「割り箸」と「地球温暖化」から考える現代人の思考形態
何がどうなってそうなったかわからないが、知らないうちに「割り箸 地球温暖化」で検索していたのである。
こういうことが、私にはよくある。実によくある。最初は目的をもって検索をしていたのが、その着いた先のリンクであったり、そのリンクの中の気になった一語であったり、辿ったり検索したりしているうちに何を求めているかわからなくなる。その途中でたまたま入力した検索ワードが、「割り箸 地球温暖化」だったのだろう。
割り箸と、地球温暖化。誰の身近にも、「割り箸なんか使ってたら地球が温暖化しちゃうよ?」なんて言いながら得意げに「マイ箸」なるものを持ち歩く自称エコロジストがいるんではなかろうか。私の周りにはうじゃうじゃいる。そういう方の集まる団体と付き合いが多くならざるを得ないので、いつも鬱陶しい思いをしているのである。奴らは不意に、「ロハス!」とかいうラピュタの滅びの呪文のような謎の言葉まで口走るのだ。面倒くさいことこの上ない。
では、そういう思い込みの強い方々、それも私から見ると低次元と言わざるを得ない思い込みを持つ方々は、どういう思考でそれに至っているのであろうか。そんなような興味本位が、どこかから沸いてきてカタカタとキーボードを叩いていたらしいのである。
いつもなら、ここからさらにあれやこれやと足を伸ばして、時間になったら帰るのが私の暇な日のサボりパターンなのだが。今日はここで期待以上に面白い検索結果が出たので、記事にしてみようと思うのである。
まずは、Googleでの「割り箸 地球温暖化」検索の結果をご覧頂きたい。
ペンギン飼育係が見た: 地球温暖化と割り箸
地球温暖化と割り箸. 禅の話は1回休みます。 地球環境について、私達でも簡単に出来ることをすこし取りあげます。 我々バックエンドチームは殆ど皆外食族です。わけあり、 弁当を作ってくれる人がいない、あるいは作ってくれないので毎日外食生活を楽しん ...
blog.miraclelinux.com/penguin/2006/12/post_d2ba.html - 31k -キャッシュ - 関連ページ - メモをとる 森林と割り箸 二酸化炭素と地球温暖化 やさしいバイオテクノロジー ...
これもタイトルの通り、割り箸が森林破壊の元凶だと一般に思われている信仰を切り捨てています。 これらの本を参考に、地球温暖化と森林と割り箸について簡単に解説します。 ・森林にある植物は、光合成により空気中の二酸化炭素を吸収し酸素を排出します ...
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我孫子市ではスローガンを決め全職員が一丸となって地球温暖化防止に取り組んでいます。 計画の推進にあたっては、全庁的な推進体制 ... 6種類分別の徹底、使い捨て容器の分別徹底、庁内用エコバック使用の 推進、マイ箸使用の(割り箸不使用)の推進 ...
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地球温暖化の原因や対策、影響や国の取り組みなどについて。また、環境問題について個人で出来る対策なども紹介しています。 ... ここでは割り箸の消費量やそれに伴う森林破壊、また割り箸の代用品(マイ箸など)などを見ていきましょう。 ...
www.glwwp.com/ - 10k -キャッシュ - 関連ページ - メモをとる 栗野的視点/地球温暖化防止以上に健康被害がもっと怖い割り箸の使用
そう、割り箸の問題は地球温暖化だけではなく、健康被害を含め様々な問題を含んでいるのだ。 ... 割り箸の問題は地球温暖化防止のためという以上に、自らの健康を守るために使用を控える必要があるのだ。 では、割り箸をマイ箸に替えれば健康が守られる ...
www.liaison-q.com/kurino/eco02.html - 8k -キャッシュ - 関連ページ - メモをとる
本来Googleのポリシーで言えば、上から順に「割り箸 地球温暖化」に話題が近くかつ重要度の高いページになるはずなのだが。こうした絞り込み検索をした場合の常として、両方を重要なタイトルやキーワードとしているサイトが少ないため、ページランクにのみ依拠したランク付けになってしまう場合が多くなる。
一番上のページはまさにそのパターンだろう。詳しく見ていないから知らないが、Linuxに関連する仕事をやっている会社の社員ブログ的なものらしい。
当然、「割り箸 地球温暖化」の問題に対する見識は低い。まあ、当然だろう。IT企業の社員さんがごくごく日々の雑感を書き綴ったものであって、学術的価値を求めて必死に研究した成果の発表ではないのだから。
そうしたお気楽に書かれたものを謂わば晒し者にしてしまうのに抵抗が無いわけではないが、ページランク3のサイト上で広く世界へ発信しているのだから、賛否があるのは承知の上だろう。
web上での発言は、世界の誰かに影響を与えるやもしれぬ、という責任意識をもって為されるべきものである。間違っていたら、速やかに修正しなければ意図せず誰かを騙してしまうやもしれぬのだ。
まあ、そんなわけで。一番目のページを見てもらいたい。割り箸に関する「非常によくある勘違いとその論法の無理」の好例として。
地球温暖化と割り箸
禅の話は1回休みます。
地球環境について、私達でも簡単に出来ることをすこし取りあげます。
我々バックエンドチームは殆ど皆外食族です。わけあり、弁当を作ってくれる人がいない、あるいは作ってくれないので毎日外食生活を楽しんでいまーす(!?)という人等々。
今日も昼ごはんの時間になりました。本日はコンビニに行って弁当を買うことにしました。私は店員さんが付けてくれた割り箸をプラスチック製のフォークに交換します。なぜなら、プラスチックなら、リサイクルができるからです。木製の割り箸は使い勝手がよくて使い捨ても便利ですが、私は敢えてプラスチックのフォークを使用するようにしています。実は使い終ったフォークを洗って、次の日に再度使うようにしています。試しに私が割り箸を使用した場合の一年間の消費量を計算してみます:
一日(昼と晩) => 2 膳
一週間 => 2 x 5(日) = 10 膳
一年間 => 10 x 50 (週) = 500 膳
例えば、日本全国1億2000万人の3割が上記のように割り箸を使用するとしたら、500膳 x 3600万人 = 18億膳の年間消費量になります。かなりの木を切り倒さなければなりませんね。これらの木は勿論外国からの輸入に頼ります。どこかの國の木が減少したことで、砂漠化や地球温暖化に拍車をかけます。それが再び異常気候としてどこかの國を荒らします。それが日本になるかもしれません。携帯電話と同じ様に、My 箸も必須道具になればいいですね。
因みに、私は帰宅時に、自分の管轄内の使用されていない実験用サーバ電源を切って帰るようにしています。皆さんはどうされているのでしょうか?
