10月に入ったばかりだが、すっかり秋の空気だった。紅葉も始まっている。風が止むと水面に映えて、なかなかのものなのだ。
また、別の意味でも日本で一番寒いところである。このダム湖のやや下流に小さな集落があるのだが、そこは日本で一番地価が安いところらしい。湖畔には結構有名なキャンプ場もあるし、夏場はライダーで結構賑わう国道275号線も通っているのだが。土地を買ってまで住もうという人はあんまりいないようだ。
何故か。こういうきれいな場所のご他聞に漏れず、「出る」ということになっているから、というのも理由の一つではなかろうか。この場所に纏わる怪談はとにかく多い。道内では支笏湖と双璧ではなかろうか。なんせダムが戦時中の真っ只中にタコ部屋労働を酷使して作られたものなので、その苦しみを語り継ぐ人も多かったのだろう。
だが。何せ霊感のなさにかけては自信のある私である。恐らく、美輪明宏とタイマン張ってもビクともしないであろう私である。道内最強の心霊スポットと言われた支笏湖の廃病院跡で、同行のうち一名が原因不明の震えが止まらなくなっているのをえへらえへら笑って眺めていた私である。
私にとっては、きれいな上に道北へ向かう場合の近道なので、かなりの頻度で通る道なのだ。
苦労してこのダムを作り無念のうちに亡くなった人たちだって、きれいだなあと眺めてもらえるほうが、ガクブルしながら避けて通られるより浮かばれるんじゃないかしら。そんな不謹慎なことをのんきに考えながら、夕闇が迫る中で車を止め、そばで見つけた林道に入った。
 
ちょうど割り箸記事を書いたすぐ後だったので、森の木がどのように更新して保たれるのか、そんな写真を撮ってみようと思ったのである。
三者三様のネット記事を相手に結構キツイことを書いた上にトラックバックやメールまで飛ばしておいたので、反論が来たら説明する材料にしようと考えていた。
残念ながら華麗にスルー(IT企業は該当記事のTB欄ごと抹消、大学の先生は何事もなかったかのように秋季講義他の記事、ナントカ九州はメールで引用連絡も音沙汰無し)だった。日本の人というのは、本当に批判すると議論にならない人が多いらしい。
それで、この写真たちもお蔵入りするところだったのだ。
だが。その後。実は割り箸記事は、このブログ始まって以来最高の検索ヒット数を記録している。と言っても元が元なので大したことは無いが、魔法のトロイパニックの記事より読んだ人が多いのだ。トロイ記事は未だに2ch某所に晒されている(らしいリファーが来ている)にも関らず、である。
今後新しく覗きに来た人のために、ちょっと、デタラメ書いたわけじゃないんだよ、というのを説明して置きたい気持ちがある。
森の中で見つけた幼木たちの生活などをもとに、「遷移」について少し説明してみようかと思うのである。
先程と同じ林道の、林縁沿いである。PCの人は画像をクリックすると大きな絵が出るので、是非拡大してみてもらいたい。
道路と森の境目辺り、ササが生い茂っている下のほうに、誰でもよく知っている手のひら型の葉っぱが見えるだろうか。この林道の縁には、イタヤカエデの幼苗が無数に生えてきているのである。
林道で幅5mほど開けているとはいえ、一枚目の写真の通り林冠は成木にほとんど覆われ緑のトンネル状態、しかも2m近い背丈のササがびっしり林床を覆っているから、直射日光などほとんど当たらない。それでも種が落ちれば、あちこちに反射して微かに届いた紫外線を使ってこうして苗が成長するのである。
さすがに、あのビッシリ状態から全部は育たない。栄養不足に負けてしまったり寝腐れが起きたりねずみが若芽や皮を食べたりして、何百本・何千本に1本だけが大きく育つ。この写真のものは2mを超え、下草のササの背丈を越している。
これは写真に撮りやすい林道から近いものを撮ったが、もっと奥のシラカバ中心の森の中からもぴょこぴょことカエデが顔を出している。ササが林床にくまなく生えているから、当然日照条件は林道沿いよりさらに悪いのに、だ。
もしこのシラカバ中心の森をシラカバの状態で止めようとしたら、間伐だけでなく下草刈りも必要になる。シラカバは完全な陽樹で、直射日光が当たらないと生えてこないからだ。草にも負ける。
逆に、北海道では土砂崩れの後のむき出しの泥岩や、建物を壊して更地にした場所、土取り場の後などでシラカバが無数ににょきにょき生えてくることがよくある。土壌に栄養が無いので草が育たず、軽くてふわふわの種を飛ばし侵入したシラカバの幼苗に存分に日光が当たるからだ。恐らくこの森も、土砂崩れか山火事か、はたまたトドマツの造林地の皆伐か、一旦森が壊れる何らかの条件があってシラカバの森になっているのだ。
そこに、プロペラつきで風に乗るカエデの種がどこからか飛んできて、日陰が増えシラカバの幼苗が育たない・育てなくなった林床に入り込む。やがて大きくなり、また種を撒いて、成長が早い分どんどん先に老いて倒れるシラカバに取って代わっていく。これが、「遷移」である。
真ん中の赤いツタが絡み付いているのが、先程の無数のカエデたちのお母さんの木である。「母樹」という。樹高15mちょっと、50年生ぐらいだろうか。左隣にあるおなじみの白い樹皮がシラカバである。ほぼ同じ樹高だし同い年ぐらいだろうが、シラカバはカエデより相当成長が早い。先にシラカバが伸び、カエデは後から追いついたものと思われる。
カエデにしてみれば、シラカバの元気のいいうちに1本でも大きくなれれば、種を撒き散らせる。そうなれば、新たな芽が出ないシラカバたちと徐々に徐々に入れ代わっていけるわけだ。
遷移が進行していくと、やがて陰樹だけの寿命の長い森になり、かろうじて林床に生えてくる陰樹が、100年以上生きたような老木にごく稀に取って代わる、という安定した森になる。これを「極相林」という。これ以上は樹種の切り替わり、「遷移」が起きない森、ということだ。
本州以南では陽樹として分類されることの多い落葉広葉樹のイタヤカエデだが、常緑広葉樹の育たない北海道の木の中では耐陰性の高い部類の樹種になる。ミズナラやハルニレ、ヤチダモ等と共に極相林を形作る代表的な樹種のひとつである。
先程例に挙げた山崩れ・地滑りや、台風による大規模風倒、噴火や山火事などの「撹乱」によって、一度リセットされ更地になる度にこの遷移を繰り返し。1000年2000年の時間をかけて作られていくのが森なのである。

