2007-03-12

上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~12~

~11.胃袋とフトコロには限界がある?青果担当の製品ラインナップ~
 
売場計画が出来るようになり、発注・在庫調整をそれと連動させるようになって、すぐさまメキメキと売上げが伸びた私の店ですが。そう長く右肩上がりの好調は続きませんでした。
業務提携と、それによる目玉連発の集客効果が2ヶ月程で薄れ、全店客数がじんわりと下がり始めたのです。前年と変わらないか1%台の微増、というあたりで客数が推移していては、大きな伸びは期待出来ません。
店舗全体の責任とはいえ、青果は集客に直結する部門だ、というのはこれまで強調してきたところです。
まだまだ鮮度・品質管理が甘かった私は、客数の伸び悩みに人一倍大きな責任を感じていました。
しかし、手をこまねいているわけにもいきません。鮮度がわかるようになるのはまだまだ先、であれば、今鮮度についてできることは、とにかく在庫を減らして新鮮なうちに回すよう心掛けるしか無いのです。
何かある、鮮度以外に、まだ来たお客さんを満足させていない部分があるはずだ、と。その穴を埋めれば、客数が伸びなくても売上げが伸びるはずだ、と考えました。
提携先の資料等を見るうちに考えたのは、『提供単位』と『プライスライン』のことでした。
 
野菜には、手の出やすいプライスラインというのがあります。大きく分けて、100円、198円、298円が中心になっています。
イメージしやすいのは、ばれいしょや玉ねぎの袋売りでしょうか。春先の出回り量が少ない時期なら4~6個ぐらいの袋入りで198円、秋冬のモノが多い時期は1~1.5kgぐらいの袋入りでやはり198円を中心に、その半分の量を100円で、という店が多いと思います。
これは、100円・イチキュッパーという手が出やすいプライスラインをまず決め、そこに合う量で売ろう、つまり提供単位を合わせていこう、という発想です。
芋や玉ねぎは、ひと月ぐらい放っておいてもどうということはないような日持ちする商品です。また使い方の場面を考えても、カレーや肉じゃがの芋が1個多くても少なくても、さほど気にはならないでしょう。
お客さんにとっては、まずは今手が出やすい価格、というのが最大の判断基準になっているのだと思います。使うのがどれだけか、ということよりも価格を優先する、フトコロ中心の発想です。
では、季節によって価格変動が大きく、芋玉ほど日持ちしない商品ではどうなるでしょう。
例えばピーマンの最も一般的な商品形態は、150gの産地パック袋詰です。茄子の5本パック、というのも各産地で共通する形態です。バラ納品の茄子もそれに合わせ、5本で袋詰やパックをして商品化します。
これは年中変わりません。どちらも旬は夏で、冬は非常に量が少なく高くなりますが、基本になる形態は変わらないのです。
ピーマンは夏場の安い時期なら50円ぐらいで売っています。冬の高い時期は、同じ袋が198円で並んでいたりします。茄子なら夏場は100円、冬は298円です。
その時期の価格に合わせて、ピーマンの1/2袋や大袋、茄子も3本パックや大袋を作ったりしますが、一番売れるのは基本形態、というのは変わりません。
これは、一般的な家庭で使う量、腐らせずに使える量と、提供単位が合っているからでしょう。安ければ良い、量が多ければいい、という発想よりも、使う分の量を優先して発想しているということだと思います。胃袋の都合で買う量を決めている、というわけです。
青果担当者はこれを、時期に合わせ商品に合わせ、フトコロと胃袋の重みのバランスをとりながら商品化し、売場展開を行っています。同じ時期なら、どのスーパーに行っても同じような商品が並ぶのはそのためです。
そしてその考え方の、価格側の軸としてのプライスラインも似通っています。
 