- ペンギン飼育係が見た:地球温暖化と割り箸 より(http://blog.miraclelinux.com/penguin/2006/12/post_d2ba.html)-
何だか凄そうな数字が並んでいる。18億膳!ヒェー明日からは私もマイ箸ね、なんて思ってしまう人もいるんではなかろうか。
まあ、ちょっと落ち着いて考えてみて欲しい。この記事を書いた人にも落ち着いて欲しい。3600万×500膳は180億膳である。ものすごく単純な計算ミスをしている。
実際の年間割り箸消費量が「何膳」なのか私は知らない。カレーやパスタのような洋食では箸は使わないだろうし、ファーストフードもまず使わない。寿司だって使わない人も多い。そもそも3割もの人が外食だらけとも思えないし、そうやって考えると180億膳というのはちょっと多すぎる気がする。
まあ仮にその数字が正確としてだ。
問題なのは、単位が「膳」なことにある。「膳」なせいで、180億という愕然とするような数字が弾き出されているのだ。
今回の論旨は、割り箸を使った分だけ木が伐られている、というところにあるはずだ。なら、本来「木を何本切ったか?」で説明すべきではないのか?
ここに1膳の割り箸がある。今、うちの会社の給湯室に行って取ってきたのである。
長さ20cm。幅が太い側で1.3cm、細い側で0.7cm。厚さが太い側で0.4cm。まず標準的な大きさだろう。
これから1膳分の体積を求め、それを180億倍すれば、日本人が割り箸で年間に消費している木材の量が求められるはずだ。ということは、年間何本の木が必要かもわかるはずだ。
まず、1膳の体積。割り箸は、太い側と細い側を交互に組み合わせて作ってるはずだから、幅は数字の便宜上中間の1cmにして差し支えないはずだ。まあ誤差を多めにするため厚さを0.5cmとすると、1膳の体積は
20cm×1cm×0.5cm=10c㎥
となる。これに製造時の歩留まりの分が加わって1膳に必要な木材量になるわけだが、細かいのは面倒なのでものすごく多く見積もって仮に半分歩留まりが出るとすると、1膳の体積の2倍で20c㎥になる。それを18000000000倍だから
20c㎥×18000000000=360000000000c㎥
何だかさらに数字が大きくなった。3600億である。より怖ろしく感じてしまう人もいるのではなかろうか。実際は単位が「膳」から「立方センチメートル」というさらに小さい単位になったから、というだけなのだが。
単位を変えてリットルにしてみる。3億6000万リットル。2リットルのペットボトルにしたら1億8000万本、それを並べたらなんと長さ1万4400km、東京からユーラシア大陸と大西洋を横断してアメリカまで達します!だとか。数字のお遊びで脅すことはいくらでもできる。そういう騙しに乗らず、本質を見なければならない。
単位を立方メートルに変えると、360000㎥。何だか途端に迫力のない数字になる。
これを覚えておいてもらって、次に原材料の木の体積を求めてみる。
直径30cm、樹高15m弱。樹種にもよるが、まず30年生ぐらいの若い木だろう。それぐらいのものを使うものと考えてみる。この木から0.2m×0.2m×10mの角材をとって加工をするとして、1本の体積は
0.2m×0.2m×10m=0.4㎥
ということは。先程の年間割り箸消費体積の360000㎥を本数に直すと
360000÷0.4=900000本
90万本。まだ多い気がする人もいるだろうか。だがこれは、日本全国で割り箸を一年間使いまくった場合に使われる量として想定された数字だ。それで、せいぜい90万本。果たしてそれは多いだろうか?
