2006-10-06

三つ子の魂百まで

一人客ばかりのやきとり屋やなんかへ行くと、ごろんごろんと音を立てて変わってきたかのように、過剰に演出して人生を語りたがる人がいる。
それが何か?と言いたくなる。何をどうしてきたかなんてどうでもいい。
私が興味を持つのは、その人がどういう人なのか、ということだけだ。
氷が溶けて水になり水蒸気になったところで、水は水だ。
電気分解でもすれば水素と酸素に分かれるが。人間がそこまでいってしまった場合、精神分裂症という病名が付く。

人の話はわからないから。自分の話をする。
私は、2歳ぐらいからかなり記憶がある。
誕生日のお祝いや、どうしても届かない戸棚の高さ。
雪の中に首まで埋もれて動けなくなったのもこの頃のはずだ。
滑り台をウルトラマン滑りした友達に刺激され、俺のほうがすごい滑り方できる!と宣い。
仰向けに後頭部から滑り降りて枕石にしこたま頭を打ち付け大量に出血したあの生々しい記憶も、母や姉の証言によれば3歳の誕生日の直前らしい。
それから、かれこれ27年。
年を経る毎に鮮明な記憶は増えてゆくが。私は、変わっただろうか。
経験により、いるんだかいらないんだかよくわからないものは外側にゴテゴテとくっついてきたが。
真ん中にあるものは、何も変わらない気がする。
いつもそこにいたのは私であり、今の私と違うと感じる私はいない。

人は、普段真ん中はひた隠しに隠すものだ。
それは、意識無意識を問わず、そうである。
外側のゴテゴテしたものをのみ薄く薄く小出しにし、探らせる。
そこで上手に、痛み無く皮を剥いだ者にのみ、一枚また一枚とめくらせる。
心を開くというのは、そういうことだろう。

しかし、真ん中に痛みが出たとき。気をつけなくてはいけない。
癒しを求め。簡単に外側が開いてしまいがちなる。
詐欺の手口はそこにある。隙を見つけずばりと中身を突いた、フリをする。
そうして自分に有用なものだけをごっそり奪い、自分の外に塗る。
奪われれば、傷の周りには隙間が増えるだけだ。

とりとめの無い話になった。私も歳をとりはじめたらしい。

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