森の木は、割り箸程度の量を伐ったところでビクともしない、ということがお分かりいただけただろうか。
そして、放置したところで次から次と命が更新されていくから、決して二酸化炭素放出し放題、にはならないということもお分かりいただけただろうか。
太古、地球には気体の酸素、つまりO2はほとんど存在しなかったと言われている。火星の大気はほとんどがCO2で出来ていて、それに近い状態だったと類推されている。
40億年ほど前に生まれた初期生命体にとっては酸素は猛毒で、それを吐き出す植物プランクトンはそれらを駆逐するために生まれた、とも。次第にその酸素を利用する我々のような「動物」という存在が生まれ。植物はそれらに負けないほど大量に、そして大きく育つ方向に進化を遂げ。緑の地球は生まれたのである。
40億年二酸化炭素を消費し酸素を増やし続けてきた、今や大気の20%以上を占めるまでに増やしてきた植物、つまり森が。放っておいたぐらいでCO2を放出する場所になってしまうなら、地球にこんなに酸素があるわけがないのだ。
中国の割り箸生産の最大の問題は、皆伐して跡地を農地化してしまっていることだ、と言われる。
だが、そうやって出来た畑で作った安い野菜を必死で欲しがっているのは、一体どこの国なのか。今や日本国内で加工食品の製造に使われる野菜の大部分が中国産なのだが。
10億以上の人口を抱えている中国の、ほとんどの農家は0.5ha以下の農地しか持っていない。日本の農家は、平均で1.5ha。北海道なら平均で17ha、100ha以上ある農家だって珍しくない。しかも中国は、未だ共産主義の名残が濃く、農家は農家、都市は都市で職業選択の自由すらない。狭い土地でも耕し、安くても売らなければ生きていけないのだ。
そんな農家が近所の山を伐って木材を売り農地を広げようとするのは、悪なのか。そう言える資格が、私達にはあるのか。
 
と。まあ、そこまで広げて人間社会全体を見なければ、環境問題は語れない。マイ箸一年分の環境貢献なんて、ファーストフードやコンビニ弁当3食ぐらいで吹っ飛んでしまうのではないか。あくまで感覚での想像だが。
わからない、という人は、山に入ってみてもらいたい。柵つきの歩道がついて綺麗に下草が刈られた景勝地ではなく、ごく普通のそこらへんの山に入ってみてもらいたい。
むせ返るような命の息吹の中にいれば、私のような貧相な感性の人間でも思うところがあるのだから。
きっと、あなたも何かを感じるはずだ。
 
山をぶらぶら歩いているうちに、急に強烈に動物的感性を呼び覚まされた。
腹が減ったのである。
幌加内と言えばやっぱりそばだ。しかも時期的に新そばだ。ついこの間も食べたのだが、新そばとなれば話が別なのだ。
たらふくとろろそば食って、シートベルトがキツイ思いをしながらのたくたと運転して帰ったのである。
 
もう一つ、溜まった写真で記事を書こうと思ったのだが。それはまた次回。

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