本数ではまだわかりにくいので、面積にしてみる。この90万本が、2m間隔で縦横直交の列状に配置されているとすると、1本あたりの占有面積は4㎡になる。従って、90万本分の占有面積は
900000×4=3600000㎡=360ヘクタール
随分小さい数字になってきた。面積で話をする場合の決まり文句に「東京ドーム何個分」ってやつがあるが、あれは東京ドームを4.6ヘクタールとして計算している。この場合なら78個分だ。それでもまだ想像力に欠けた人なら騙せるかもしれない。割り箸を使い続けることで、貴重な森林が毎年東京ドーム78個分ずつ失われていくのです、とか、喪失が永遠に継続されるかのように言えば、多分日本人の半分以上は騙せるだろう。
東京ドーム78個が、日本の森林面積に占める割合で言えばどのぐらいか、だとか。そういう想像が出来ないからだ。
日本の森林総面積は、1995年の報告で2515万ヘクタールとされている。そのうちには自然保護の観点から一切伐採が認められていない森も含まれるが、人の手で植えられた人工林が約40%とされているから、まず1000万ヘクタールぐらいは「伐ってもいい森」があることになる。
360ヘクタールというのは、そのうちの0.0036%に過ぎない。100年かかってようやく0.36%である。
日本人の3割が、割り箸をあらん限り使いに使いまくってようやくこの程度なのだ。この程度を伐ったところで、種が飛んで勝手に生えてくる分だけでも補完できるのは間違いない。
かなりの木を切り倒さなければなりませんね。これらの木は勿論外国からの輸入に頼ります。なんて何の想像もしないで言ってみても意味が無い。日本に限定して言ってもこの程度なのだから、諸外国にかける迷惑を総合したってたかが知れている。
何ら専門知識は使っていない。せいぜい日本の森林総面積ぐらいで、それだって検索すればすぐに出てくる。ちょっと想像すれば、ここまで出せるのに。18億膳(実際は180億膳だが)という天文学的数字で思考停止してしまうから本質を見失うのだ。
そもそも、この人は根本的に忘れていることが一つある。木というのは、植えれば育つのだ。
仮に、割り箸をあらん限り使いに使いまくる3600万人の人が、一人1本ずつ木を植えたとする。3600万本。年間に割り箸になる木が90万本だから、それは40年分の割り箸をまかなえる量になる。40年あれば立派な材木に育つだろう。40年に1本、一生に2本植えれば、一生で使う割り箸分の森林ぐらい自分で何とかできるのである。
何とかしようのある割り箸に比べ、この人の日常には取り返しのつかない環境負荷を与えている要素が実に多い。
ほとんど外食。特にコンビニ弁当。これほど環境にとって悪いことはない。弁当のパッケージはほとんど石油原料で作られている。一緒にお茶かなんか買うならペットボトルもそう。それらの原料の石油は、何万年何億年とかけて自然作用で生まれたものだ。多少は植物から作る技術が発達しつつあるが、まだまだコストが高いから実用性がない。
プラスチックならリサイクルできる?とんでもない。取り返しの利かなさで言えば木材とでは比較にならない。リサイクルされたところで、歩留まりは出るしリサイクルにもエネルギーが必要になる。現状は、そこでも石油を使うのだ。
せっかく地中深くに埋もれていたものを燃やして大気中に放出するのだから、多少リサイクルでごまかしたって環境に負荷をかけ続けていることに変わりはない。
木材の組織の半分は炭素で出来ている。その炭素は、大気中の二酸化炭素を吸って出来たものだ。もちろん燃やしたり捨てて腐ったりすれば大気に放出されるが、吸ったものを吐いただけだから収支はプラマイゼロになる。使っただけ大気中の二酸化炭素を増やすプラスチックとはまるで違うのだ。
それをさも得意げに「割り箸は断ってプラスチックのフォークを」なんて言うのだから、何をか況やである。だいたい、洗って翌日も使うって、割り箸だって洗えば翌日ぐらいまでは使えるだろうに。
外食そのものも問題だ。外食は、食材のロスが非常に多い。大量生産だから経済的で無駄がないように思うかもしれないが、使える部分以外は容赦なく廃棄するし大量に抱えた分の腐れロスも出るから、自炊と比べ食材消費率が高いのだ。だから価格も高くなるのである。
と、いうことは。その無駄になった食料を生産する分だけ、世界のどこかの森林を潰し畑にするのに加担していることになる。その分も、割り箸節約分により抑えた環境負荷より圧倒的に多いはずだ。
マイ箸も含め、そんなことをやっているよりすぐ山に行って木を植えるほうが効果は圧倒的だ。何せ1本植えれば40年分である。
家族でキャンプがてら湖にでも行って、人数分木を植えたらあとはたっぷり遊んで。それが、40年分の割り箸使用に見合う環境活動なのだ。割り箸不使用のためだけにわざわざ毎日マイ箸なんか携帯して面倒くさい思いをするぐらいなら、そっちのほうがよっぽどいいではないか。
それが本質を見た考え方、というものではないだろうか。
割り箸だけでなく、建築でも家具でも紙でも薪でも何でも、現状で消費される木材の量というのはたかが知れている。植えたり自然に増えたりで取り戻せる量は超えないし、使うと森が壊れるなんていうのは誤解もいいところだ。森は、そんなにヤワじゃない。
そして、使うために伐る人は、使った分どうするかを考える。植える。手入れする。育てる。伐って終わりにはしない。そうしないと収入がなくなるからだ。
使えるものはどんどん使っていい。使った分だけ植えればいいのだから、植えてくれる人に植えるための資金を回すためにはむしろ使ったほうがいいのである。
