上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~18~
~閑話休題・青果担当とベジタリアン~
青果の担当をやっていると、いろいろなお客さんに出会うことが出来ます。わざわざ担当者に話し掛けたりする人、というのは、余程の話好きか、またはすごくこだわりのある人が中心になります。
中に一人、潔癖なまでの菜食主義な女性のお客さんがいました。年の頃は50台半ばと言ったところでしょうか。すごく感じのよさそうな方なのですが、話し始めると止まらないのでパートさんの中には露骨に避けている人もいました。
売場にいる時間が長く、しかも私が童顔で話し掛けやすいせいでしょうか。いつも格好の話し相手にされていました。
前にもパートさんは最良の売場モニター、大事にしていた、と書きましたが。このお客さんもまた親しさでは甲乙つけがたく、私にとっては貴重な情報源でした。
何せ肉魚は一切食べない、という人なので、野菜に対するこだわりというのは半端ではありません。必ずJAS認定の有機農産物を中心に、安全・安心な商品を購入していました。
また、よく話してくれたその調理法も、肉魚のダシすら使いませんから、非常にユニークなものでした。今書ける形で覚えていないのが残念で仕方ありませんが、そのお客さんに頼んで売場に配布レシピとして置いていたものもあったぐらいです。
ただ、そのお客さんの考え方の中に、どうしても納得できないものがありました。それは、動物を食べる、ということに対する考え方の部分です。
最初は、健康上の理由だったんだそうです。血圧が高く、医者に高カロリー食品は避けるように言われた、と。よくある話です。
不健康と言われ、いくつかの本等も読むうちに、菜食主義者の本にも出会い、それを読んだらもう今まで自分は何をしてきたのか、と目の前が暗くなったそうです。
話を聞いただけで、その本自体は私は読んでいません。今では著者もタイトルも思い出せません。でも、お客さんの話の中身から、ああ、あのテの本か、という察しはつきました。
あんなにかわいい動物達を、どうやって殺すか知ってる?信じられる?そう問い掛けられると、私は困ったように口を歪め、そういうところもありますよね、なんてお追従を言うしかなかったのですが。内心は忸怩たる思いを抱えていました。
先日、ネットをウロウロしていたら、そのテの違和感があるサイトを見つけました。
このテのことを発表する人のやる方法と言うのは、だいたい似通っています。そのお客さんの言っていた本を思い出せない代わりに、このサイトを紹介して、そうした思想と私の、擦り合わない部分を考えてみたいと思います。
ここがヘンだよ肉食大国ニッポン!
http://veganism.exblog.jp/
以前に紹介した、朝食抜きで1日2食のサイトにも、ここと似通った記述がありました。あんなにかわいい牛や豚を食べるだなんて、なんて残酷なんだ、と。
このサイトの中で紹介されている競走馬の項目などが、その典型でしょう。あんなにかわいがっていた馬が、用済みになったら食肉行き、なんてかわいそうな、というわけです。
動物は動きます。鳴きます。目があって口があって、何となく擬人化してしまいやすい性質がある生き物です。
でも、ベジタリアンの人たちが食べている植物だって生き物です。
1粒の種からむっくりと起き上がる双葉は、とてもかわいらしいものです。アサガオの蔓が支柱を必死に掴んで上っていくのを見れば、がんばれ、と思うでしょう。ド根性野菜、なんてのも紹介されていましたが、その視点は生き物を愛でるものだったはずです。
私たちは、それを食べています。食べなければ、生きていくことは出来ません。それは、全ての動物にとって同じことです。
ライオンやトラが餌を狩る様も、彼らには「残酷」と映るのでしょうか?狩らなければ生きてはいけないのに。
人間は肉魚を食べなくても生きていける、食べなければ生きていけない動物と一緒にするな、というなら、植物も魚も食べるクマのような雑食動物はどうなんでしょう?
人間のように食べ残したりしない、というのであれば、それは間違いです。知床のクマたちは、増えすぎた外来種のニジマスをいいだけ取り散らし、腹からその卵だけを取り出して食べ、肉は捨てています。その様がビデオ撮影されているのです。
どんな動物だって、こうした傾向はあります。おいしいものだけを食べたいのです。おいしいものが多ければ増えるし、少なくなれば滅びます。人間はその食べ物を生産するから、滅びず発展してきた、というだけなのです。
食べ物を生産する、という行為、特に赤ちゃんのうちに殺したり、動物の命を弄ぶなんて、というのは、擬人化の発想にとりつかれているだけに過ぎません。
植物なら殺してもよいのでしょうか?
ほうれん草や小松菜のような葉物野菜は、大きくなりすぎるとおいしくないので、若いうちに取ります。花が付いたりしたら論外です。動物で言えば、まだ年端も行かず子供も作れないような時期に殺されています。
茄子やトマトのような生り物野菜は、子孫を残そうとした種です。動物で言えば卵であり、人間で言えば赤ちゃんです。しかも、まだ胎児の段階です。それを殺して食べてよいのでしょうか?
