塞翁が馬
青森。急行はまなすに乗り換えである。
どうにか、無事に着けそうだ。
何せ、ここに辿り着く直前には、特急「いなほ」までが東能代の手前で強風のため5分ほど緊急停止・しばらく徐行運転、というイベントを用意していたのだ。
念が入っているにも程があろう。さすがの私も、ここまで嫌われた旅は初めてであった。
だが。
前にも言ったが。
私は、超のつく楽天主義者だ。私以上の楽天家など見たことが無いのだ。
正直、向こうを出てすぐぐらいの頃には、さんざん引きずり回した挙げ句にいらぬ電車賃までかけさせてくれた先方への恨みがましい気持ちもあったのだが。
何、これで彼らには大きな貸しが出来た。きっとこれからは、大口でないにせよコンスタントに注文が来る筈だ。
人生、貸しを作ってなんぼである。借金は男の甲斐性、なんぞとふんぞり返る奴にろくなタマはいない。
そう考え直すと、俄かに旅も楽しくなる。
今回もまた、得難い経験がいくつも出来た。笑い話のタネにでもなれば、それだけで丸儲けである。
それに、無理矢理引きずり回されたとはいえ、やはり観光は楽しかった。
米里城跡の上杉神社や、関川の歴史博物館が、歴史好きの私に楽しくない筈が無い。
昼飯のそばもうまかった。粘りのない北海道のそば粉とは、また違ったうまさがある。水もいいのだろう。
今のこの帰りだって、私はもともと電車の旅が好きなのだ。
私は、非常に乗り物酔いしやすい体質である。船も飛行機もバスも、他人の運転の車すら辛いのだ。
一番酔いにくい自分の運転か、電車。時間があるなら、どちらかを選びたい。
運転もいいが、ただただのんびりできる電車も好きなのである。
電車好きは、よほど昔からだ。
東京に住んでいた7歳の時。妹の出産のため、母が入院した。
家事の手伝いに札幌から来てくれた祖母は、毎日所在なさげだった。
私のその頃の趣味は、東京23区地図+地下鉄路線図である。父が仕事で不在の隙に、東京案内してやる、と息まいた。
神宮。湯島。靖国。皇居。天皇大好きで神社ばかり回りたがる祖母を、私は全て地下鉄のみで苦もなく案内してみせたのである。
その後まもなく一家で北海道へ戻ると、盆正月に祖母の家まで3時間ばかりの特急が楽しみだった。
車販のカツサンドを頬張りながら、飽きる事無く窓にへばりついていた。
6年の途中でまた引っ越せば、今度は前の友達に会いに3度ばかり、お年玉をはたいて一人で片道3時間を日帰り往復した。
朝6時前の始発に乗り、札幌で乗り換え。到着は10時頃である。
たまたまあった平日の休みに何も告げずに学校に乗り込み、友人より教師の度胆を抜いたこともあった。
そうして暗くなるまで遊んで、また一人電車で帰ってくる。家に着くのは夜10時過ぎだった。
中学からは、もっぱら札幌である。
ベッドタウンのくくりにかろうじて入る場所からとはいえ、電車で30分の道程を一人で平気で行く者は少なかった。
野球を見に円山へ行ったり、ハガキ職人をしていたラジオのイベントを追っ掛けて麻布から真駒内まで地下鉄を征服したり。
いつでも電車は、私の最良の足だった。
高校に入ると、札幌に向かう途中までの定期を持ったので、更に頻度が上がる。
1年の夏のある朝、ふと謂れのないやるせなさに襲われて、学校をそのまま通過した。
ホームから出なければ乗り越し料金は取られないのを利用して、銭函から小樽の海を見に行ったのである。
思えば、あれが初めての一人旅らしい一人旅、だったかもしれない。
その後の冬。Guns'N'Rosesのライブを見に東京へ行くのも、やはり電車だった。
1日公演があって、二日休み。また二日公演があって、その翌日まで。
昼間部屋にいられないビジネスホテルに泊まっていた私は、おぼろげな記憶を頼りに電車にばかり乗っていた。
住んでいた街。輸入盤の店。服屋。雑貨屋。時間はあり余っていた。
嫌になるほど電車に乗り、夜は暴れて汗をかき。東京の冬の夜の暑苦しさに窓を開けて寝て風邪をひいた。
2年の途中からは、初めて出来た彼女で忙しくなった。
一つ上の彼女は、札幌で就職した。3年生の1年間は、土日全て仕事場まで迎えに行ったのである。
愛だと錯覚した性欲の充足と引き換えに、一人の時間と、考えるべきこと、つまり自分そのものを失っていることには、余程の間気付かなかった。
気付かないままに学校の成績は急降下し、よく動機のわからぬ浮気をされ、自信も自身も失い、当然のように愛想をつかされ、気付けば小汚い糞ガキそのものになっていた。
予備校・大学の5年間は、ほとんど自宅と札幌の区間を出なくなった。
札幌までの定期になったのもあり、また競馬に明け暮れたので余分な金も時間もなかったのだ。
電車旅の楽しさは忘れたままだった。
むしろ、街歩きのほうが好きだった。
ひどくちっぽけにしか思えなくなった自分、それすらよくわからなくなって、うろうろうろうろ歩きながら、街を見上げていた。
大学を出て。3ヵ月ほどニートをして。久々に乗った電車は、札幌とは逆方向だった。
とにかく、動こう。よく知った街よりも、知らないところへ行こう。
好きな仕事だとかなんとか後付けの理由もあったが、一番の理由はそれだった。
ひとりになると、自分を見つめるようになった。
また彼女は出来たが、一人の時間は確保するようになった。
たまに電車にも乗った。太平洋側を行ったり来たり。
私は、私でしかない。
そう思うことができた。
最近は。どうにもなかなか時間が無い。一人旅にしても、車が主力だ。どうしても、そうなる。
電車旅の何がいいって、こうして延々と圏外の青函トンネルでブログを書いたりも出来るのだ。
車では、こうはいかない。運転しながらいろいろ考えたことは、停めた時には忘れている。
ほんとうに良い機会になった、ような気すらしてきているのである。
考えてみれば、電車でこれだけの長旅は、それこそ前回の山形からの帰り以来ではなかろうか。
日本海は、本当に美しかった。
白波逆立ち打ち寄せる岩肌に、しがみつく松。
人を寄せ付けぬまでの美しさが、そこにはあった。
山形、なかなかどうして、悪くないじゃないの。
こんなもんで私を困らせようなんざ、ちぃとばかし甘かったんじゃないの?
人間万事、塞翁が馬。
何が良くて何が悪かったかなんて、後の世からでも見なけりゃわからんもんなのだ。
私はただ、ああ今回も良い旅であった、と。そう思っていればいいのではなかろうか。
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