「森林破壊」について言うなら、問題にすべきなのは使いもしないで伐ってしまっていることにある。
畑を作る、牧場にする、家を建てる、ゴルフ場にする、何やらかんやらの理由で森を伐り倒し、伐った木は使いもせずに捨てている。その面積や本数は、使うために伐られた量とでは比較にならない。
もちろん伐った分だけ植えるなんて発想は無い。さらに、使い終わったというべき過疎地の耕作放棄地や潰れたゴルフ場、そんなものは知らんとばかりにほっぽり出したままだ。その森は、何百年も経たないと元の森には戻らない。単純なマイナス。これは、間違いなく今後やってはいけないこととして糾弾すべきことだ。
それと同じ文脈で割り箸を語るのは、勘違いも甚だしい。
と。いうことを踏まえて。
2番目のサイトである。DNA分析なんかを研究していて、本も出している大学の先生のブログらしい。ミートホープ事件なんかも扱っていて、そういう専門分野での記事には非常に面白いいい記事が多かった。
環境分野は(恐らく)専門外なのだが、私と同じように日々似非エコロジストを苦々しく思っているらしく、1番目のような典型的思考停止型非科学的環境論に反論する記事も載せられている。これもその一つらしい。
だが、まあ専門外にはあまり首を突っ込まないほうがいいというか。読みかじり知ったかぶりのしどろもどろ感が拭えない記事になってしまっている。やはり、ことの本質からはズレてしまっているのだ。
長い記事なので、全文は引かない。ポイントで抜粋する。是非、原文も読んだ上で私の指摘を読んでもらいたい。
森林と割り箸 二酸化炭素と地球温暖化
地球温暖化対策のためには二酸化炭素の排出量を削減する必要があるそうです。
この命題は一般的には真だと受け止められていて、本気かパフォーマンスか知りませんが、さまざまな企画され、日常生活の中で二酸化炭素の排出量を減らそうとの涙ぐましい努力がなされています。
日本が削減しないといけない二酸化炭素の量のうち、森林が吸収してくれる二酸化炭素も含まれているそうで、この分を引いた分だけ産業・家庭などの努力で減らせばいいらしい。
~中略(三治)~
しかし、植物もいつまでも成長し続けるわけではなく、やがて老いて成長が鈍り、死んで枯れます。
成長が止まると光合成も止まります。
死ぬと腐敗が始まります。腐敗という現象は、微生物によるセルロース分解です。これは燃焼ですので、二酸化炭素が発生します。完全に腐敗しきると、植物の吸収した分の二酸化炭素と同じ量の二酸化炭素が出ます。
植物が生長している過程では、確かに空気中の二酸化炭素は減りますが、森林全体をみると、成長期の林、老いた木、死んだ木、分解されつつある木などが混在しています。森林全体としてみると、二酸化炭素の吸収と排出量はほぼ同じです。
一般によく手入れされている森林だと、空気中の二酸化炭素の量を減らすことはできます。
植林から間伐、伐採を計画的に行っている場合、成長期の木の割合が高くなり、二酸化炭素の吸収量が排出量を上回ることになります。
ところが、森林を守ろうとのかけ声の下、何も手を加えないとどうなるでしょうか。間伐しないで雑然と成長すると、やがて日光が遮られ、多くの木の成長が止まります。当然光合成も鈍ります。老木が増え、枯れ木が増えると、ますます光合成を行う木の割合が減り、腐敗による二酸化炭素放出量が上回ることになります。
空気中の二酸化炭素を減らさないといけないとの前提の話ですが、もしこれを森林により達成しようとするのなら、森林を単に守るだけではかえって逆効果で、計画的な伐採・植林が必要なことがわかると思います。木によっては放っておいても増える種類がありますので、定期的に老いた木や密集した木を間伐、伐採するだけでも有効で、あえて植林しなくても若い木々を保つことができます。
森林を守るとはこのようなことであり、決して伐採反対だけで達成するものではありません。
木を切ることであればどんな場合でも反対する「自然保護」を自称する団体がありますが、彼らの行動により、二酸化炭素を減らすことが目的であれば、その目的の正反対の二酸化炭素を増やすことをしていることになります。
~中略(三治)~
割り箸の話に移ると、割り箸を確かに一回の使用で使い捨てにしてしまうのはもったいないような気がします。では、何度も使うのがいいのか、あるいは塗り箸を持ち歩いて割り箸を使わないことがいいのか、考えてみましょう。
割り箸自身は元々間伐材など、ごみになるような木から有効利用して作られています。
プラスチック箸はもちろん石油から作られています。
箸を洗って使うとなると、水道水を使い洗剤を使うわけですから、環境への負荷がかかります。
レストランなどで塗り箸やプラスチック箸などを使うところは、大量の箸を環境に負荷をかけながら洗い、最後にアルコールなどで消毒するそうです。洗剤やアルコールなどの薬剤を使い、廃液を出し、なにより、労働負荷がかかります。
レストランで割り箸を使うことは、コストが安く、労働負荷も低い。割り箸はゴミになりますが、多くは生ゴミと一緒にごみになるため、生ゴミを焼却処理するときに、割り箸は有効に働いてくれます。
個人でマイ箸を持ち歩いている人は、何処で洗っているのか知りませんが、マイ箸を衛生に保つことはかなり難しいのではないでしょうか。
割り箸を使わないことが森林を守ることになる、ひいては地球温暖化対策になる、と思っている人は多く、また、マイ箸を持ち歩いているような人たちはその思想を他人に押しつける傾向があるでしょう。