さて。一見理詰めに考えられ、売りを伸ばすために編み出されたかのようなこの販売形態の統一性ですが。
お客さんから見て、その「どの店でも似通った提供単位・プライスライン」というのは、本当に便利なのでしょうか?
よく見る形態、よく見る価格、その「慣れ」に感覚が馴染んでいるため、お客さんが考えなくなっているだけではないのか?という発想が、私にはありました。
それまでの私のチェーンの常識では、客単価を上げるため大きめの提供単位を売る工夫をするべき、というのがしきりと言われていました。
とにかくお客さんにたくさん買わせろ、客一人あたりで使う金額を増やせば売上げは上がる、買って冷蔵庫に入っているものはよそでは買わない、競合上も有利だ、というわけです。
しかし、いくら玉ねぎが日持ちするとはいえ、何ヶ月も放っておけば芽や根が出て味が落ちます。芋だってちょっと管理を間違えば萎れたり芽が出てきたりします。
週2回ぐらいしか料理しない一人暮らし、という人なら、その週2回のうち1回しか玉ねぎを使わず、その1回ですら1個の半分しか使わないかもしれません。
2週間で1個、1ヶ月で2個です。冬の198円ラインの玉ねぎは、L玉で6~7個。100円ラインでも3~4個です。使うのに2ヶ月も3ヶ月もかかる商品を買うでしょうか?
もし買ったとして。使い切れない量だったことに、その量でしか買えなかった店に、どんな印象を抱くのでしょうか?
買って何ヶ月経っていても、お客さんにとってその玉ねぎは「あの店で買った玉ねぎ」です。腐らせずに使い切った時と、最後に腐った姿を見せ、捨てた時。店の印象が良いのはどちらなのでしょうか?
茄子は玉ねぎほど日持ちしませんが、漬物にすれば相当もちます。また、大好きで毎日食べる、という人もいるぐらい『嗜好性』の高い商品でもあります。
そういう人にとって、5本パックは果たしてちょうどいい提供単位なのでしょうか?たくさん欲しい時にそれを何袋も買うのは面倒くさくはないのでしょうか?
お客さんの欲しい量は、千差万別です。日によっても違うでしょう。今日使う分だけ欲しい日も、ある程度買い溜めしたい日もあるはずです。
一般的になっている提供単位・プライスラインというのは、値頃感と一番多い客層に合わせて調整したピーク対応でしかありません。
ピークから外れたお客さんは、我慢するしかありません。子供がキライで両親しか食べないピーマンでも、150gの袋を買い、親ばかり食べているのでしょう。
私は、そこに『ニッチ』がありそうだ、と考えたのです。
 
まず、最小の提供単位をこれまでより強く展開することを考えました。つまりバラ売りです。小は大を兼ねますから、買いたい分だけ買ってもらおう、という発想です。
トマト、きゅうりなどもともとバラ売りをしていた商品は、思い切ってバラをメインに展開をしました。玉ねぎや人参も、バラで裸展開しても傷みが遅く、程なく主力商材になりました。
茄子やピーマン、ばれいしょのような、産地パックやセントラルパックが中心の商品も、袋をバラしてバラ売りしました。
さらに、キャベツは1/2に加え1/4、大根も1/2と1/3、長ネギの1本バラ売り、ほうれん草の1/2束など、とにかく主力品は何が何でも小単位も作る、とばかりに小分けをしまくりました。単価が極めて安いため目立ちませんが、それらも毎日堅実に動きがありました。
すぐに数字が変わりました。と言っても、売上げそのものはそんなに大きくは変わりません。せいぜい5%以内の微増といったところです。
でも、その売上げを構成している、利益と『持点』には、大きな違いが出てきていました。
 
利益が伸びたのは、キャベツの1/2を売ると儲かる、というのと同じ構造です。小単位は、大単位より値掛けを高くしても売れます。
また、トマト4個198円は、230円にしたら値頃感が無くなりガタッと売りが落ちるでしょうが、バラ1個50円が58円になっても、先の例ほど売りは落ちないでしょう。
50円×4は200円です。58円×4は232円です。ほぼ同じ価格で、同じ1個8円・4個32円の値上げ、つまり利益率の変動は同じなのに、バラ売りのほうが売上げに悪影響を及ぼすリスクが小さいのです。
提供単位(単価)が落ちると、1円の重みが変わります。利益率を考える店にはより重くなるのに、買い物総額を考えるお客さんでは軽くなるのです。
トマト4個198円でチラシをうった翌日に、同じ4個を230円で売ったとしましょう。前日のチラシのイメージを持ってきたお客さんには、「32円も上がった。高いなあ」という印象を与えてしまいます。
これが、バラ50円でチラシをうった翌日に、58円で売ったなら。お客さんの印象としては、昨日と「8円しか違わない。たいした差は無いな」となるのです。たとえそのバラを4個買っていっても、合計32円高くなった、までは考えないことが多いはずです。
わかりやすい他の例で言うと。
200w5箱入りのティッシュの相場は、今248円ぐらいでしょうか。200×5で1000枚入りになりますから、1枚あたりの値段は0.248円です。コンビニに行くと、10枚入りのポケットティッシュが50円ぐらいで売っています。これは1枚5円ですから、実に20倍(!)もの開きがあることになります。
でも、どちらも売れる。「今必要」「後では意味が無い」という切迫したポケットティッシュへの需要が、価格のつり上げを容認し、50円という単価の安さが価値・損得の概念を崩壊させたわけです。
例えばそのポケットティッシュを30円で売ったって、売れる数はほとんど変わらないでしょう。必要でない時には買わないものだからです。街でタダで配ってたって、もらわない人や使わずに捨てる人もいます。
でももし、248円の5箱綴りが148円になったら。値下げ率は変わらないのに、大行列が出来るハズです。
供給と需要の曲線、価格と需要の曲線は、経済学で習うような滑らかな曲線にはなりません。バラ売りを増やすことで、その曲線のブレをついてうまく利益が取れるようになったのです。
 
