2007-11-02

なまぬるい秋の日 その2

どの木もすっかり葉が落ちきってしまったこの時期が、一年で一番紅葉の時期が待ち遠しい季節だろうと思う。
例えばサクラが散ってしまっても、その後には美しい緑の森になる。
だが、紅葉は、文字通り最後の灯火だ。葉が落ちたら一面の枯れ木林にしか見えない、寂寞とした姿を晒すことになる。つい1週前まで黄や紅で繚乱とした山々が、だ。
雪が降るとまた感じが違うが。風に舞う落ち葉すら無くなるこの時期は、1週ほど前までの美しさが目に焼きついている分だけ、どうにもやるせない。
撮り溜めした写真でも見ながら、来年の紅葉を待ち焦がれるしかないんだろう。
 

支笏湖越しに眺める樽前山と風不死岳。
この時期の北海道は、なかなか晴れない。今年も非常に雨が多かった。超のつく晴男の私ですらそう思うのだから、よっぽどだろう。
商用の途中、たまたまここを通りがかったら、晴れ間が覗いた。実を言えばこの時私はものすごく急いでいたのだが、滅多に無い晴れ間が絶好のタイミングで訪れたのだ。1分やそこら止まったからといって状況が変わるわけでもない。
この湖には、いろいろ思い出がある。前の記事で書いた心霊ツアーだけでなく、炊事遠足やら花火やらボートやら登山やら
氷濤祭りやら、とにかく何度となく来ている。来なかった年は無いんじゃないかと思うぐらい来ている。
そんなに賑わう観光地でもないし、風景以外に取り立てて見るべきところもないのだが、それでも、また来たくなる。商用でも、所要時間が変わらないならできるだけこの道を選ぶ。
ただキレイだから、というだけなら飽きる。飽きさせないだけの魅力が、この静かな湖にはあるのだろう。
それはなんなのかって。書けたら苦労しないよ。
 

この湖岸道路がまた、いい。天然の湖で、しかも国立公園指定されている湖で。これだけ湖岸すぐを走れる道はそうないはずだ。
本当は、湖に赤い筋道が映える夕暮れ時が一番きれいなんだが。そこまで待つ余裕はこの日はなかった。
のまれるような湖の青と山の紅にみとれながら、急ぐ。
ちょっとぐらい遅れたってクビにゃあならんよ、と悪魔が囁くが。仕事は仕事。普段サボりまくっている私だが、人が待っている時ぐらいは一応まともに仕事をしようとするようである。
 
別の日。
 

そんなに山の中ばかり歩くわけではないし、楽しいことが大してあるわけでもないのだが。この時期のこういう日だけは、この仕事をしていて良かったな、と思う。
柵付きの遊歩道で人ごみに紛れて眺めたって、どんな紅葉だって美しいはずが無い。
自然というのは、あるがままであるから自然なのであって。柵がついて砂利が敷いてあるだけでもう、それは自然ではないのだ。
北海道の大自然、なんてみんな気安く言うが。そんなコピーの背景で流れる映像が牧草地だったりじゃがいも畑だったりするとげんなりする。
「都会」の対義語は「自然」ではない。「田舎」である。北海道の大自然は決してじゃがいももとうもろこしも育まない。育んでたまるか。どちらも地球の裏から来た作物ではないか。自然には存在し得ないものだ。育んだのは、田舎だ。農村である。人が作ったものである以上、自然ではないのだ。
「北海道の大自然」というコピーは、ほとんど全て「北海道の大田舎」に変えるべきである。
 
大自然は、厳しい。甘いものではない。
この日だって、遭難者が出て上空をヘリがぶんぶん飛んでいた。
変に道路整備やら景勝地造成やらが進んでしまったから、山の怖さを知らない人までずんずん入れるようになった。その結果が、これだ。
きれいなバラには棘がある、というが。まさに然り。むしろ、危ないからこそ人は美しいと感じるのだろう。
私だって油断はできない。慣れているから、余計に危ない。
そんなことを、倒木に腰掛けてぼんやり水の流れを眺めながら、考えているうちに仕事が進まず納期を一日ズラしてもらったのは内緒である。

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