しかも、鼻持ちならないのは、そういう人たちは、自然保護に関心を持ち、大変いいことをしていると優越感臭をプンプンさせています。
しかし、この思想は単なる思いこみ、勘違い、であり、科学的ではありませんし、実用的でもありません。
それどころか、その思想は、環境をより悪化させ、地球温暖化をより促進させていると知ったら、この人たちはどうするのでしょう。
あっさり転向するのか、それとも信仰を守り通すのか。
- 森林と割り箸 二酸化炭素と地球温暖化 やさしいバイオテクノロジー/ウェブリブログ より(http://yoshibero.at.webry.info/200705/article_5.html)-
まずは、一段目。「本気かパフォーマンスか」だとか、「涙ぐましい」だとか、のっけから斜め上に構えた姿勢が際立っていたので載せておいた。
およそ学術論文では見ない書きぶりである。専門外だからやっぱり気楽なのだろう。そして、現状の環境ムーブメントへの反感がそこはかとなく伝わってくる。何が何でも揚げ足とってやろう、という意気込みすら伝わってくるように思うのだが、私の穿ち過ぎなのだろうか。
二段目。いよいよ核心である。最近出た環境問題に批判的な本に触発されたらしいのだが、批判しようと躍起になりすぎたか、多少自家撞着気味の部分がある。
植物が生長している過程では、確かに空気中の二酸化炭素は減りますが、森林全体をみると、成長期の林、老いた木、死んだ木、分解されつつある木などが混在しています。森林全体としてみると、二酸化炭素の吸収と排出量はほぼ同じです。これは、林業用人工林の話でなく、自然林の話とするなら正しいと思われる。私が計ったわけではないが、どの本を見てもそう書いてある。
木というのは、上に伸びる時期に組織に炭素を蓄える。どんどん背が高く大きくなる時期だからおわかり頂けるだろう。
やがて、だいたいどんな木でも10mを越えたあたりから、上への成長が鈍くなる。横に枝を広げ幹が太くなる。そうなると葉の量も増えるから、呼吸による炭素放出量が吸収量に近づいてくる。
ただし。死ぬまでは決して放出が吸収を超えることは無い。何故なら、植物は呼吸に使うエネルギーも全て光合成で賄っているからだ。根から吸うのは水と組織生成に使う窒素やリンなどの養分だけで、燃焼に絶対必要な炭素は大気から吸う以外得ようがないからだ。デンプンを蓄える機構は木には無いし、種を作って飛ばすにも養分が必要になる。
枯れたり倒れたり、死んでようやく腐敗により放出だけになる。それと、林床にぽつぽつと生える幼木の吸収量がちょうど拮抗するのだ。だから、吸収と排出がほぼ同じになるのである。
そして、間伐や植林を行うよく手入れされた人工林では、この収支が吸収側に偏る。そこまでは、まさにお説ごもっとも、よく勉強されました、なのだが。
批判脳にとりつかれているこの先生は、この話を拡大解釈してしまう。
ところが、森林を守ろうとのかけ声の下、何も手を加えないとどうなるでしょうか。間伐しないで雑然と成長すると、やがて日光が遮られ、多くの木の成長が止まります。当然光合成も鈍ります。老木が増え、枯れ木が増えると、ますます光合成を行う木の割合が減り、腐敗による二酸化炭素放出量が上回ることになります。何だか、さっきのIT企業と同じレベルに堕した感すらある。
やっぱり大事なことをわかっていない。森の木は、放っておいても生えてくる、そのイメージが無いのである。
間伐したりしないと生えてこない、わけではないのだ。木には、陽樹と陰樹というのがある。陽樹は成長は早いが日なたでないと伸びられない木、陰樹は成長は遅いが林床の日陰の僅かな光でも成長できる木のことである。
最初に陽樹がぐんぐん伸びて林冠を覆い、その子供達は暗いところでは生きられないから次第に減っていき、次第に陰樹の森に切り替わっていく。これを遷移と言う。そこに山火事があったり、台風による風倒や地滑りがあったり、枯れ木の倒伏があったりして陽樹の子供が育つ日のあたるゾーンが確保される。これを撹乱と言う。そうやって、常に入れ替わり立ち代り生まれ変わっていくのを100年200年のスパンで繰り返しているのが森なのだ。
いくらいっぺんに育ったところで、枯れ木だらけにはまずならない。放出が吸収を大幅に上回ることは起こり得ないのだ。
そもそも、先生ご自身
森林全体としてみると、二酸化炭素の吸収と排出量はほぼ同じです。と書いたばかりではなかったか?「自家撞着」と言ったのはここである。それとも、「自然林」と「放置人工林」では違う、とでも言うのだろうか。違いやしないのに。
人工林や里山を放置せず間伐しないといけないのは、スギやヒノキのような陽樹林を維持するためだ。撹乱を人工的に起こすのである。放っておけば枯れ木林になるから、ではなく、陰樹林になってしまうからなのである。それを炭素収支の話と取り違えてはいけない。
そして、木はそう簡単に腐らない。森に入ったことがある人ならわかるだろう、そこらじゅうの倒木は、動かさない限り倒れたままで何年も何十年もほぼそのままの姿を保つ。炭素の大部分は固定されたまま残るし、木自体が枯れて呼吸していないんだからその分の排出量だって減っている。
枯れ木林になったところで、排出量自体大したものではないのだ。おまけにその排出する炭素だってもともと大気から吸ったものなのだから、放っておいたら二酸化炭素出し放題、大気中にも増え放題みたいな言い方は完全な間違いである。参考にした本が間違っているのか、先生の誤読なのかはわからないが。
さらにもう一つ。間伐や定期的な伐採を行うとして、だ。その木はどこへ行くのか。そこまで考えていないのではないか?
