似たもの同士の夕べ
前日になってから、俄に慌て始めた。
「何年来の友人」というのが一切いない私にとって、結婚式に招待されるなど初めてのことなのだ。
姉だとか親戚のには出た経験があるとはいえ、自分はやっていないから作法だの慣例だのも何ひとつわからないに等しい。
背筋が寒くなってきたのである。
5月15日の記事に書いた、突然5年ぶりに電話が来た友人の結婚式が、いよいよやってきたのである。
うろたえにうろたえまくった私は、最後の手段に出た。
その当人にメールをしてみたのである。
何しろ、他に誰が来るかもろくにわかっていない。私よりは社交性が高いその友人は、私がよく知らない人も「友人席」に呼んでいるに違いないのだ。
一人だったら、目も当てられぬ。寝ているしかないのではないか。
とはいえ、何せ式の前日である。時間も10時近い。夜の営みに燃え盛っていたりはしないんだろうか。
そんな実に下らない心配にすら苦しめられながら、おそるおそる。メールを送ってみたのである。
返信は、すぐに返ってきた。ばかりでなく、私を大いに落ち着かせた。
彼が高校からツルんでいて、進学校の癖に雁首揃えて私と同じ予備校に進んだ連中ぐらいしか来ないらしい。
ひとテーブルは12人だから、あいつらだけでほとんど席は埋まるだろう、と。
大いに安心した。予備校を無事卒業して以来11年、一度も会っていない顔ばかりだが、というか私は予備校もろくに通わず近所の競馬場に入り浸っていたので予備校でもそんなに関わりがなかったのだが、少なくとも緊張が必要な面子ではない。バカやった仲間ではある。
身の御しかたの、見通しは立った。もう用は無いのだが、あんまり夜の営みに移りたい気配もないので、小一時間ばかり馬鹿話をしてまた明日、ということになった。
さらに念には念を入れる。
来ることが確認できた面子のうち、一番親しく付き合いがあった友人にも連絡をとった。
まだ実家住まいの彼は、私と向かう方角が一緒なのである。電車に乗るのもかなり久々であり、親戚やら仕事関係やらの付き合いの人でごった返す式場を一人うろうろしたくはなかったのだ。
同じく5年ぶりの、少し腰の引けた調子の彼をも一気呵成に馴れ馴れしくあつかましい調子で圧倒し、私のペースで行程も決まったのであった。
当日。式は昼からだと言うのに、6時には目が覚めた。
よほど楽しみだったらしい。結婚式というよりは同窓会の気分である。
昔から日曜や遠足ばかり早起きする子供だった私は、毛脛の生え揃った30男になってもやはり変わっていない。
電車のデッキに乗ってしばらくすると、友人が乗ってきた。
やはり何の気遣いもなく、昨日も一緒にバカやってたかのように話かける私に、彼は多少面食らっていたようだったが。20分ほど揺られるうちにすっかり昔の通りの関係に戻っていた。戻りすぎて若干険悪な倦怠感すら漂っていた。
駅につき、平気で信号無視しながら歩いてゆく私についてこない彼を罵倒するうちに式場。20分前。ほぼ予定どおりである。
それはそれは、立派な式を予感させる要素に満ち満ちた受付だった。ホールでは弦楽四重奏の生演奏である。
育ちが違うのだ。結婚する彼は、地元有力企業の社長子息である。列席者には、すごい名前が並んでいる。
なかなかにつらい待ち時間であった。この日ほど、末席が素晴らしいと思ったことはない。隅っこで小さくなりながら始まるのを待った。
にしても、来ない。
さすが奴らである。結婚式だというのに5分前でも誰一人現れない。私より常識の無い人間がこれだけいるとは思わなかった。
当然ながら、当人は控室にこもっているし、式次第や席次を眺めるぐらいしかすることがなかった。
知った名前は、私を含め7名だった。親戚とおぼしき同じ苗字だらけの隣のテーブルから、こぼれたのであろう同じ苗字の親子連れが三名。
残りの一人。私の隣の席である。かなり特徴的な苗字に見覚えがあったが、よく思い出せない。少なくとも高校絡みではない。