持点』というのはあまり耳慣れないかもしれません。この場合の持点は、マージャンとは一切無関係です。
お客さんが、青果なら青果の売場で買っていったものの数、これを『部門売上点数』と言います。それを、その売上げの期間の客数で割ったもの、つまり、お客さん一人あたりで何個商品を買っていったのかを示す数字、それが持点です。
私の店の持ち点は、前年1.3ぐらいだった所からこの時期に2前後へと、実に1.5倍に伸びました。
ちょっと数字に強い人なら、バラ増やして伸びるのは当たり前じゃないか、と思うでしょう。3個詰の玉ねぎを、10人きたお客さんのうち1人が1個買うと、持点は「0.1」になります。その1人が買っていったものがバラ売り3個なら、持点は「0.3」になるわけです。実際増えた要因の中に、そういう面は間違いなくあります。大部分かもしれません。
しかし、冷静に考えてみて下さい。平日客数は2500です。持点1.3での売上げ点数は3250点、持点2なら5000点にもなるのです。
1750点もの数が、袋からバラへの乗換えだけで伸びるかと言えば、そんなことはありません。袋も変わらず並べている商品がほとんどです。袋だから6個入りの玉ねぎを買っていたけどバラなら3個、というように、買う分量を抑制するお客さんだって多いはずです。
そもそもバラ売りで主力級までになったのはトマト・きゅうり・人参・玉ねぎ、せいぜいこの4点のみです。各商品で300点売上点数が増えても1200点。ようやく2/3です。そこまで伸びないな、というのは青果担当の経験者ならおわかり頂けるかと思います。
残り550点のうち、他の品目のバラ買いで伸びた分は?200点もあればいいほうと思います。どうやっても、残り350点の説明がつきません。
ではなぜそんなに点数が増えたのか。先ほどの玉ねぎ6個入りがバラなら2・3個、という例に、謎を解く鍵が隠されています。
玉ねぎの6個入り袋が、仮に198円だったとしましょう。バラなら1個33円+多少値掛けを上積みした値段になりますが。わかりやすく3個100円で売ったとします。浮いた3個分の差額、98円はどこに行くのでしょうか?そのまま何も買わずに店を出るのでしょうか?
追跡調査したわけではないので、断言はできません。想像に過ぎませんが。
単純にいつも通り料理をするとすれば、3個しか買っていないから半分の期間で無くなる筈です。無くなればまた買い物をしてくれるでしょう。『購買頻度が上がることが予想されます
そしてその度に、98円の玉ねぎ買う分のお金が浮いた、という意識があります。そしてそこに潜在意識として、例の「1日30品目を目標に」というお達しに代表される「いろいろな野菜を食べたほうがいい」という意識があります。
もうちょっと何か、と、何気なくふらっと見渡したその売場がまたバラ売りだらけで、1個2個から気安く買えるものが中心だったとしたら。手が出やすくなる、のではないでしょうか?
さらに。バラ売りを買ったお客さんが全部で500人として。うち5人に1人が1点他の野菜を買えば、100点売上げ点数が伸びます。単価の安さに気が大きくなって、3点ぐらい買ってしまう人だっているでしょう。
1着1980円ぐらいが中心の服屋で何着買っていくら、なら計算できるのに、100均へ行くといとも簡単にいくら買ったかわけわからなくなるまで買ってしまう、それと同じ構造です。単価が安いものをたくさん買っていると、いつの間にか予定より多く買ってしまいがちな心理が、特に女性には多いようです。
単価を下げたことによる安さ感の演出、これも持点上昇の分析上、見逃せない点だと思います。
 