伐った木は森からいなくなった、というだけで、どこかで放っておけばやはり炭素を放出する。放出しないようにどこかに格納でもすると思っているんだろうか?
そもそも、切るためのチェーンソーはほぼ全てガソリンで駆動する。運び出すトレーラーは軽油を使う。加工するにしても燃やすにしても、どこかでエネルギーを別に使って処理される。だから、手入れの行き届いた人工林でも、結局炭素収支は拮抗するようになっているのだ。
「伐れば炭素を放出しない、伐らなければ放出する」と言ってしまうのは考え方として浅薄に過ぎる。
伐った分を燃料にするだとか、プラスチック製品を木や紙の製品に変えていくだとか。化石燃料削減の方向に話を持っていけばまだ説得力があったのに。とにかく批判、と焦ったのか短絡的に根元を崩しに行くから足下が怪しくなってしまっている。
そして三段目。いよいよ割り箸である。ここはもう初っ端から終わりまで怪しい文言で埋め尽くされている。
割り箸自身は元々間伐材など、ごみになるような木から有効利用して作られています。割り箸=間伐材というのは、国産の割り箸に限定した話になる。輸入品は、普通に材木用に伐った木から作られる。さらに、割り箸の9割は中国などからの輸入品であるから、まるで全部ゴミから作ったみたいなこの書き方も事実誤認ということになる。
ちなみに、間伐材だってゴミではない。割り箸や鉛筆等の小さい木製品は重要な用途だし、紙の原料にもなれば今流行のペレットストーブの燃料にもなる。わざわざ間伐するような林業者は、せっかく伐ったのだからできるだけ金に換わるものに、と知恵を絞る。ゴミにされてしまうのは、邪魔だからと伐られた木だけなのだ。
箸を洗って使うとなると、水道水を使い洗剤を使うわけですから、環境への負荷がかかります。洗い手間にまで突っ込んで言うなら、割り箸の製造手間だって言うべきだろう。1回使い捨ての割り箸と、1年ぐらいは使うんだろう塗り箸やプラ箸では、期間トータルでの製造コスト・環境負荷がえらい差になるはずだ。
レストランなどで塗り箸やプラスチック箸などを使うところは、大量の箸を環境に負荷をかけながら洗い、最後にアルコールなどで消毒するそうです。洗剤やアルコールなどの薬剤を使い、廃液を出し、なにより、労働負荷がかかります。
仮にそれで割り箸のほうが環境負荷が少ないなら、なぜ家でみんな塗り箸を使ってるんだ?全て割り箸に切り替えろぐらいの話が出たってよさそうなものである。
あくまで「問題になるような負荷ではない」というだけの話であって、使い捨てのほうが環境にいいなんていうのは○○を食べるだけで痩せるという破滅した論理に近い。
批判脳にとりつかれて極論に走りすぎた典型例だろう。
割り箸を使わないことが森林を守ることになる、ひいては地球温暖化対策になる、と思っている人は多く、また、マイ箸を持ち歩いているような人たちはその思想を他人に押しつける傾向があるでしょう。結局、こういう手合いに何とか言ってやりたかったというだけなのだろう。だからと言って中途半端な読みかじりで反論を書こうとするからこうなる。ミイラ取りがミイラというのはこういうことを言うのである。
しかも、鼻持ちならないのは、そういう人たちは、自然保護に関心を持ち、大変いいことをしていると優越感臭をプンプンさせています。
お気楽に書いたのは同じなのだろうが、IT企業の社員ではなく仮にも大学の助教授という肩書きを持って発言しているのだから、もう少し責任と自覚をもってもらいたいものだ。
そして、さらに2番目のような「よくある批判脳的反論」にさらに批判脳的に反論している部分があるのが5番目のサイトである。
Googleさんは実にうまいこと「世間によくある見解順」に配置してくれたものだ。つい記事にしてしまいたくなるぐらいうまい順番だった。
このサイトの作者は、ジャーナリストらしい。ジャーナリストな割に「著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します」とか書いていて著作権法すら読んでいない人らしいが。無断引用が認められていなかったら迂闊にいい論文なんか書けない。引用連絡だけで日が暮れてしまうんではなかろうか。
そんな妄言に構う必要はないのだが、たかがブログの記事ぐらいのことで訴えられでもしたら面倒なので、リンク再掲だけにしておく。お手数かけて申し訳ありませんが、リンクを辿って読んでみて下さい。
- 栗野的視点/地球温暖化防止以上に健康被害がもっと怖い割り箸の使用(http://www.liaison-q.com/kurino/eco02.html)-
さすがジャーナリストである。きちんと割り箸の年間使用量を調べてある。先程は面倒くさがって調べていなかった私も今調べてウラをとったが、この数字で合っているようだ。林野庁の公表資料に出ているが、250億膳で45万㎥だそうな。
先程は疑義を呈したが、さすがIT企業、なかなか侮れない。いいところをついていた。計算は間違ってたけど。
私の計算の前提条件を180億膳から250億膳に変えてみると、必要木材量は50万㎥になる。実際が45万㎥だから、私の想定力もなかなかのものである。と、さりげなくアピールして疑義を呈したことへのマイナスイメージを払拭し、上記の想定数量を書き変えていく手間を削減しておいて、記事内容に進む。
やはり、間伐材使用の件での反論は多く聞くのだろう。割り箸の9割は輸入であることを指摘しているが、それについては一番目のページについてそもそもその量が大したことが無いという反論済みなので、詳しくは触れない。
