2006-07-26

10年後の自分


10年後の自分は、何をしているだろうか。
最も苦手な命題である。

子供の頃から、大人になることに希望を持てなかった。
世はバブル。遮二無二働くことはカッコ悪いという風潮が蔓延していた。
世の為人の為だの、明るい未来の為だの。考える時代ではなかった。目先のカネを掴んだ奴が勝ち、である。
将来のことなど考えなくとも、何不自由なく大人になって70かそこらで死ぬだろうな、と。思っていた。
将来を考える時に、最大の基準はラクかどうかであり、もはやカネすら重要な基準では無くなっていた。公務員志望者が、やたら多かった。
私が小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、『福武書店(現ベネッセ)の社員』である。なんのことはない、進研ゼミをやっていたからそう書いただけだ。大人達が何してるかよくわからんから、見える範囲のことを書いただけだ。
ノストラダムスという、格好の逃げ場があった。23歳で世界は終わる、なんて。何の危機感も無く、むしろ期待していた。

バブルは弾けた。大手の倒産が相次ぎ、『リストラ』が流行語になった。終身雇用は幻想になった。

負けない事 投げ出さない事・・・
それが一番大事

こんな子供騙しみたいな歌が馬鹿みたいに売れた。
キレる子供が続発し、歪んだ世代であることが顕在化し始めた。
洋楽かぶれの私は、当然のように27歳で死ぬと言い触らした。ジム・モリソンほど苦悩を抱えたわけでもなく、ジミ・ヘンドリックスほど狂気を秘めたわけでもなく、カート・コバーンほど自意識過剰だったわけでもないのに。
結局は、何も見えなかったのだ。終わりがあったほうがラクだと考えただけのことだ。

学生生活が終わり、世間のレールでいえば就職という駅に来ても。乗る電車はわからないままだった。家にこもり、TVゲームに興じるだけだった。
人と付き合うのが面倒だった。放っておいてほしかった。ネットを覚えた。一方通行の関係が居心地よかった。
だが。退屈だった。意欲よりも退屈故、仕事を探した。
「書を捨てよ、街へ出よう」と寺山は言ったが。私は山へ逃げた。知り合いのいない、人と付き合わなくても生活できる土地に行きたかった。
乗り込み動き出した電車は、途中下車はできないもののようだ。乗り換え乗り継ぎしながら、どうやら現在まで乗り続けている。

今。10年後の自分を考えるとしたら。
それが見えないままだから、こんなものを書くのだろう。

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