2007-02-26

上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~2~

~1.どうして八百屋なんか必要なのはなぜ?~

八百屋
八百屋(やおや)は、野菜を主に販売する店である。若しくは、青果店と言う。

八百はたくさんと言う意味で、数多くの物を扱うところからきている。ただし、江戸時代には「青果物」を扱う店ということで「青屋(あおや)」と言ったが、時代につれ発音がなまって「やおや」になったという説もある。

-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用-

私が働いていたのは、スーパーの青果部門です。正確に言えば、八百屋ではありません。
でも、スーパーの部門担当というのは、完全に専門職になっています。
魚屋が魚を切るついでに刺身を切ったり寿司を出すことぐらいはあっても、肉を切ったり豆腐を切ったりすることはありません。
青果担当も、部門で売るもの以外には全く触れません。漬物や焼き芋、ゆでとうきびやカットフルーツを部門で作って売ることはあっても、日配や食品、惣菜の似た商品には一切感知していません。
さらに、青果売り場では、関連商品としてドレッシングや鍋料理のつゆ、ゼリーやドライフルーツなんかも扱っています。
およそ青果物とは言えないこれら商品も、食品部門が並べている場合より、青果部門として仕入をして並べている場合が多いのです。
同じ店の中で似た商品を売る部門が複数あるこの状況を『店内競合』と言って、店内を活性化させるために有用な手段として奨励しているチェーンが多いようです。
担当者として部門の利益を伸ばすことだけを考えれば、「他の店の客」を引っ張るにはチラシなどで宣伝してやらなければならない。
それには費用がかかるので、部門だけの意思ではどうにもならない事が多いのです。さらにチラシを出せばお客さんは他の店と比較をします。それに勝てる価格を出さなければなりません。利益率が低く、効率が悪いのです。
それより「今、店にいる人」に、より多く買わせた方が効率がいい。より多く買わせるには、レタスにドレッシング、果物の進物ギフト類にゼリーなど、青果に「つきもの」の商品を並べればいい。
各部門がそれを繰り返し競争すれば、店全体として考えた時にお客さんにいいものをより多く提供できる可能性が高まり、店全体としての評判につながり、ひいては来客増加を見込める、というわけです。
他の部門は仲間でありながらライバルでもあり、その仕事の中身は極めて専門的。
スーパーの青果部門は、そこだけ見れば商店街の八百屋さんとよく似た特徴をもっています。

題からちょっと話が逸れましたが。
野菜や果物は、八百屋以外でも手に入れることができます。
自分の家の畑で作ったり。田舎に行くとよくある農家の直売所で買ったり。
山菜や果物は山へ入って取ってくることもできれば、このご時世、ネット八百屋なんてものもあります。
選択肢はいろいろあるなかで、でもお客さんが一番多いのはスーパーです。ついで町の八百屋でしょう。
ネット八百屋でそれらより高い売上をあげている店があっても、八百屋さんによく来る人がいる範囲の人口(これを『商圏人口』と言い、店から半径何mに何人、と表します。)と、ネットで買い物をする人口を比べれば、言い方を変えれば、全国の八百屋さんの売上の総計と、ネット八百屋売上の総計を比べれば。相当な大差になるはずです。
鮮度と価格で言えば、自家栽培や直売所には敵わない。品質で言えば、生産者を特定していいものを売るネット八百屋に敵わない。
でも人は、街のスーパーや八百屋で買う。何故か。
それは、他に無い魅力が八百屋にはあるから、ということになると思います。
人が野菜や果物という商品を買うときに、何を求めて買っているのか。
野菜・果物の『商品特性』とその『購買動機』を考えていくと、その答えが浮き上がってきます。

まず第一の商品特性として、青果はすぐ腐る、ということがあります。
いちごを食べようと洗ってテーブルに置きっぱなしにして、翌朝見たら真っ白になってつゆがあふれてぐちゃぐちゃ、なんて経験はないでしょうか。
たとえ冷蔵庫にしまっていても、1週間も経てば青果はどんどん腐っていきます。
しかも、青果には日付がありません。生き物ですから、いつダメになるかは気分次第です。明日かもしれないし、2週間後かもしれない。
どのぐらいの期間大丈夫か、大体の感覚ではわかるように思いますが、新鮮そうに見えた葉物野菜が、茎の根元の小さな傷から菌が入ってすぐ腐ってしまう、というようなパターンはプロでもわかりません。
さらに、ほとんどの種類の野菜は肉魚のような冷凍保存ができません。青果は、生きています。冷凍して殺してしまえば、解凍した時の味は大きく落ちます。
ミックスベジタブルや冷凍ほうれん草のような例外も、今はあるにはありますが。同じ味を出せるかとなれば、まだまだでしょう。
だから、どんなにまとめ買いが多い人も、青果は週1回ぐらい買う、というのがアンケートの結果からも出ています。
言い換えれば、1週間で使いきれる以上の野菜を買うことは少ない、ということです。もっと言い換えれば、今足りないものだけを買いたい、という購買動機がある、となります。
ネット八百屋では、どんなに素早い業者でも注文して翌日に届ける、というのは今の物流では不可能でしょう。
注文から到着までのタイムラグの間に、野菜はどんどん料理されたり、または腐ったりしていきます。
足りないから近くで買ったらあとから注文分が来た、なんてこともありそうです。