にしても、こんな量ごときの割り箸だけに限定して全面輸出禁止しようとする中国という国は。外交カードに利用しようとしているのが見え透ける。そんなことするぐらいなら倍ぐらいに値上げしたほうがよっぽど儲かるのに。
通り一遍の、一番わかりやすい森林破壊や地球温暖化の観点からの割り箸批判も書いているが、この記事での力点はそこには無い。タイトルの通り、地球温暖化「だけでない」のであって当然「だけでない」対象の健康被害の問題のほうを強調したいのだろう。
にしても、変な文章だ。中国産が止まる止まると言いながら、結局は中国産に頼らざるを得ないのが現状って、止まったらどうするつもりなんだろうか。そこにビジョンがなさ過ぎる。
止まったらあとは値段の問題じゃないだろうに、値段を理由に国産材の復権はあり得ない、というのは論理破綻だろう。国産材しかなくなるんなら復権するしかないんだから。
しかも、中国産のものの健康不安を散々煽っておきながら、だ。金魚鉢に入れたらみんな3日で死にましたよ、と脅しておきながら、だ。「塗り」が問題なんだから塗り箸もプラ箸も危ないんですよ、とまで言っておきながら、だ。それでも、中国から割り箸を輸入すること自体を否定しようとはしない。
何だか不自然じゃなかろうか。国産の間伐材利用品を応援しましょう!になるのがどうみても自然な流れなのに。林業従事者がいないからもうだめだろうって、使わなければさらにダメにする一方ではないか。
ちなみに、金魚鉢に入れたら死ぬのは、箸だけではない。もっと身近にある。私達が毎日口にするものにもある。ご存知、塩素たっぷりの水道水である。これはテキメンに利く。地方によって塩素濃度に差はあるらしいが、多くの地域では3日も持たないだろう。金魚だから死ぬんであって、人間なら影響が無いとは言えないまでもすぐ命に関るようなことが無いのは言うまでもない。
こういう根拠の薄弱な脅しを使い。一つ一つアレはダメ、これもダメ、と潰していって。このブログの以前からの読者の方には、「どこかで見たパターン」ではないだろうか?そう、2月9日の記事で書いた、「一日2食健康法」と全く同じ流れなのだ。
当然、結論もまた。ここだけは我慢できないので引用する。
さて、最近は中国製のみが問題視される傾向があるが、こうしたことはなにも中国製に限ることではないだろう。
ところで中国製割り箸でも安全安心なものもあるし、地球温暖化防止に貢献しながら、安全性の問題にもきちんと取り組んでいる企業もある。
北九州のベンチャー企業、楽しい株式会社である。
同社の内容と取り組みについては私の取材記事「竹製割り箸、リサイクル竹炭の販売を通し、中国での植林活動に取り組む北九州のベンチャー企業」に詳述(HP「九州の頑張る企業」に収録)しているので、そちらを一読して欲しい。
こんなまとめアリか?無理やりにも程がある。突如として「なにも中国製に限ることではないだろう。」だとか「中国製割り箸でも安全安心なものもあるし」なんて話が出てくるのだから。そして極め付けが「きちんと取り組んでいる企業もある。」である。
実はこのページ、「リエゾン九州」という九州のベンチャー企業支援をやっている組織のサイトのコンテンツなのである。
シロウトにはわかりにくそうな問題、ともに化学物質がらみの健康問題で脅しに脅して周囲を全部否定して、安心なものとの落差を印象付け「これしかない」ぐらいに思わせようという論法である。ジュース・お茶・コーヒー・ミネラルウォーターまで全否定して浄水器と柿の葉茶に誘導した2ショッカーと、結末まで同じである。
しかも、このサイトの内容も「まぐまぐ」で配信されているらしい。何で「まぐまぐ」はこんなのばかりなのか、と2例だけで決め付けるのは危険かもしれないが。あまりに同じメソッドで「まぐまぐ」がそういうふうに指導してるんじゃないかとすら勘繰ってしまう。
やっていることは立派なことなのに。普通に応援すればいいのに。何でわざわざ根拠薄弱な地球温暖化まで持ち出して周囲を潰そうとするのか。しっかり取り組んでいるナントカ株式会社にだって失礼ではないか。
「競争原理」がはびこった結果、こういう足の引っ張り合いで勝てばいいみたいな向上心に欠けた輩が幅を利かせてきた気がする。ダメダメ言ってこれしかないと押し付けるより、これがいいここが素晴らしいと言ってくれたほうが、買う側の気分がいいのは間違いないのに。客の顔が見えていない商売というのはこういうのを言う。
しかもご丁寧に、自分の書いた他のサイトの記事まで紹介しているんだから。本当にジャーナリストという奴は。こんな文章を売ってるだけで食っていけるのだからいい商売だ。この何だかしゃれたものに聞こえる横文字は、「売文家」とかそういう言い方に変えていくべきなんじゃないかとすら思われる。
さて。三つ、違う立場の意見を見て頂いて。その一つひとつに反論を行ったわけだが。
何も私は、批判をすることで相手の足を引っ張り慧眼を誇りたいのではない。かといって、真剣に環境問題を訴えたいのでもない。
環境については、私は既にできることをやっている自負がある。玄関先で苗木を育て、毎年そこから30本位は山に植えに行っているからだ。
なんだそれっぱかし、と思うかもしれないが。やっているのといないのとでは随分違う。割り箸で考えてもらいたい。私が木を植え始めて既に5年になるから、150×40÷2で、私は既に3000人の一生分の割り箸を植えてきたのである。そして、実際に山に入り、木がどうやって生きているかを多少なりとも見てきたのである。
3人それぞれ立場は違うが、一人でも私と同じ方向でことを動かしている人間がいるか?山に入ったことがあるか?木に触れたことがあるか?小さな種から背丈をはるかに超すまで一本の木を見続けた者がいるか?
