確率論への憧憬
得意ではなかったし、だから高校の理系のクラスから結局文系の極北の学部へ進学したのだが。
私は、数学が好きだった。そこには、絶対があったからだ。
1+1は、絶対に2である。どうやったって絶対に2である。
よくその絶対性を逆手にとって、2になるとは限らない、3にも4にも、マイナスにもなる、というようなキャッチコピーを見かけるが。それは単純な足し算ではないというだけだ。単にインパクトを狙った詭弁である。
単位も性質も持たない、ただの「1」という数の概念に、極限まで無駄を削ぎ落とした爽快感を私は感じていた。
高校1年までは、成績もそこそこ良かった。しかし、微分積分と代数幾何に入ったあたりで急落した。
公式が嫌いだったのである。
元来が、教科書的解法の2回り3回り遠回りをして、絶対に誰がどう見ても間違いない証明をしたがっていた私には、「こういう公式だからこうなりまーす」では納得できなかったのだ。
自分で考える能力が無かった私は、その公式を導いた証明を逐一載せろ、と教科書に言ってやりたかった。数学だけは、知識量勝負の暗記の学問とは考えたくなかったのである。
バイトを始めたり彼女が出来たり、そもそも学業を疎かにし始めていた時期でもあり、むしろそちらが主原因だったのだろうが。みるみるうちに点数も偏差値も落ち込み、赤点と補習を繰り返す教科の筆頭になっていった。
その状況が、3年になったあたりで若干好転する。面倒になってきたバイトを受験を理由に辞め、1つ年上の彼女も就職したので会う時間が激減していた。周辺環境の好材料に加え、授業内容も私向きの内容に変わっていたのである。
始まったのは、確率統計の講義だった。
小難しい公式や見慣れない記号は、一切無い。おまけに、解き方がわからなくても最悪しらみつぶしをやれば絶対に正解が出るのである。
さらに、そのそもそもの考え方が、私に向いていた。
例えば。サイコロの目は、6つある。1回振れば、どれかが絶対出る。どれかは振るまでわからないが、必ずどれかは出る。そして、同じ確率で出る。条件の確定である。
1回だけ振る場合なら、1が出る確率も、6が出る確率も、全て1/6。同じになる。
それが、2回振って出た目を足した数、という命題だと、違ってくる。
2回振るから、出る目の順番の組み合わせは6×6で36通り。目を足した数は、2から12までの11通り。しかし、足して2と足して12は1通りしか組み合わせが無い。1が2連続と、6が2連続である。足して7なら、その組み合わせは1と6、2と5、3と4、4と3、5と2、6と1、6通りもある。
足して2か12になる確率は1/36。僅か2.8%に過ぎない。足して7になる確率は6/36=1/6。16.7%もあるのである。
だからと言って、実際にやったら足して2や12は足して7より先には出ない、とは言えない。足して1以下や足して13以上には絶対にならないが、足して2や12は出る確率が低いというだけで可能性はあるからだ。
宝くじは滅多に当たらないが、絶対に当たらないわけではないのと同じである。
理論には絶対があるが、結果には絶対は無い。
結果の可能性には大小があるが、やっぱり絶対は無い。
99.9999%のことが起きないこともあるし、0.0001%のことが起きることもある。
それはまるで、思い通りにはいかない人生のようだと思った。
その後の私の人生に対する考え方に、一番影響を与えた発想、かもしれない。
人はいつでも迷いながら、それでも決断を迫られる。
正しい道を選ぶには、行く手に広がる全ての道を洗い出さなければならない。無数の条件が折り重なるこの世の中を、よく知らなくてはならない。
本当は、絶対に正しいも絶対に間違っているも、ない。全ての道に、いい結果を生む可能性も悪い結果を生む可能性も含まれている。
その中での「正しい選択」は、いい結果を生む可能性がもっとも高いものだ。
一度きりの人生を、ひとりだけで歩いている以上、統計学的な最善の道が一番いい結果を生むかどうかは定かでないのだが。それでも、最悪な道ばかりを選んだ場合よりはいい到達点に辿り着く可能性は高い。
自分の選択が最善だという自信があれば、もし悪い結果を得たとしても、少なくとも諦めがつく。
それは、毎度ままよと当てずっぽうをやっていては得られない諦めではないだろうか。
諦めるために考える。
逆説的だが、人生の目的を自己満足とする私の答えは、そうなるようだ。
2 comments:
こんばんは☆
理数系得意そうですものね。
私、理数系はめっぽう弱くて、チンプンカンプンなんですけれど、それだけに理数系に強い人に対する<憧憬>がありますわ(笑)
「・・・もし悪い結果を得たとしても、少なくとも諦めがつく」というのも「諦めるために考える」のも全く同感!で、誰のものでもない自分の人生ですものね☆
今日3度目のマリアでした☆
理数系、全然得意じゃあありません。
自慢ですが、高校のとき物理・化学・微積の全てでクラス最下位の三冠王とったことあります。
でも証明とか論理的思考が好きなんです。考えるのが好きなんですね。
例えば、三角形の面積を求める公式、ありますよね?底辺×高さ÷2。
そういう、誰でも「こういうものですよ」「はいそうですか」で済ませるようなことを、証明するのが好きなんですね。
何故そうすればいいのかわかっていないのに、答えが出るなんて気持ち悪いでしょう?
私は気持ち悪いんです。だから考えるんですよ。
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