さらに、生り物野菜の茎葉は、ただのゴミです。肥料化すらほとんどされずに捨てられます。妊婦を殺し胎児を食べ、死骸はその辺に捨てた、と。擬人化すれば、野菜についてもそうなってしまうのです。
感情論には意味がありません。人間を殺すのがよくないのは、人間という種の多様性が失われ、存続に不具合があるからです。
それと同じ次元で他の生き物の生き死にを見ようとしてしまうのが、そもそもの間違いの始まりなのです。
野菜ばかり食べれば環境に優しいじゃないか、とも言いきれません。もし全世界の人間が肉食を止め、草食に切り替えたら。恐らく今の倍近い面積の田畑が必要になるでしょう。
家畜の飼料用の畑がかなりあるから、そこまでにならない、というのは間違いです。人間が植物だけ食べたら確実に牛豚以上に食べたがるし、また食べられる方法も持っています。そして、牛豚以上においしいところだけ食べ、食べない所は捨てます。面積効率が最上であることを求める家畜飼料とは違うのです。
おまけに魚を食べなくなる分は陸上の田畑の純付加ですから(海藻を栽培してもそんなに需要がありませんから)、どうやったって倍近くにはなるでしょう。
その土地はどこにあるか。今森になっている場所です。砂漠に植物を植える技術が無い今、それしかないのです。
森から取れるものに、人間の食べるものはあまりありません。木の実だけなら一人あたりにひどい面積が必要です。葉で食べられるものはそんなにありません。きのこにはカロリーはほとんどありません。
森を切り倒し、畑にしなければ、生きてはいけないのです。庭で家庭菜園をやったことがあれば、それが一人あたりでどれだけの面積になるか。わかってもらえるかと思います。
その森に生きていた動物達はどうなるのでしょう?その森が蒸散する水が降らせていた雨はどうなるのでしょう?その森が吸っていた温暖化ガスはどうなるのでしょう?
青果というのは、非常にデリケートな商材です。生きている、生き物を扱っている、ということを、青果担当はみんな意識しています。
リンゴを50cmの高さから落とせば『あたり』と呼ばれる状態になります。衝撃で潰れた部分の細胞が弱くなり、腐り始めます。
きゅうりや茄子、バナナ等は、冷やしすぎると風邪をひきます。中が黒くなったりしてきて、変質した部分に異味が出ます。だから、冷蔵庫にはしまえません。
とうもろこしや枝豆は、枝から外しても熟そうとして、冷蔵庫にしまっていても熱を持ってきます。熱をもつために使う、そのエネルギーこそが食べた時に甘味を感じる糖分ですから、熱を持たないよう氷水につけたりして冷やし、厳重に管理します。
長ネギは冷蔵庫の中でも成長します。白い部分が割れ、新しい茎が出てきたり、根がでてきたりします。
青果の商品たちは、担当者にとっては思わず擬人化してしまいたくなるぐらい、かわいくて仕方のないものなのです。
そうした生き物を大事に大事にいいこいいこして、お客さんが食べてくれるまでおいしいまま保存しようとする努力を、青果担当は怠りません。
その行為に、罪悪感はありません。命を奪う、というのではなく、命に感謝する、というのが、青果担当としてあるべき姿だと思っています。
どんな生き物も、人間のために生まれてきたわけではありません。自分のために生きています。
それを、私たちは食べています。よりおいしいものを、と考えてきた結果が、今の文化だと思っています。<
その感謝を忘れ、いたずらに命を奪う行為には咎を問うべきでしょうが。ただかわいそうだから肉を食うのはだめ、と言ってしまうのは狭量に過ぎるし、生き物扱いをされなかったということでもある「肉以外の食べられる生き物」、つまり野菜や穀物に失礼ではないか、と思います。
例のサイトの管理人さん。
何も殺さず、何も育てず、つまり播かず、刈らず、収めず、野山の中で生きていきたいのですか?