不自然なのだ。テーブルの定員は12名。このテーブルの席は11席。高校7名親戚3名に、一人ポツンと割り当てられた変な苗字の彼。
と思ううちに、どやどやと友人が揃った。既に照明が落ちている。本当にギリギリに駆けこんできやがった。しかも一人まだ来ない。結婚式に遅刻する奴というのは聞いたことがないが、奴なら不思議ではないから不思議である。
そして、誰一人社交辞令を言わない。「よう」で終わりである。やはり、昨日まで会っていたかのような調子で何食わぬ顔をしている。
よくもまあ、こんなのばかり集まったもんである。良家のご子息なんだから、友達は選んだほうがいいと思うんだが。もちろん、私も含めて。
乾杯が近づき、グラスに酒を酌み交す。場違い感で溢れかえりそうな隣の彼に、ビールを注ぎつつ思いきって聞いてみた。
「(変な苗字)さんは、アイツの大学か何かの関係ですか?」
「あ、はあ。そうです。東京の○○大学で一緒で。」
「ああ、やっぱり。一度お会いしてると思うんです、アイツがライジングサンで友達を連れて来た時に一緒に飲んで・・・」
「ああ、あの時の方ですか!覚えてます覚えてます、確かニコタマなんとかとかいう変な名前の馬のハズレ馬券をくれた方ですよね?」
「え、あぁそうでしたっけ・・・ちょっとそれは覚えてないんですが・・・」
「いや、そうですそうです。あれしばらーく財布に入れてましたから。」
「ああそうですかー。ありがとうございます。ははははは」
今考えると何がありがたいんだかさっぱりわからんのだが、お礼を言われて気を悪くする人はいるまい。
にしても、よく覚えていたもんである。取引先の名前もろくに覚えない私が。それもこれも変な苗字のおかげであろう。
彼は私以上によく覚えていた部分があった。やはり変な苗字の人は、変な名前に敏感なものなんだろうか。
かくて、私の立場は完全に固まった。それは、決して歓迎すべきものではなかった。
左を向けば、ろくに連絡もしていないのに相変わらずな関係を保っている、相変わらずなろくでなしの軍団と相変わらずなヨタ話をし。右を向けば、一度しか会ったことない苗字は変だが立派な社会人の方と社交辞令を交わすのだ。
心に誓った。今日は、酔えない。酔えば確実に右と左を混同する。
別に左はどうでもいい、というよりこれ以上どうにもなりようがないのだが、右には最大限に居心地の悪い人がいる。昨日の段階で私が恐れた立場に、まさに置かれている人がいるのである。
この席以外割り当てようがなかった式の当人のためにも、ここは私が適度に居心地よいよう振る舞ってやるしかないではないか。
酔えない。注がれたら飲みまくらなければならず、かつ酔えない。なに、いつものことだ。やってやるさ。
やたら長いナントカ理事長の挨拶の間、私は決意を新たにし、右の彼のグラスに隙間を見つけ素早くビール瓶を手に取り、右の彼の顔色を伺
寝てる。
まあ、私も一度は覚悟したこととはいえ。
新郎さんよ。お前さぁ、ほんと友達は選んだほうがいいよ。こんなのしかいないのかよ。
式は滞りなく進んだ。
各界の著名人からの祝電が読み上げられ、嫁さんの親戚がガビガビに雑音が入ったテープを伴奏に日本舞踊らしきものを舞い、誰だかわからない女優はやたらに藤田まこととスティーブ・マックイーンの話を絡ませながら延々15分に渡り宣伝だけで新郎新婦に何一つ触れないスピーチを敢行し、ブツブツ文句を言いながらひたすら酒をかっくらう末席のろくでなし集団には目もくれず式は進んだ。
しかし、ろくでなしといえど、さすがに気が付いた。誰からともなく言い出したのである。
普通、友人一同からささやかな贈り物とかがあるべきなんじゃなかろうか。
何がいいか、と話す目の輝きが、既に尋常でない。
案の定、ろくでもない案が次々飛び出す。
・土鍋。
(あればあったで困らないが、まず買わぬ故)
・浄水機。
(自社製品)
・パイウォーター。
(最近見ないから)
・ミネラルウォーター。
(つい勢いで)
・東京ウォーカー。
(もはや語感のみ)
・コン○ーム。
(逆に?)
