2007-03-09

上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~11~

~10.「メニュー提案」と「泣き別れ」・青果担当の売場展開~
 
引き続き、私の店の売上げが伸びた要因の分析です。
売場計画がまともに作れるだけのスキルと余裕が生まれつつあった私に、この時期に売場に対する新しい考え方が入ってきました。それが表題の『メニュー提案泣き別れ』でした。
 
まず『メニュー提案』というのは、どういうことか。
多くのお客さんは、「今日の夕飯は、明日のお弁当は何にしようかな」と考えながら買い物に来ています。何を作るか決めている、というお客さんは実は少数派です。
毎日夕食や弁当を作る主婦にとって、献立を考えるほど面倒なことは無いそうで。毎日似たような昼飯を食い、3日周期ぐらいで同じ夕飯がローテーションしていても全く気にならない私には想像も付きませんが。パートさんに聞いたら誰もがそう言ったし、アンケートの結果もそうだったので、多分間違いないんでしょう。
そういうお客さんが「いつ」献立を思いつくか、というと、買い物の最中です。しかもごく初期です。シビアに家計を慮る主婦としては、使わないで腐るものは買いたくありません。何に使うか決めて買いたいのです。
それは、売場を作りたいからモノを入れる、という担当者の発想とどこか似ています。できるだけ安くモノを買って利益(家族の健康と笑顔)を目指す、という構造が同じだからでしょう。
青果売場は店の先頭です。お客さんが最初に歩く売場です。メニューの一部とは考えられにくい果物は除くとしても、野菜を買いながら献立を決めている率、というのが非常に高いはずです。
前にも指摘したように、お客さんは「野菜を食べたほうがいい」というプレッシャーを感じながら買い物をしています。メインが肉魚であっても、野菜抜きの献立というのは考えにくいでしょう。
カレー。シチュー。炒め物。天ぷら。鍋物。味噌汁。サラダ。おひたし。浅漬け。トンカツやハンバーグにだってつけあわせは必要です。夕飯のテーブルには、野菜を何品か組み合わせて使う献立が必ず乗っています。
その、組み合わせを想定し、一緒に買っていきやすい商品を、一緒に関連陳列する。それがメニュー提案』です。
その組み合わせ売場のうち、1~3品ぐらいを目玉にしておく。そうすると、目玉品を見て「あら、安いわね」と思ったお客さんは、周りの商品を見るうちにその日の献立を決める=関連の「くくり」に入れた全品が売れやすくなるだろう、という考え方です。
バラバラに陳列していては、お客さんの中で献立イメージが浮かびません。浮かばなければ、野菜はメインにはまずならない商品なので、とりあえずよく使うものを2・3個カゴに入れて次へ、という買い方になってしまいます。
「よく使うもの」というのは、言い換えれば「いつ来ても買うもの」です。さらに言い換えれば、「その日の献立に関わらず買うもの」になります。それは、関連陳列で「つい」いろいろ買った場合でも買う可能性が高いものだったわけです。
つまり、メニュー提案は、その日の献立を店が能動的に決めさせることで、「いつも買うもの」に+αして買ってもらおう、という考え方なのです。
さらに、価格にも品質にもパッとしたものがない商品であっても、関連として買ってくれます。利益をとって売りやすくなるのです。
野菜単品ではどうしても献立イメージとしては弱いので、鍋のタレやらカレールーやら中華のモトやらを一緒に並べると、さらに効果的です。それらも売れやすくなりますから、店全体としては一石三鳥にも四鳥にもなります。本当は生肉や生魚も持って来て青果売場で売ってもらいたかったのですが、流石に断られました。
だから私は、刺身コーナーに生わさびを持って行ったり、サンマの前に大根のカットを持って行ったり、まぐろの前で長芋を大陳したり、ステーキ肉の前にはにんにく、納豆の前にはオクラ、そばの前には万能ネギ、と、他の部門にこちらからいろいろ仕掛けていました。
肝心なのは、お客さんがイメージできるかどうか、です。
POPでの印象付けも必要でしょうし、レシピなどを出すとさらに効果的です。より具体的に「どれとどれを使うか、普段使わないかもしれないコレもこの料理においしく使える」と提案できるからです。実際に一品作って調理見本として出す、という方法もあります。レストランの前の蝋細工と一緒で、イメージしやすくなるからです。
あまり一つのメニューに拘ってしまうと、好き嫌いもありますし全員が同じメニューにするわけがないので、逆効果も大きくなりますが。「いつも買うもの」を買うのに影響が出ない範囲なら、どんどんやるべきでしょう。
 
