2007-10-01

森の老木と人の世の老木

長々と書き過ぎた。前の記事の話である。
あまりに長かったのでさっき計ってみたら、引用文を除いた残りの分だけでも18000字ぐらいあったらしい。
どうりで一日で書き終わらず、書き始めの日付のまま一日間違えてUPしてしまうわけだ。
長いこと一つのことを考えながら書いていると、だんだん書いていることと別のことに頭が飛んでしまうのが私の悪い癖だ。あの記事でも、最後にまとめようとする段には既に上の空だから、最初何を書こうとしていたのかも忘れてぼやけた結論になってしまった。
何を考えていたかって。今のこの日本の世の中なんて、スギやヒノキの人工林みたいなもんだよなあ、と。ぼんやり考えていたのである。
 
日本の森は、太平洋戦争の影響で一時ずたぼろになった。石油石炭が軍用に大量消費されているのに輸入がほとんど止まってしまったから、燃料その他で森が伐られに伐られたのである。
それこそ、割り箸の比ではない。しかも林業従事の主体になるべき年代が根こそぎ徴兵されている中でのことであったから、手が入らずひたすら伐られるだけの状況である。戦争が終われば今度は、空襲で焼け野原になった街の復興にさらに木材が必要になる。ハゲ山があちこちに散在し、写真で見ても、今では想像もできないほどひどい状態であった。
そこから、山の人たちは必死で植えた。植えに植えた。木材が売れに売れて儲かって仕方ないのに加え、政府の手厚い保護もあったからみんな嬉々として植えた。どうせ植えるなら、早く育ちより高く売れる儲かる木のほうがいい。かくて本州各地の山はスギだらけになったし、北海道ならトドマツやカラマツだらけになったのである。
だがその木材需要は長くは続かなかった。復興特需が落ち着くのと期を同じくして、燃料は石炭石油に変わり、建築はコンクリートになった。儲からなくなった山からは人がいなくなり、本来あるべき樹種比率とはまるで違う、同じ歳の同じ種類の木ばかりの山は置き去りにされた。
前の記事でも書いたとおり、これから遷移が起こっていくのだろうが、元の森に戻るには何百年、下手したら何千年もの時間がかかる。そして、一斉に植えられたが故に同じような時期に枯れるのだろう植えられた木々は、実りとして迎えられるでもなく、若い木の邪魔者として扱われ続けるのだろう。
 
同じ頃の、人の世は。
戦争で人口が激減したこの国は、産めよ増やせよと数を増やし、より儲かる産業に向いた人材としてそれらベビーブーマーを育てた。
学校を建てまくり都市を整備し。山にいた人の子、畑を耕した人の子、魚を捕った人の子、みな政策的にサラリーマンに仕立て上げた。
それが、一番儲かるからだ。誰が?もちろん、彼らから税収を得る国家が、である。
何かに似ていないだろうか。
この政策により膨らみに膨らんだ日本の所得は、バブルでピークを迎える。その中心になった団塊世代は、謂わば太陽をさんさんと浴び、各企業や機関でいいポストに収まり高給取りになっていった。
一度上がった給与水準は、所得規模が縮小してもそうそう変わらない。まして終身雇用と年功序列をもって階段を上りポストを占めた人々が、簡単に降りることに納得するはずがない。
景気低迷の割を食うのは、林床に生えた幼木のような私達若い世代だ。どんなに会社が儲かったって、上であらかた奪われるのだから、取り分は少なくなる。
太陽の光を浴びられずじっと耐えている林床の幼木に、どこか似ていないだろうか。
違うのは、老木の扱いだ。物言わぬ森の老木は放っておけても、さかんにゴネる人の世の老木は放ってはおけぬものらしい。
まだまだ枯れそうにない老木たちは、たっぷり老後も生きていけるだけ栄養を蓄えたはずの老木たちは。その上年金という肥やしをちゃんと撒き続けろとゴネているが。
年功序列も終身雇用も外され常に利益を出せなければクビと脅され、この先死ぬまでにどうやっても彼らが得た給与総額を超えそうに無い上に小子化で数も減っている私達が。その年金とかいう制度すら続くかわからない状況で、先の見えない私達が。なぜ富裕な世代のためにそんなものを継続し、今以上の税を納めなければならないのか。
自分を育ててくれた親の世代だろう、というのとは話が違う。自分の親なら助けるし面倒も見る。世代全体の話にされたら到底納得できる話ではない。
我々の与り知らぬ、生まれるよりはるか前に、永遠に成長が続いていくかのような幻想を元に作られた制度が悪いだけなのだから。
太陽は彼らに当たり続けてきたではないか。老木を伐らず幼木をゴミのように切り捨てることを続ければ、森はどうなるのだ?
 
とはいえ。この時代は、長くは続かない。あと少しだ。クローンのように気味が悪いほど同じような顔をした老木世代は、あと20年もすれば表に出なくなる。
その時、この日本という森は、どうなっていくのか。
スギの人工林がそうであるように、遷移が進んでいくんだろう。この今をじっと我慢できる陰樹たちが林冠を覆うのだろう。
日本型サラリーマンという、スギのようなひ弱な陽樹は、既に生き残っていないだろう。陽の当たらないところで彼らは育たない。「勝ち組・負け組」の格差社会は、その前兆だろう。
様々な個性豊かな樹種の育つ、自然な森に還るのだろう。
この森から収入を得ていた地主、「国家」とかいう奴らが儲かる山にはなりそうにないが。知ったこっちゃ無い。さっさと借金苦で潰れてくれたほうが、かえって有難いぐらいだ。
いつまでも老木の世話なんかされていたら、それこそ戦後のハゲ山に戻るしかないのだから。

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