・札幌ドーム
(あげられるものならば)
・鹿の頭の剥製。
(縁起がいいから)
・えび。
(式次第・嫁の好物欄より)
・えびの頭の剥製。
(もはや考える気力なし)
という議論を経て。結局落ち着いたのは、「明日のメインの馬券」であった。
何千円か出し合えば、三連単で相当の数の目が買える、当たれば下手すりゃ何十万、いや何百万だぞ、という意見に抗える者はいないのだ。この集団には。
一人をWINSまで走らせ、ご丁寧にカードまでつけて寄せ書きをして。贈答品は完成した。
寄せ書きの中身が公開できないのは言うまでもなかろう。私はまだ後ろに手が回るようなことは、したくない。
式は続く。早くも酔っ払って顔が真っ赤になっている奴がちらほらいる末席には目もくれず式は進んでいく。
何せ、ずっとテンパった表情でかしこまっている絶好のからかい対象たる主役はこの末席からはるか遠くにいて、かつたまにお色直しとかいってちょくちょく姿を消すものだから、飲む以外することがない。
たまに右の人に社交辞令を言う必要がある私は、まだ幸せだったのかもしれない。何しろ、油断しきってぐだぐだになっている左側とは、からっきし話題がない。こいつらの近況だのなんだの聞いたって何にもなりはしないではないか。全員ろくでもない社会人生活を送っていると、ちゃんと顔に書いてある。
あることに気がついた。ハワイでとり行われたという神前式のビデオまで流れているというのに、誰一人新婦の話題をしないのだ。
結局こいつらは、私と同じなのだ。自分と関係のあるもの以外には徹底して興味が無い。わざわざ新しい関係を作るのは面倒で仕方が無いのだ。
類が友を呼びつつ、同類嫌悪で付かず離れずの関係を保って既に15年。5~10年のブランクがあれど、そのスタイルは何も変わっていない。
ぼんやりするうちに式は終わりになったらしい。とてつもなく下らない話をして笑い転げていたら、周りががさごそ立ち始めた。慌てて、いろんな酒を混ぜてじゃれあっていたせいで何だか得体の知れない液体になったコップをめいめい手に取り、神妙な顔を作り直す。乾杯。
悪ガキも31にもなると最低限の空気は読めるようで、まず大過なく終わった。
右の人は、日帰りで東京へ帰るらしい。つくづく、新郎はこの人にはひどいことをしたと思う。せめて仕事関係の若い人のテーブルにでもしてあげれば、何かしら楽しい思い出も作れたろうに。末席では、微かに面識のある私以外に右の人と話そうとする奴なんかいるわけがないのだ。
今度こっちに来たらまた是非、ということで別れた。私は「何かハズレ馬券を見繕っておきます」と約束した。私だってあぶないものだったのだ。彼の気持ちは痛いぐらいわかる。きっとまた会うだろう。また社交辞令しか言わないけど。
2次会は、ホテルのラウンジでやるらしい、とは聞いていたものの。発起人に名を連ねている奴ですらその店がどこだかわからない。徹底した連絡不足である。ロビーで30分クダを巻き、ようやくとった手段が式を終えた新郎に電話である。なら出る時に聞いておけばいいのに。と、誰もが思っていても誰もやらないのが我々なのだ。
ラウンジの奥のほうには、親戚や仕事関係の人とおぼしき集団が既に15人ほど集まっていた。誰が言うでもなく、そことは壁を隔てた席に着く。一緒に座ったら7人揃って仏頂面になるのが目に見えている。
ようやく、何だか落ち着いた。居心地が悪かったのは私だけではなかったらしい。油断の度合いがみるみる色濃くなっていく。
ついに話題が尽きたか、多少互いの近況を話し始めた。既に式の開始から3時間半。そこまで話題に上らないほど、互いにとってどうでもいい話題だったのだ。