このメニュー提案の考え方自体は、私にとって新しいものではありませんでした。最初の研修の段階ですら、既に大先輩が「冬はやっぱり鍋だよなあ」だとか、「今日は成人式だからごちそうだ。天ぷら商材とか動くぞ」とかたまに口走っていました。
ベテランであれば、誰でも聞きかじったことぐらいはあり、やったほうがいいとわかっていることです。店が変わっても、売場作りの基礎として「サラダ売場」、「根モノ売場」のように作るんだ、というヒントは与えられていました。
でも、私にはそれがどんなものか、どう考えればいいか、何をどうすべきか考える余裕がなかったのです。2年目に入ってようやく、その余裕が出来始めていました。
そこへタイミングよく、私の会社が他の更に大きいチェーンと業務提携を結びました。その大きいチェーンの徹底事項の一つとして、このメニュー提案の考え方が改めて強調されたのです。
それは私に、また一つ新たな見方を与えてくれました。それまで、今日はどれがどれだけ売れている、明日はどう売れるか、という「店側の発想」しかなかった私に、お客さんは何のためにコレを買うのか、何に使っているのか、という「客側の視点」を与えてくれたのです。
スーパーには、多くのお客さんがやってきます。平日客数2500人の私の店では、一人一人が何を買うか、晩御飯を何にするかなんてわかりません。ボーっとしていれば、何も考えないままでしょう。来た客がモノを買っていく、ではなく、知らないうちにモノが無くなっている、ぐらいしか実感していなかったのです。
「客側の視点」に立てば、自分の売り場はひどく自分勝手だ、ということがわかりました。安いよ安いよ、とゴリ押し山積みするだけで、それをどう使うのか、なんて考えてもみませんでした。
街の八百屋さんなら、どこの奥さんが何を買って、何を作って、何を探してたけどウチにはなかった、逆にこの料理に何使ったらおいしいか聞かれてこう答えた、と全部把握できるはずです。それを売りに繋げているはずです。
スーパーだって、買う人がいて売る人がいるのは一緒です。お客さんをないがしろにして、今日コレが安いから買え、という売場を作ったって買いはしないでしょう。
お客さんが欲しいものを売るのが、私だ、という当たり前のことが、あまりに忙しく、またごく一部のお客さんとしか触れ合う機会が無いスーパー担当者には見えにくいのです。
これが「売れるか売れないか」ではなく、これを「買うか買わないか、買いたくなるのはどんな時か」と考えるようになりました。それを売場に反映させ始めたのが、この時期だったのです。
 
もう一つ、徹底事項として上から通達されたのが、『泣き別れ』は絶対するな、ということでした。
青果売場の分類として、『平台』と『レギュラー』がある、という話を最初のほうでしました。平台は、販促商品を主力にする売場、レギュラーは品揃え品を中心にする売場、というのが基本的な考え方です。
これを言い換えると、『平台は安いとかおいしいとか魅力的な商品を目立たせ、積極的に数多く売るための売場、レギュラーはお客さんに必要なものをわかりやすく並べて、そんなに売れないものでもいつでも提供できるよう維持する売場となります。
レギュラーの棚は、わかりやすくするために大まかな商品分類にそって作られています。「葉物」のくくりに入る春菊や小松菜、水菜やチンゲン菜、「薬味」のくくりに入る生姜やにんにく、ししとうやとうがらし、というように、似た特性を持つものをくくって売場を作り、1品1品の陳列量が少ない=売場面積が小さい=見つけにくい、という性格を持つそれらの品を、見つけやすくしているわけです。
それまでの私のチェーンでは、とにかく売れるアイテムを少しでも多く平台に乗せろ、例えば同じ生椎茸であっても、安いLSサイズばかりが売れて、品物はいいけど高いMサイズや大パックが売れないならレギュラーに回せ、というのが常識でした。店を移ったばかりの時も、口を酸っぱくしてそう言われました。
店側の論理としては、一見それは正しいように見えます。売れるものに集中して販促をかける=平台面積をより多く取れば、より売れるものがより売れるからです。いい生椎茸が欲しいお客さんには、レギュラーのいつもの場所に「いいもの」を品揃えしておけばいい、と。
でも、お客さんの視点では違います。平台にある=見つけやすい生椎茸が「安い」というわかりやすい魅力があるものだったら、他の場所にも生椎茸が並んでいる、という発想はしません。そのお客さんが安さより品質を重視するお客さんだったら、「いいのがないわね、やめましょう」それで終わり、かもしれないのです。
それを避けるため、同じ品目は必ず、平台なら平台、レギュラーならレギュラーで、同じ売場で一緒に売りなさい、こっちは平台、こっちはレギュラー、と『泣き別れ』してはいけません、と通達が来たのです。
 