やっていないから、彼らの言葉には重みがないのだ。やったことのないことには、想像力が働かない。アタマだけで軽く考えるから、どこかで思考停止する。
これは、環境問題に限ったことではない。何についてでも応用できる。
その、思考停止の構造について述べたかったのである。
1番目は、ちょっと考えてみたが18億(くどいようだが計算間違いで実際には180億だが)という数字の大きさで思考停止した。それがどれだけの量なのか、もう一歩踏み込むことをしなかった。
「割り箸はどう考えても環境によくない」という思い込みから出発するから、間違った。
2番目は、そういう思考停止に気付いても、正しい反論ができなかった。身近にたまたまあった反論材料に飛びつき、それだけをもとに話を進めてしまい、反論材料の検証が不十分になった。
「環境をしたり顔で言う奴はうさんくさい」という決め付けから出発するから、間違った。
5番目は、立場上の利益誘導のほうに引きずられるあまり、問題の本質からはるかかけ離れたところに着地点をもっていってしまった。
「自分が儲かることに話を持っていかなければ」と思うあまり、何が言いたいのかもわからん話になったのである。
どれもこれも、出発点が間違いなのだ。
割り箸は環境にいいか悪いか、または自分が儲かるには何を言うか、どこかに決め付けてから出発するからだ。
実際には悪いことは悪いけど大したことはないし、割り箸を使うのをやめる労力があったらもっと効果的な方法がある、という玉虫色が結論なんだから、善悪二元ではどうやったってそこには辿り着けないし、私利私欲は言うまでもないだろう。
IT企業社員だろうと大学助教授だろうとジャーナリストだろうとそうであるように、この出発点決め付けによる誤謬は世の中にはびこりまくっている。マスメディアなんか全部そうだと言ってしまっていいぐらいだ。
世の中、いいと思うことにも悪いことは必ずある。逆もまた然り。
そんな当たり前のことを、人は出発の時点で頭から消してしまうことがある。
それを忘れず、常にアタリマエは全部疑わなければ、正しいことなんか見つかりようがないのだ。
1 comment:
web拍手に頂いたメッセージの返信です。
最初に掲載したGoogle検索順位の3番目と4番目のページは、何かの公的機関のページっぽくて、私が論じたかった「私感」が入っていなさそうだなあ、と思ってスルーしてました。
記事にもその旨書いておいたつもりだったのですが、いつの間にか削っちゃったか書き忘れたかしたみたいです・・・いきなり5番目は不自然ですよね。説明不足をお詫び致します。
反省の意味もこめて、今ちょっとだけ読んでみました。
3番目の我孫子市の割り箸に関する記述。いかにも公的機関、という文言ですね。「割り箸が環境に悪いとは言い切れないが、ゴミ減らすために禁止」。スジは通ってます。でも当たり前すぎて面白くありません。
これでは反論しようにも暖簾に釘でぬかに腕押しで豆腐の角に頭ぶつけちゃうので、やっぱり触れなくてよかったかなと思いました。
4番目は・・・正直スルーしたのを後悔しましたね。
何の関連のサイトなんでしょう?わざわざ独自ドメインまで取得してるし立派に作ってあるのに、Googleのlinkでもrelatedでも何も出てこない。引用符付きの"地球温暖化白書"検索に至っては実物の次がこのページでしたからね。
ウソは、あまり書いていません。だからこそタチが悪いと言うか何と言うか。ウソじゃないよ、と脅すなら、水が体に悪いと言い募ることだってできるんだってば。
一応「森林破壊」の項と「割り箸」の項を見たんですが。リアルタイムカウンターって・・・借金時計じゃないんだから。
今AM9:38ですけど、着々と減ってますね。割り箸カウンター。メシ時でもないのにこんなに割り箸使ってる人いるんだ。
森林破壊カウンターにしても、これ当然春先の発芽時期は動きが鈍るんですよね?
「今、どうなのか」を伝えていないものを「リアルタイム」とは言わないでしょう。とか言ってて昼飯時になったら急にものすごい勢いで割り箸カウンター減ってたら激しく感動しますけどね。
このサイトだけでも1本長ったらしい記事書けそうですけど。現状そんなに影響力のありそうなページでもないし、この記事で書いた部分についてはこれ以上言える事もそんなに無いので。記事化は情勢を見て、ということにしたいと思います。
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