上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~19~
~閑話休題・スーパーと地震~
昨日、石川県を中心に、地震で大きな被害が出ました。
被害に遭われた方には、心からお見舞い申し上げます。
日本という国はどこでも地学的に地震が起きやすい特徴がありますが、中でも北海道は非常に地震の多いところです。
特に太平洋側は、プレートの相互干渉が非常に活発なところだそうで。だいたい5年に1回ぐらいの頻度で大きな被害が出ています。今年に入ってからも千島沖の地震で津波警報が発令されていました。
私がスーパーに勤めていた期間にも、一度大きな地震がありました。朝5時にドンと大きく揺れ、6時にまた同じぐらいの規模で揺れました。
小さい頃から地震に慣れきっており、そういう非常時に図太い所があるらしい私は、揺れが収まると二度寝したぐらいで。いつもの時間に悠然と出社したのですが。店では店長以下担当者がとっくに集合しており、売場の点検をしていました。
私の住んでいた町、店のある町は震度5弱で済みましたから、洋酒の棚から高いワインが落ちて割れた、という程度で、店としてはさほどの被害はありませんでした。(酒の担当者は泣きそうでしたが)
青果部門としても、最上段に不安定な置き方をしていた真空パックレトルトコーンが床に散らばっていただけ、ロス額は0円でした。
しかし、もっと揺れが強かったチェーンの一部店舗では、陳列棚そのものがほとんど崩れ、しかも国道が陥没して封鎖され、モノが届けられない、という非常事態に陥りました。
昼過ぎには本部から対策指令が下り、私のような下っ端中心に復興支援の態勢が組まれました。その当日は行く道も鉄道も無いし、余震に巻き込まれては元も子もないので、翌日の朝から、ということになりました。
一番被害が大きかった店には、研修の時同じ店にいた生肉のベテラン担当者さんがいました。仕事が片付いた8時過ぎに、携帯に電話をしてみました。
驚きました。定時にはちゃんと店を開けた、というのです。崩れた棚はほとんど引き下げ、パン箱(パンの納品用のコンテナです。コンビニなどでも使っているアレです)などでとりあえず緊急時に必要なものだけは陳列したんだそうです。
倒壊などの被害はそんなになかったと思うのですが(北海道の場合、内地のような年季ものの建物が少ないので、地震でも家が潰れたり、という被害はあまり起きません)、それでもモノを失くして困っている人は数多くいます。ガスも止まっていますから、すぐ食べられるものも不足しています。
そんな時、スーパーの在庫というのは非常に大切な役割をもっているのです。
昼過ぎにはイベント用のガスコンロを店の前に出し、惣菜の在庫で炊き出しを始め、多くのお客さんが集まったということでした。
常にお客さんのために。困っていることの解決のために。スーパーで働く人間が持っている意識の高さに、胸が熱くなりました。と同時に、のん気に二度寝していた自分が恥ずかしくなりました。
翌日は、朝5時に正面玄関集合、ということになっていました。前日の自分のふがいなさに責任を感じていた私は、勢い余って30分以上前に着いてしまいましたが、普段時間に追われる生活をしているぶん、こういう時のスーパー担当者は非常に時間にルーズです。
結局誰一人時間通りには現れず、私は40分以上待たされて眠気すらやってきていました。
車で2時間以上かけて向かう途中。石油タンクから炎が出ているのが見えました。地震の揺れでタンクの蓋と壁がこすれ、摩擦で出た火花に引火したんだそうです。30km先まで走ってもまだ、その風に揺れる姿を見ることができました。いかに大きな地震だったのか、改めて思い知らされました。
迂回路を回り、予定よりかなり時間がかかりましたが、無事支援する店に辿り着くことができました。さらにそのかなり先にある最大の被害店に向かう道は、まだ閉鎖との情報が表示されていました。
札幌からの物流のトラックはこの日、内陸の山間部を抜け、通常の2.5倍ほどの距離を走ってそこまでモノを届けたそうです。
町にはそんなに被害はなく、店のほうが痛手が大きかったその店は、その日の休業が決まっていました。集まった50人ほどの職員で作業が割り振られ、私は食品売場のワゴンと呼ばれる多段陳列棚の補修にあたることになりました。
一見何とも無さそうに商品が並んでいる棚は、よく見ると縦支柱が歪み、中にはボルトが外れているものもありました。このままでまた余震が来たら。お客さんがいる時間に倒れたり棚が滑り落ちたりしたら。それは恐ろしい凶器になります。一旦全ての商品を下ろし、棚の補強・修繕を行うことになりました。
これは、私にとっては意外に楽しい作業でした。ネジをグルグル着けたり外したりが楽しい、というのは多くの男性に共通するものかもしれませんが。私にはその後のフェース復元も楽しいものでした。
