さくら、さくら
ようやく、会社の近所のエゾヤマザクラが見ごろを迎えた。
内地で一番多い桜は、ソメイヨシノである。この木は吉野の山桜に品種改良を重ねて作られた人工交配種のため、非常に弱い。北海道ではなかなか育たないのだ。たまに植えられている所もあるが、圧倒的にエゾヤマのほうが数が多い。
都会生まれで華奢で儚いソメイと違い、元来が北国の厳しい山育ちのエゾヤマにはどこか男性的なイメージすらある。
赤みが濃く、日の高い時期を一刻でも逃すまいと花と葉が同時に出てくる。
散るときも、何とかもう少しと粘ろうとするから、ひらひらとした桜吹雪にはなかなかならない。埃っぽい春の雨風に晒され、いい加減茶色くなりかけてから仕方なさそうにばらばら落ちる。
内地の桜に慣れた人にはどうにも下品に見えるらしいが、ドサンコの私にとってはこっちのほうが親しみやすく、この地の独特の気風にも合っているように思う。
儚いだけが桜の美しさじゃない。生命力溢れる桜だって、あってもいいはずだ。
さて。この公園の桜には、今年はちょっと例年と違う思い入れがある。
去年の夏、ここの木陰でせっせと拾った桜の種が、先週の土曜に芽を出したのだ。
食用のサクランボでなくても、桜はサクランボをつける。エゾヤマザクラも勿論例外でない。
真っ黒く熟していても、酸渋が強くとても食べられたものではないが。鳥たちには大事な食料である。
鳥に食べられた実は、分解されては芽を出すことはできない。だから、堅いカラにくるまれ、胃酸から身を守っている。
食べられずに転がっている実を、私はせっせと拾っておいたのだ。果肉を洗い落とし、すぐに蒔く。
蒔いてすぐには、芽は出ない。殻が堅いから出たくても出られないのだ。
夏を越し、秋が来て冬が来て。雨風雪で柔らかくなった割れ目から、春先に根を伸ばす。
そして、ちょうど親が花を咲かせる頃に、申し合わせたかのように芽が出てくるのである。
毎日水をやり、成長を楽しんでいる子の母親だと思うと、やはりいつもの年とは見る目も違ってくる。
親の気持ちは、木だろうと人だろうと、そんなには変わるまい。
お前っとこの子供は、元気だよ。ちょっと窮屈そうなぐらい、めいっぱい背伸びしてるよ。
温暖化対策だかなんだか知らないけど、何だか期待のホープらしいよ。
そばには植えてやれないけど。心配すんな。立派に育ててやるからな。
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