2006-06-08

イドラ論

哲学思想の本を初めて読んだ、中学1年生の頃。
私にとって最もとっつきやすく、また興味を引いたのは、フランシス・ベーコンのイドラ論だった。
詳しくは書かない。というより、詳しく書けるほど覚えてはいない。大学でも勉強したはずなのだが、私の大学の哲学講義は寝ていても単位がもらえる講義だった。
常に常に。人は何かに囚われて生きている。むしろ、囚われなくては生きてはいけない世の中になっている。
ベーコン先生の言いたいこととはまるで違うが、私にはそういう面で興味深かった。

・種族のイドラ…感覚における錯覚であり、人類一般に共通してある誤り。
・洞窟のイドラ…狭い洞窟の中から世界を見ているかのように、個人の性癖、習慣、教育によって生じる誤り。世間知らずの意もあるらしい。
・市場のイドラ…言葉が思考に及ぼす影響から生じる偏見。言葉や言語が引き起こす偏見。口コミなどが挙げられる。
・劇場のイドラ…思想家たちの思想や学説によって生じる誤り。思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと。

先生はイドラをこの四つに分類したが、それだけでは、あるまい。また、この四つは、学者の先生方がそれぞれの専門分野においてのみ、取り除いてくれればいいことだ。これらを無くしては、市井の生活は息苦しくて仕方が無い。

私にとって、これらより最も怖いもの。
それは、人生のイドラ。である。

人は誰でも、他の誰とも違う人生を歩んでいる。
そして、自分と関わりを持つ人々もまた、全く同じということはあり得ない。
自分の中の真実は、実は自分にとってしか意味の無いものなのだ。

だが、人は時に、自分の中だけの真実にすら囚われてしまう。
一度好きだと言った芸能人は、ずっと好きだと言いつづけなければならなかったり。
昔付き合っていた人と、友達にはなれなかったり。
これまでしてきた仕事の、方向性を変えられなかったり。
人はいつでも、自分の過去の思想に囚われて生きてしまうのだ。

時代は、変わる。
日本独特の因習がぐるぐる変革し、毎年の気候ですら、一定でないこの頃のことだ。
過去は過去、今は今。場面で正しい選択をしなければならない。
だが、これが難しい。
くるくる言うこと変えないで下さいよー、てな面倒なことをほざく奴も、必ずいる。

正しい道には、経験からのみでは辿り着けない。
振り返らず前を。前を。

No comments:

↑ このブログがお楽しみ頂けたら押して下さい。ただの「拍手」です。