もう一つ、これまでの最大単位を超える、大袋や箱売りなど、大単位の拡大も行いました。
これは、先ほど茄子の例であげた、桁外れにたくさん買いたい、買ってくれる人向けに、一番安くなり、しかも買い物が楽な商品を提案しよう、という考え方です。
それによって、バラ売りで安くなりすぎな点単価を補正しよう、という意図もありました。
それまでも単価上げを追求していた私のチェーンでしたから、トマトの4kgや長芋の10kg等、箱売りは強い傾向がありました。
私は、セールで値段で売るものだ、と考えられがちだったそれらを、レギュラー扱いとして固定してみたのです。売れ行きは上々でした。
さらにその上も狙ってみました。玉ねぎの20kg箱売り、茄子やきゅうりの5kg箱売りなど、よそではまず見ない商品にも挑戦し、まずまずの成果をあげました。
無理かなとなったらバラ売りしたり一旦引っ込めて袋詰すればいいので、ロスも出ませんでした。
南高梅3Lサイズ10kg1箱13800円、というのが私が出した中で最高の単価でした。家電品でもないのに5桁単価のものが売れるのか?と流石に心配でしたが、いつの間にやら売れていました。
梅漬けを作る人にしたら普通の量だったんでしょう。やってみるまではそんなこともまるで知りませんでした。
高単価品によるバランス調整がうまくできるようになるにつれ、売上げも次第に上がりました。
さらに、バラ売りの効果によるのか、店全体の努力によるのかは定かでありませんが。店舗客数もまた徐々に上昇曲線を描き始めていました。
 
利益を増やしながら不要(の予定)だったものまで売りつけて、何だかまるで巧妙な詐欺のようですが。
怒るお客さんはいませんでした。むしろ、感謝されていたと思います。
少しずつ買うことで、冷蔵庫でモノを腐らせる心配は減ります。賢く利用してもらえれば、主力野菜に使う1ヶ月の総額は私の店のほうがよそより安くなるんではないかと思っていました。
主力野菜が安くあがればいろんな野菜を買うことができます。例えば野菜炒めのような、いろいろな野菜を使うほどおいしくできる、という料理に、普段使わない野菜を無理せず使う余裕が出てきます。
それで野菜全体の消費が増えるのは、お客さんにとって不幸でしょうか?
そもそも、買い物というのは大きな喜びです。用が無くても買い物をする、ストレス解消になる、という、女性によくいるタイプの人にとっての「楽しい店」は、100円・198円とよく見る価格がずらずら並ぶ店と、20円30円50円と二ケタ単価が散りばめられ、その中に1000円やら2000円やらのデカイものまで各種取り揃えた店、どちらでしょうか?
 
青果に限らず、スーパーでは昔から胃袋とフトコロには限界がある、と言われます。
家族が食べる量と、旦那の稼ぎは変わらない、そのパイを如何にして競合と奪い合うかが浮沈の鍵だ、という発想です。
その発想が、単価増=売上増という常識と結びついたのが、私のチェーンの高単価追及路線でした。
でも、お客さんたちは果たして毎月毎月、スーパーの商品を限界まで胃袋へ詰め込み、フトコロを使い果たしているのでしょうか?
絶対に、答えはノーです。その論法で言えば、今やスーパーにとって最大の敵は、競合スーパーではなくコンビニやホカ弁、外食産業になるハズです。それらの店舗数増加のペースは、明らかにスーパーを数段上回っています。
家計に占める外食費は年々増加し、料理しない、できない人間しかいない家庭が増えてきているのです。
今スーパーに必要なのは、外食や弁当から家庭の料理、おふくろの味に切り替えさせ、今は半分しか使っていないかもしれない胃袋とフトコロを、スーパーの商品で使ってもらう努力なのだと思います。
胃袋とフトコロのバランス配分だけでも、考えること、改善できることはいろいろありました。今まで売れていた形態・プライスラインで、鮮度だけ気をつけていれば、というだけで伸びるものなら、こんなに消費を外食に食われるはずはないのです。
私の店が出来ていなかった所にも、まだまだ伸びしろはたくさんあるのではないかと思っています。
自分でコンビニ弁当を買うような担当者なら、いろいろ考えられることはあると思うのですが。
 
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