しかもその内容は、聞いて損したとすら思った。全員わざわざ大学まで出ているのに、誰一人まっとうな社会人生活を歩んだものがいない。ちょっと前までパチプロだった奴が一人いる上、転職経験者が私を含め5人いるのだ。早めに結婚してここしばらくは転職していない私が一番世間的にまっとうなのではないかとすら思った。
話すうちに次第に話が遡り、互いの第一印象の話になった。小中高ずっと一緒の同級生の例を除けば、全員が「何だコイツは」と思った、という結論を得た。どうやら類が友を呼んだのですら無いらしい。同類嫌悪による嫌い嫌いも好きのうちだとか、そんなような関係のようだ。
既に全員3杯目の注文を終えた頃。一番「何だコイツ」と思われていたことにされた今日の主役がようやく登場した。
どうもどうもとしゃっちょこばった挨拶もほどほどに、奥の親族席へ向かう。まあ、それが無難だろうと思っていたら、向こうもそこそこの挨拶のみで我々の飲んだくれ席のほうへ来てしまった。
いいのか?と一応人並みな心配をする我々の前に、あ?いいんだ、と。ようやくよく見知った彼の顔が出た。彼が一番、窮屈な思いをしていたのだろう。まあまあとやるうちに、祝うというより結婚式をねぎらう会みたいになってしまった。
結婚しているものは4人いるが、まともな披露宴をあげた奴が一人もいないのだ。私が呼ばれないはずである。そもそもその私に至っては何一つ式典的なものをしていない。写真すら撮っていない。面倒だからだ。
面倒だよな、面倒だった。やっと終わったよ。いい家も大変だよな。それだけが我々の空気であった。
おめでとうはそっちのけ。隣に座った嫁さんもそっちのけ。馴れ初めだの新婚生活だの、普通聞くようなことはやはり何一つ聞かない。互いに干渉されたくない私達には、それを聞いても何にもならないし聞かれたくもないだろう、という共通理解が出来上がっていた。
いい加減出来上がって、仲間だけの3次会で鍋をつつくあたりでは、もうすっかり昔の顔である。式の当初は、あれでも相当分別くさい体を取り繕っていたのだろう。あれでも、あのレベルですら我々には負担なのだ。まっとうな社会人生活が送れないはずである。
それでいて、これから俺達どうなっちまうんだろう、なんて不安を言い出す奴も一人もいない。なるようになるしなるようにしていける、という自信があるらしい。くだらないことを言っては貶しあってカラカラ笑っている。底抜けに楽天主義なのも、やはり私と同じのようだ。
三次会が終わり町を練り歩く頃には、何の集まりだったかすら忘れてしまったような気分があった。「おめでとう」というのはギャグですらあった。誰もめでたくなんかないのである。祝う側ですら、式は口実でしかなかった嫌いがある。
電車の時間があるから帰る、という私を、誰も止めなかった。疲れたからとか眠いからとか言ったら市中引き回しの刑に処するが、事情のあるものは決して止めない。それは昔からの暗黙の了解だった。
おめでとう、と肩をバンバン叩く私と叩かれる彼を、みんなニヤニヤ見ていた。
飲み会で一番大事なのは、別れ際である。ぐずぐず言う奴がいると醒める。別れ際がこうだから、私達はいつでも飲み歩いていられたのだろう。
めでたいことにされたかわいそうな奴をからかう会は、私が帰った後もまだしばらく続いたらしい。
いい夜だった。心の底から、いい夜だった。
こういう夜なら、たまにあってもいい。
多分また10年ぐらい無い気はするが。そんな関係だから長続きする、ということも世の中にはあるらしい。
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