2007-07-23

「10番」の孤独な憂鬱

サッカーでは、トップ下の司令塔など、一番の花形選手が着ける番号である「10番」だが。
グラウンドに立つ選手が9人しかいない野球では、それとは随分違う境遇の選手が「10番」をつける。
投手が1番、捕手が2番と、守備位置に従って番号が振られ。9人終わった次の「10番」は。
大抵のチームでは、控えのピッチャーがつける番号なのである。
夏の甲子園予選、南北海道大会決勝。駒大苫小牧のマウンドに立った選手は、背番号10だった。
勝つのは、間違いないだろう。何せ相手は、控えメンバー中心だった春の全道決勝で13-1で蹴散らした函館工業である。
香田監督にすれば、言い方は悪いが「実戦訓練」の域を出る試合ではないのではないか。だからこそ先発ピッチャーは、今大会最も多くのイニングを投げているエースナンバー片山ではなく、10番だったのだろう。
私のこの試合に対する興味は、「2番手の屈辱」を背番号10の彼がどう乗り越えるのか。その一点に絞られていた。
 
そのピッチャーを初めて見たのは、およそ2年前。駒大苫小牧が夏連覇を果たした直後の秋季全道大会室蘭支部予選まで遡る。
マウンドには、甲子園決勝戦で最後のバッターから150km/hの快速球で三振を奪い、一躍注目を浴びる存在になっていた田中将大。センターには、2年生ながら甲子園全試合で4番バッターとして出場し、香田監督にそっくりと話題になった本間篤史。
さらにアルプス席には、公式戦での出番を終えた3年生達が応援に訪れている。主将だった林やキャッチャーの小山、ラッキーボーイだった岡山やエースナンバーだった松橋あたりが、訪れたファンのサイン責めに遭っていた。
その日の私のお目当ては、やはり田中だった。その春の甲子園で初めて見た時から「コイツのスライダーならすぐプロで10勝できる」と周囲に言い触らしていた私は、まだ生で見たことがなかったのが悔しかったのである。
最初は、遠目でもよくわかる田中の豪速球とスライダーのキレに歓声を上げていた私だが。次第次第に、ブルペンから響いてくるズバァン!という快音が気になりはじめていた。
そこでは、投手としてはやや小柄な、背番号15ぐらいの選手が投球練習をしていた。プログラムで確認すると、まだ1年生らしい。
苫小牧緑が丘球場のブルペンは、内野芝生席の一部をくりぬく形で作られている。キャッチャーの真後ろに立ち、それからすぐに彼が放った一球を、私は忘れることが出来ない。
体が大きくないから、フォームも決して大きくない。ひょい、といった感じで投げたその一球は、ぐいと伸びたと思った瞬間には、快音とともにキャッチャーミットに吸い込まれていた。
目を奪われていた。既に大差、駒大苫小牧の勝利はほぼ間違いない。彼の出番は、恐らく無い。それでも、目を離すことが出来なかった。
彼の名は。対馬直樹と言った。

びゅん、と風切り音すらあがるストレートは素晴らしかったが、明らかにノーコンだった。3球に1球ぐらいの割でスッぽ抜けた。
また、変化球のフォームに少し癖があった。手首をクルクル捻って捕手に球種を知らせてから投げている投球練習とはいえ。その癖は1打席対戦すれば十分見極められる種類のものだった。
総合的に見れば、今の田中には遠く及ばない。ブルペンにいるのは当然だ。
それでも私がしばらく目を離せなかった、その理由は。彼の目にあった。
ズバァンの快音の度に鋭さを増し。スッぽ抜ける度に不敵に歪む、その目。
天性の投手とは、彼のようなタイプの選手を言うのだろう。
投手は、間違いなく野球の全ポジションで最も過酷なポジションである。
打球が来るか走者が来るか、または打席が来るかしないと、他の野手には仕事が無い。
投手は一人、9イニングで100球以上の球を力一杯投げ続けなくてはならない。
特に、交代の投手まで揃うことが少なく、それでいて過密な日程を押し付けられる高校野球においては、勝負を決める要素の半分近くがエースにかかっている場合すらある。昨夏の斎藤がいた早実など、その典型だろう。
それだけ責任重大なポジションだからこそ逆に、変に責任感や使命感が強い人間は、向かない。
打ち取った手柄は全部俺様のおかげ、打たれたのは全部キャッチャーや捕れない野手のせい、点取られて負けたら全部打てない奴らのせい、ぐらいに考えられる人間でないと、務まらないのだ。
彼の目は、まさにその投手の狂気に満ちていた。大きな可能性を感じる直球を、生かせる目をしていたのだ。
彼がベンチに引き上げた後。私は同行者たちの席に戻り、饒舌に喧伝して回った。
「田中がいれば春夏連覇、夏三連覇も夢じゃないって思ってたけどさ。夢じゃないどころじゃないかもよ。対馬って一年坊、ありゃ面白い。あれが化ければ、鬼に金棒さ。下手したら、今年松橋より田中が目立ったみたいにさ。田中も超えてっちゃうかもよ。」
 