第二の商品特性は、野菜は使う種類が多い、ということです。果物は旬の時期が限られるので、ここではちょっと置いておきます。
今夜はカレーにしようと思いました。必要な野菜は。玉ねぎ。人参。じゃがいも。好みでブロッコリーやナス、ほうれん草なんかも使うでしょう。こだわりのある人はセロリやセイムなんかも使うかもしれません。肉は豚肉にしました。
次の日は。朝はカレーの残りが多いでしょうが、夜は流石にカレーを見たくなくなる人が多そうです。季節柄、鍋にでもしましょうか。
白菜。長ネギ。椎茸。エノキ。ぶなしめじ。春菊。にら。大根や人参を使う時もあれば、もやしやキャベツを入れるとおいしい鍋もあります。
肉は昨日のカレーのあまりの豚肉にしました。他にいるのは豆腐としらたきぐらいでしょうか。
さて。2日間で、2回の料理。使った肉は1種類です。他に使ったのは豆腐としらたき、あとは味付けにこまごま調味料ぐらいでしょう。
しかし、野菜は。挙げた野菜全部使った場合、18種類、かぶりそうなのは人参ぐらいです。最小限で抑えたって各3種類、計6種類ぐらいは必要でしょう。
さらに。朝はパンとサラダの人ならレタスやきゅうり、トマトなんかは常備してあるでしょうし、いんげんのおひたしが大好きで常にストックしている、なんて人もいそうです。
1人が1年に使う野菜が10種類だったとしても、そこにそれぞれの好みが加わりますから、10人、100人と増えるごとに種類はどんどん増えます。そして、買うタイミングがそれぞれでズレています。
言い換えると、たくさんの種類の中から、今買いたい種類の野菜が欲しいという購買動機がある、ということになります。
私のいたスーパーでは、常に置いている野菜が200種類近くありました。さらにそれぞれでも産地が違ったり、農薬の使用量が違ったり、小分けにしたり大袋に詰めたり箱で売ったりしますから、細かい商品の分類(これを『SKU』と言います)では350ぐらいに達していました。
これは、スーパーの中でも相当多い部類だったと思います。チコリーやエシャロット、ローメインレタスといった、他の店ではまず見ない、そんなに売れない商品を、他店との『差別化』のために並べていたからです。
でも、どんなに扱う種類が少ない八百屋でも50種類を切っている店はまず無いと思います。
それだけ、野菜の嗜好はお客さんによって千差万別で、さらに作る料理によって毎日全然違うものを買っていくのです。
しかも、産地を結ぶ物流と保存技術が発達した現代では、季節に関係無く野菜を手に入れることが出来ます。
直売所で売っている野菜は付近の農家で作ったものだけ。それでは旬のズレには対応できません。たまに市場から仕入れたものを置いていても、種類はたかが知れています。

そしてもう一つ。第三の商品特性として、青果は、モノひとつひとつで、品質が全然違う、ということがあります。
素人目には同じようにしか見えないみかんが、同じ袋の中に入っていたのものでも全然甘味が違う、という経験は誰にでもあるはずです。
さらに、一番目の腐りやすさを考えると。自分の家の冷蔵庫に出入りする程度の量の青果物では、なかなか劣化の兆候がわかるようにはなりません。
青果の目利きを勉強する意欲も暇も、普通の人にはありません。適当に掴んだものでも、できるだけ良い品質を期待したいのです。
言い換えると、自分の代わりに、誰かが選んでくれたいい品物を買いたい、という購買動機がある、ということになります。
毎日1000個も2000個も青果を売り場に並べ、そして売れ残りがどう劣化していくかを見ていると、自然と鮮度がわかるようになってきます。
各地から入荷してくるものを、それぞれ並べて評判を聞いていると、よいものがどんなものかがわかるようになってきます。
市場にごまんと並んでいる野菜から、八百屋さんはみんないいものを選んでいます。値段だけ安くても、変なものを売って「おいしくない」思いをお客さんにさせてしまえば、店で売っているもの全てを「おいしくない」と思われてしまうことを知っています。
お客さんのアンケートでも、「いつも青果を買う店は決まっている」という人が60%以上いて、これは他の部門や店全体より高い数字でした。
青果という商品を売る側と買う側には、信頼関係が必要なのです。

以上をまとめると、八百屋は、欲しいものを欲しい時、欲しい状態で手に入れられるという機能が、他の方法より高いのです。
これを読む人は客としての立場で青果に触れる方のほうが多いと思いますが、何だか当たり前のようで、それでいて普段気にしていないようなこと、ではなかったでしょうか。
理由を掘り下げるでもなく、どうでもいいような当たり前のように考えていることも、店側からみるとどうでもよくないんです。当たり前だ、とお客さんが思っていることを踏み外したら、店は生き残れないんですから。
ここで挙げた、他の方法より優れている点を外さなければ、どんなに食品類の消費動向が変わっても、八百屋は無くならないだろう、と私は思っています。
人が全く家で料理をしない、という日が来たら別ですが。これだけ料理番組が流行っている中で、そんな日はきそうにありません。

スーパーの場合、青果は常に集客の要だ、と言われます。
近所のスーパーの売り場を思い出してみて下さい。ほとんどの店で、青果は正面玄関の近く、食品売り場の先頭にあるはずです。
たまにパンや惣菜が一番前に来ている店もあるでしょうが、そういう店はそもそも一人暮らしのような、料理をしない客層をターゲットにしている店です。そして、大抵コンビニやホカ弁の利便性に勝てず、苦戦しているはずです。
料理のメインディッシュは、普通肉や魚です。米や調味料に比べて、どうしても必要、という希求性も弱い、お客さんにとっては何気なく買っている、影が薄く感じるかもしれない青果ですが。
店にとっては、店の明暗を分ける最重要部門が青果なのです。

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