先の例をとって、例えば、平台上の、生椎茸LSに使っていた面積と同じ面積に、Mサイズや大パックを一緒に並べたら、どうなるでしょう。
厳密には違う「アイテム」ですが、「生椎茸」は「生椎茸」です。「生椎茸」で使っている面積は同じなのに、安くて売りやすい「生椎茸」の見つけやすさは変わるのでしょうか?売上げは減るのでしょうか?
LSサイズと隣同士で比較がされやすくなり、「より優れた品質」というアピール材料を持っているMサイズ・大パックの見つけやすさ、買いやすさはどうなるでしょうか?
さらに。Mサイズや大パックは、LSサイズより単価が高いのです。どちらを伸ばすのが、より簡単に売上げ=利益に繋がるのでしょうか?
私が実際に検証した結果では、LSの売上げは、減るどころか逆に微増しました。Mサイズと大パックの売上げは、比較になりません。倍増に近いところまで伸びました。「生椎茸」のくくりトータルで、売上げは実に1.5倍にもなったのです。
Mと大パックは伸びて当然として、LSまで売上げが伸びたのは何故でしょう?
カンが良くて毎日このブログを熱心に読んで下さっている方はお気付きでしょう、ほうれん草の項で説明した、『比較時の心理構造』が働いたのです。安い、という魅力だけの展開では生まれなかった「どっちにしようかな」という心理が、生椎茸そのものの購買意欲を引き上げたのです。
 
泣き別れするのはダメ、と言われて最初に私が実験したのが、この生椎茸でした。
私は基本的に、人に言われても自分で確かめないと納得できない性質です。何もわからない中で教えられ、頼みの綱にしていた「売れるものだけを平台に」という考え方を根底から覆されては、俄かに納得はできませんでした。だから、たまたま「その週の重点商品」という通達も一緒に来ていた生椎茸で実験してみたのです。
1日目で異変に気付きました。Mと大パックは即日で切らしてしまったのです。レギュラーで売った時の2倍ぐらいで予測したはずの私の数量では足りなかったのです。
同時に、おかしな現象も発見しました。Mと大パックが乗っていたレギュラーの跡地を埋めるために、きのこ売場の中で広げて調整したえのき茸となめこが、いつもより売れていたのです。
平台より弱いとはいえ、レギュラーでもやはり売場面積と売上げは比例関係があります。売場を広げれば目立つし、売れるのです。
平台に生椎茸が占める面積は変わりません。レギュラーからは跡地を調整し完全に抹消したので、生椎茸の売場は縮んでいるのです。なのに、売上げは1.5倍、機会ロスが無ければまだ伸びたでしょう。
レギュラーで跡地を広げたえのき茸となめこも売上げが伸びたのですから、それも生椎茸の売場変更の効果といえます。つまり、売場効率が格段に向上したのです。
もう、疑う余地はありませんでした。その週一週間かけて、それまで泣き別れしていたばれいしょや玉ねぎ、キャベツの1玉と1/2、トマトとミニトマトの果てまで全て泣き別れしないよう、売場を再構築しました。
特にトマトは、1玉・2玉・4玉・大袋・フルーツトマト・調理用トマトと、すごい数のアイテムがありました。そこにミニトマトも合わせて並べたので平台一面真っ赤っ赤になりましたが、自信をもってやりました。
そこに更に、メニュー提案の要素が加わってきます。メニュー提案がしっかり出来ていれば、1品買うことでお客さんの中に献立の方向性が生まれ、近くに並んでいるその献立に必要なものも買っていきます。
そうして売場全体の効率を改善した結果が、前年比120%という高い伸長率に結びついたのだ、と思います。
 