田中の「いきなりプロ10勝」は、現在7勝だからかなり確率が高いだろう。それは2年生の春の時点で言い当ててみせた私だが。対馬のその後に関しては、まるで当たっていなかった。
翌春、「田中の二番手を確保するための大会」だった春の全道。
再三先発の機会を与えられた彼から、あの大胆不敵な目を見ることは、もうなかった。
何かに怯えるように放るストレートにも、あの唸るような伸びはなかった。
投手という生き物は、唯一無二の存在、と信頼された時に、最大限真価を発揮する。逆に、その過信症故に、超えられない壁を前にし、自分を「いつでも替えのきく存在」と思ってしまうと、卑屈になる。
田中将大という壁は、まだまだ未完成だった対馬にはあまりに強大な壁だったらしい。
それでも、一戦必勝の夏の大会で、打たれた田中の後を任されるようなことでもあれば。
まだだ、最後の大化けを、という私の切なる願いは、甲子園大会初戦の直前にもろくも崩れ去った。
肋骨骨折。大会期間中は絶望。
常に3人の投手を用意して連覇を成し遂げた香田監督にとっても、対馬の離脱は大きな誤算だったに違いない。
初制覇の時は、岩田・鈴木・松橋。連覇の時は、松橋・田中・吉岡。そして昨夏は、田中・対馬・岡田というのが監督のプランだったはずだ。
結局、投手の他に外野手もこなせる、という理由(だったと思うのだが)で連れていった菊池を、2度先発で使わざるを得なかった。
田中頼みを打ち破れなかったチームが三連覇を果たせなかったのは、香田野球にとっては必然だったのかもしれない。
 
その後のリハビリにも手間取り、対馬の実戦復帰は遅れに遅れ、その間にチームは秋季大会支部予選でコールド負け、全道にすら出られないという屈辱を味わった。
さらに。ようやく復帰の目処が立った春の大会では、例の特待生問題で出場は叶わず。実戦から遠ざかった対馬は、エースナンバー1を左腕片山に譲ったままになっていた。
迎えた夏大会。幾度かの登板機会で見た対馬に、やはりあの周囲の全てを嘲るようなオーラは感じなかった。
制球も変化球も、格段に向上していたが。最も大事なものが欠けたままの対馬は、小さくまとまった怖さの無い投手にすら見えた。
 
決勝。負けられない、というよりは負けてはならない試合。
満員の円山球場の、異様な熱気。
香田監督の選択は、片山ではなく対馬だった。
テスト出来る最後の相手。決勝という最良の環境。これで監督の思いが伝わらないようでは、もう見込みがない。
初回。対馬の目が泳ぐ。思いが伝わりすぎての極度の緊張が見てとれた。
ストライクが入らない。四球絡みで1死満塁。
伝令が走った瞬間に対馬が見たのは、ブルペンの背番号1だった。
伝令の言葉を聞いて、ニヤリと笑った彼に、ようやく。ようやく、「あの目」が戻ったのを見た。

6回2/3、被安打4、失点0。飛ばしすぎたか、100球を超えてまたストライクが入らなくなり降板したが、まずは合格点だろう。
出来れば、交代命令に唇を噛みながら戻るぐらいの傲慢さが欲しかったが。8対0での降板なのだ。安堵の笑みは無理もない。
なに、甲子園までまだ時間はある。
技術なら間に合わないが。精神は。魂は。自信を取り戻し蘇るに十分な時間が残されている。
「1」でも「10」でも、いいんだよ。対馬。お前にしか投げられない球がある。それでいいじゃないか。
 
一気に相手投手を飲み込む連打。準決勝に続き下位打線や代打から大量点を生んでしまう「底のレベル」の高さ。13対0から送りバントと犠牲フライで1点取るしたたかさ。堅い守備。果敢な走塁。
「駒苫らしさ」は、試合不足に泣かされ続けた今年のチームでも、ようやく完成に近付いてきた。
左右二人の「エース」に加え、久田という「第三の投手」も揃えた。
今年も“また”いろいろあったが、戦闘態勢は整ったようだ。
気まぐれな甲子園のマモノが、味方につくかはわからないが。
今年も、駒苫は強いよ。イヤになるぐらいにね。

No comments:

↑ このブログがお楽しみ頂けたら押して下さい。ただの「拍手」です。