名脇役
何だか人でも斬りたい気分になったので、『椿三十郎』を観た。
大学の頃、論文の材料に『用心棒』を観て以来、ずっと観たかった映画だったのだが、何故か10年、観る機会が無かった。
面白かった。
やはり、黒澤明の娯楽映画は天下一品である。ハリウッド大作なんて話題だけ先走る、金だけかけて面だけマシな大根役者にチャラチャラ踊らせる糞映画とは桁が違う。
本物だけが持つ鈍い輝きのある映画だった。
黒澤映画といえば、役者も魅力的である。この作品では、三船敏郎や志村喬など黒澤映画おなじみの面子に加え、若き日の仲代達也や加山雄三等もなかなかの好演を見せている。
しかし。それ以上に私の目を捉え、クスクス笑わせてくれる役者が演じていた。
希代の名脇役、田中邦衛である。
物語において、ヒーローというものは憧れの対象である。かようにありたい、という願望の代弁者であり、自己を投影しても追いつけない存在である。
それゆえ、脇役は観る者の自己を移入する役割を担う。
自分がその場にいると仮想させ、ストーリーに真迫性を持たせる存在だ。
観者を物語の世界に引き込むための、最もわかりやすい方法論である。
邦衛はいつだって弱くだらしがなく、惑い、憂い、おろおろおろおろ。小さな事で泣いたり笑ったり怒ったり。
私達のすぐ傍にいてくれる。時には、お前は俺かとすら言いたくなる。
彼の代表作といえば、誰もがまず思い浮かべるのは『北の国から』であろう。一家の群像を描いた作品であるが、主人公は誰かといえば黒板五郎だと思われる。
だが、そこですら彼は実に頼りがいがなくか弱い。ヒロイズムとはまるで無縁である。
しかし、それでも立派だ。愛すべき、尊敬できる父親である。
主演の作品ですら、独特の脇役節を振りまき、作品そのものを誰もが自分の愛する人を思えるものにしてしまう。
彼にしかできない芸であり、彼だからこそできる役であろう。
彼のような役者は、そうは出ない。
彼が死んだ時には、きっと私は泣くだろう。
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