そうなら止めませんが。理念を持ったその行動を、立派だと尊敬しますが。
パソコンをいじったりしていないで、さっさと行けばいいと思うんですがね。
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7 comments:
えーちなみに。
この記事文中のサイトにはトラックバック送ってみたんですが。
今見たら、見事なまでに消されてますね。
リンクフリーと言ってる割に、反対すると反論もせずに消す。
前にも書きましたが、「反論を言ってみると相手のおさとが知れる」んですよねえ。
食肉産業動物と植物とは比べようがありません 感情のある動物を食肉として増やして食べてはいけない時代に入ります。かわいそうと言う人の気持ちは、理屈抜きで一番大切なことなのですよ。
おお、コメントがあったんですね・・・
「比べようがない」とか「理屈抜きで」と断言されている時点で、議論にならないのはわかりきっているんですが。。。ブログ主として、一応。
理屈抜きの"信仰心"は、私はとめませんし批判もしませんよ。
この本文にある女性を、大事なお客さん、と思い続けたように。
ただ、その信仰心を「食肉として増やして食べてはいけない時代に入ります。」と、世間一般に普遍な原理と考えられたら、迷惑だな、と。
いう話です。
例えば逆に、私があなたに「理屈抜きで、肉を食べることは素晴らしいに決まっていますよ」と言ったとしたら。
私の気持ちが少しはわかってもらえるかもしれませんね。
私は、そんなこと言えませんけどね。恥ずかしくて。
ビーガン思想における、植物のあつかいについて調べる中たどり着きました。
非常に納得できる記事でした。
私はパンクロックが好きで、パンクスの中にはアニマルライツ思想の方が多くいらっしゃいます。
彼らは厳格なビーガンで、一切の動物由来の食品を摂りません。シャンプーや薬、衣料品等の生活用品も。
ですが私には違和感がありました。
なぜ植物の命は許されるのだろうか?
きっと彼らにその疑問を直接ぶつけてもとても感情的な答えが帰ってくるだけだろうと想像が付いたのと、私にはその感情論に対して答えるだけの知識と理屈が無かったので、そうすることは出来ませんでした。
命を人間の一方的な事情で食用に管理し、奪う、ということに関しては、やはり植物も動物も同じですよね。
そして、記事最後に書かれている”野山の中で生きていくのなら”という部分に大変共感いたしました。
私は、生後0ヶ月から重度のアレルギー疾患があり、病院で処方される薬を30年来使い続けています。
食品にも多くアレルギーがあるので、判断・選択して食べています。
肉は、アレルギーの出ない数少ない重要な食品の一つです。
これらを否定されると、私はこの社会で生きていくことを否定されるのと同義です。
ビーガン思想は肥大した人間至上主義と経済発展、選択のできる豊かな環境の産物だと思います。
この社会システムに居て、その恩恵をあずかっている限り、断罪できる立場には無いはずだと思うに至りました。
大変参考になりました。ありがとうございました。
>hytさん
こんな辺鄙な放置ブログに、わざわざコメントありがとうございます。
アレルギー、その辛さ、お察しします。私も、恐らくhytさんとは比べるべくもありませんが、ちょこちょこアレルギーがありますので・・・
断罪。それは、人のしてはいけないことの一つなのでは、と思っています。
人間なんて矛盾の塊みたいなもので。
みんなクソもすれば下品な欲望もあるのが当たり前なのに、世間で、または社会で、または神の教えで、それを制限しようとする。
自分の価値観による制限から、他者を糾弾し全否定する。
断罪ってそんなもので。人である限り誰にも出来ないものと思います。
日本は良い国で、「罪を憎んで人を憎まず」という、得難い思想を持っています。
ビーガンだけでなく、西の海の向こうの考え方とは違う、しっくりくるものを感じます。
何が言いたいんだかよくわからない文になってきましたが・・・
人を断罪する、という罪を憎みこそすれ、その罪を犯す人を理解し、話し合える自分でありたいな、と。思うんです。
キレイゴトのようですが、キレイなことは、たとえ見せかけでも良いことかなと。
あと、書き忘れましたが。
野山で・・・の部分、若いな、青いな、と今では軽く恥ずかしいです。
イヤミ言って得意げなようでは、と・・・
恥ずかしがりつつ、消しはしないんですけどね。
最近そういうジジむさいことを考えるようになり、ブログを書くのも億劫になってしまっている今日この頃です。
偶然このサイトにたどり着きました。
三治さんの野菜に対する愛情がひしひしと伝わってきました。このような方がいらっしゃる八百屋さんが私の家の近くにもあってくれたらと思います。
私はヴィーガンです。
家庭菜園で何種類かの野菜も育てています。芽が伸びてくれば嬉しく感じますし、可愛くも思います。
例えばトマト。花が咲き、そして散り、実がなり、熟したらもぎ取り、その命に感謝して、美味しく残さずいただく。
おそらくほとんどのヴィーガンやベジタリアンの方は同じように命に感謝し、その命をいただいていると思います。それは肉も食べる三治さんも同じでしょう。違いはどこにもありません。
動物も植物も同じ命です。人間はその命を奪い、生きていくのです。
件のお客さんが動物を殺すのは可愛そうというのは、その人の感情であって、理屈がどうこう言う話ではありません。
多くの菜食主義者が、肉を食べないからといって、植物の命を軽んじているわけではありません。そこだけは誤解のないようにしてください。動物も植物も同じ命です。ただ、理由は様々ながら、動物を食べないというだけなのです。
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