私のチェーン全体に同じ通達が下っていたわけですが。じゃあ他の店も同じように伸びたのか、というと、イマイチそうではありませんでした。大きく伸びた店は片手で数えられるぐらいでした。
これまでの経験と常識に縛られ、目の前の数字で試す担当者はあまりいなかったのかな、と思います。
メニュー提案』も『泣き別れ』も、昨日今日言われ始めたことではありません。昔からある考え方です。
でも、それができていない、やっていないスーパーは実に数多くあります。というより、泣き別れなどは徹底していないスーパーがほとんどです。管理上の理由もあると思います。
また生椎茸の例で言えば、春から夏場にかけては需要が下がります。品質も悪くなります。暖かい平台でそんなものを売るより、冷気の出ているレギュラーのほうがいい、という時期があります。
全品平台から全品レギュラーに組替えるのは面倒です。秋のきのこシーズンになったら、今度はその逆です。それは面倒だ、レギュラーにいつも置いていれば、出したり引っ込めたりが楽だ、というわけです。
そこに、お客さんの都合はありません。全て店側の論理、店側の都合です。
レギュラーは冷気が出ているから、多少回転が悪くても管理しやすいから売れにくい品目はレギュラーに、なんて理由は単なる言い訳です。
お客さんは、長期間大丈夫なよう管理されているものを求めているのではなく、今新鮮なものを求めているのです
「見つけにくい所で長期間管理されているもの」と、「見つけやすい所で回転よく並び続けているもの」で、新鮮なものを探しやすい、買いやすいのはどちらなんでしょう?
レギュラーにも平台にも同じモノを並べている、という場合、大抵レギュラーのほうが鮮度感の無いモノが並んでいます。冷気があろうとなかろうと、そこが売場でお客さんが商品に触り続ける限り、腐る腐らない以前に鮮度感が落ちていくのです。
 
鮮度・品質他、商品知識については、私は今でも自信がありません。今担当者をやれ、と言われれば、最低に近いレベルかもしれません。
ただ、その能力に慢心し、鮮度さえ気をつければどう売っても同じ、と売る努力を、お客さんが買いやすい売場を作る努力を放棄した、店側の論理だけで作られた売場よりも、売れる売場を作れる自信はあります。
商品しか見えていない、店の都合しか考えていない、お客さんが見えていない売場に、負ける気はしません。私に言わせれば、そんな売場は「手抜き」です。
お客さんが店に求めているものは、商品以外にもたくさんあります。しかも、お客さん自身が気付いていないところに、たくさんあります。それに気付くか気付かないかで、売上げは大きく違うのです。
お客さんとしての視点を持っている人は、どこの店にもいます。何人も何十人も、下手すると何百人もいます。パートさんです。パートさんに言われて気付いたこと、というのは、上から言われたことよりずっと多かったのです。
自分がお客さんの視点を持つ、というのは、男性が圧倒的に多い青果担当者には難しいかもしれません。自分でわからないことはわかる人に聞けばいいのです。
私の場合は、上からの通達が気付いたきっかけでした。こういうきっかけは、誰にでも起きるものではないかもしれません。
そして私のチェーンでは、そのきっかけを生かせた人も生かせない人もいました。その違いは、気付こうとする意欲にあったんではないか、と思います。
忙しい毎日の中では、楽をするために店側の論理を振りかざしてしまいがちです。
悪いのは、担当者ではなく環境を改善しない店、上の人間、かもしれませんが。だからといって、売らなければ、儲けなければ、いつまでたっても環境は改善されません。自分の食い扶持より稼がなければ、他に人を雇う余裕は生まれないのです。
売るためにできることが、まだまだまだまだ無限に近くあることに、どうやっても伸びることに、手抜き売場の担当者は気付くべきです。
 
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