雲の向こうの青い空
6月の半ばにも書いたが。この時期は、私の仕事の年一番の繁忙期である。
あちらこちらと御用聞きに飛び回る日々が、お盆前まで続く。
土日も、あんまり休めない。明日も仕事がある。明後日もまた。
仕事がある、というだけならいいのだが。どうにも私にとって付き合うのが面倒な人ばかり相手にしているから、たまに逃げ出したくなる。
逃げ場の一つだったはずのインターネットにも、こんな時期に限って面倒なことが重なって起きたりするんだから、世の中うまくいかない時はうまくいかないもんである。
しかも、朝から一番嫌いな、ぐずぐずぐずぐずべちゃべちゃべちゃべちゃした雨。しかも寒い。先週からすっきりしない天気が続く。蝦夷梅雨がやってきたようだ。
どいつもこいつも。馬鹿にしやがって。午前中が終わった段階で、もう何もかもイヤになりかけていた。
それでも私が、何とかキレずにぼちぼちやっていけるのは、仕事で出かけるときはひとりになれるからだろうと思う。
他には誰一人いない、ただひとり。社会から切り離される時間。それが、今の私の唯一の救いのようだ。
ひとりふらふら、目的地はちゃんとあるんだが、目指しているかどうかがいまいち定かではないような。
そんな時間を過ごすうちに、本来の「超」のつく楽天主義の私が蘇る。
面倒な気分の最大の原因だったこの雨だって、着いたら止むに決まっている。
やまない雨は無い、という言葉に含まれる「待ち」のニュアンスすら、私が発した場合には、ない。
晴男の私に言わせたなら、「私が行く場所でやまない雨などあるはずがない」と、こういう意味になるのだ。
45分ほど車で走り、着いた時には本当に何も降ってはいなかった。
正確に言えば、雨なら止んでいない。森に入った私を、木々の枝葉が雨粒から守ってくれていたのだ。
精密機械を扱う今日の仕事は、雨が降ると大幅に時間をロスしてしまう。
森はいつでも、私を助けてくれるもののようだ。
緑色の香りに包まれるうちに、朝からの不機嫌も、その反動の上機嫌も。どちらも消えていた。
ただ集中して、職務を全うすることに徹する。本当の「いつもの私」に戻っていた。
仕事が終わる頃には、青空も顔を覗かせていた。
少し気の早いオオウバユリが、ところどころで咲いていた。
写真を撮ろうと近寄ると、不意に大振りの花びらがごそごそ。蜜に飽いた蜂がのそのそ這い出し、満腹の腹を重そうにぶら下げながら、どこへともなく飛び去った。
シャッターチャンスを逃した私は、それでもにやにやしながら帰路を急いだ。
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