ついているPOPの通りに、だいたいでやっておいてくれればいいから、と言われたのですが。だいたいってことはある程度変わってもいいってことだよなあ、と拡大解釈し、普段食品の陳列で気に食わない所をどんどん勝手に改善(?)していきました。
スーパーの売り場の中で、生鮮・惣菜以外の『グロサリー』と呼ばれる部門は、売場の半分以上を占める面積がありながら、生鮮ほど動かない商品が中心になるため、フェース切りや陳列がいい加減になる傾向があります。
それをビシッと、ポテチはポテチ、チョコ菓子系は板モノのくくりからスナック系への連動を見やすく明確に、とか何の商品知識も無いのにいじくり回して、ひとり得々としていました。
それでも、店が開いていない気楽さでちんたらと作業を進める他の支援の人より早く割り当て分が終わってしまった私は、青果のバックヤードに行ってみました。
多少面識があったその店の担当者さんは、地震当日の売上げの悪さ(ガスが止まると、調理しないと食べられない野菜の売上げは激減します。)とその日の休業で溜まりに溜まった在庫に、頭を抱えていました。
もともとその店は、在庫過多の傾向にあったようです。期報ではそんなに多くはない数字だったのですが、だいぶ隠していたんでしょう。倉庫を一目見れば、楽に3~4日分、それ以上かもしれない量があるのがわかりました。
倉庫で荷崩れを起こした影響だけで、もう5万近くロスってる、おまけにこの在庫、もうダメだ、と泣きそうでした。
他人事とは思えませんでした。それは、私が復旧を受け持ったグロサリーの担当者からは感じられない切迫感でした。
もちろん人にもよるでしょうが、生鮮の担当者に比べると、グロサリーの担当者というのは取り扱いの品物が多い分だけ、一品に対する思い入れが薄いな、と感じる部分があります。腐りもしなければ投げても落としても何とも無いような商品ばかりなので、尚更なのでしょう。
とりあえずできることはやります、指示して下さい、と担当者さんに言い、本来の復旧支援の指揮官はほっぽらかして、翌日に向けた平台の積み込みを始めました。
正直、やり過ぎたと思います。その店の売数も何もデータを持たない私の陳列量は、絶対に多すぎたと今は思っています。
それでも一人で鬱々とし、煮詰まりそうだった担当者さんには、とても感謝されました。とりあえず明日は売りまくるよ、と、少し元気を取り戻したようでした。
私が積み終えた頃にようやく、遅々として進まなかった棚の補修作業も終わったようで。帰ることになりました。青果の担当者さんは、わざわざ握手しに出てきてくれました。ほんとありがとう、と言ってくれました。
その後、私の店の改装セールでもこの方は身を粉にして働いてくれ、半ば暇潰しでやったことなのに、とかえって申し訳ない思いをしました。
どれだけ、困っていたのか。自分にできることは本当に出来たのか。後々まで考えました。
帰りの道すがら、こうした災害はいつでも起こり得る、ということを日々意識して仕事が出来ているのか。考え直しました。
何せ二度寝した私です。大したこと無い、と思っていたにせよ、店のこと、店に来るお客さんのことなどは二の次でした。
何気なく使っている什器が崩れたら、なんて考えもしないことでした。もし売場で火が出たら、自分はお客さんをきちんと誘導できるんだろうか。など。
延々と考え考えしながら、帰りました。
じゃあその後は模範的に防災に努め、お客さんの安全を常に最優先にしたのか、というと、やっぱりそんなことはありませんでした。流石に3日で忘れることはなかった、と思いたいですが、1ヶ月も経てば完全に近く忘れてしまったと思います。
ただ、台車に無茶な荷物の積み方をして売場に出たり、それまで天井に届かんばかりに高く積んでいた倉庫在庫を2/3ぐらいの高さで抑えるようになったり、というぐらいの影響は残りました。
非常口と消火器の場所は常に意識して、陳列品で隠したりはしないようになりました。これはそれまで普通にやっていたのがおかしいのですが・・・
また大地震が来たら。やっぱり十分な対応は出来なかったでしょうが。最低限の、その半分ぐらいまでは安全を意識するようになりました。
辞めてからも、地震のニュースに触れる度、なんと恐ろしいことをしていたのかと身震いします。
毎日働いている職場というのは、普通の状態に慣れきってしまい、非常時を想定できなくなるもの、かもしれません。
たとえ完全な非常事態を目撃した私ですらそうなのですから、全く安全なんて意識したこともない、という人も少なくないのではないでしょうか。
それに対して偉そうに言えた立場ではないのですが。起きてからでは遅いのが災害です。
備えられること、やっておけることは何なのか、それだけでも意識しておくべきと思います。
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