上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~13~
~12.「嗜好性」を狙い打て!青果担当の商品展開~
今日は、ものすごく当たり前の話の確認から始めたいと思います。
人は、食べ物を食べて生きています。食べなければ生きられません。言い換えると、他の生き物が作ったエネルギーを得て生きている、ということになります。
自分でエネルギーを作ることはできません。植物の光合成のように、太陽エネルギーを生命維持の源にできる能力はありません。
では、食べられれば何でもいいかというと、そんなことはありません。好き嫌いの好みがあり、おいしいものを食べたいという欲求があります。
生きていくために必要な養分だけが食べる目的ならば、そこらへんの草でも虫でも、生き物なら食べられるものがほとんどですが。どんなに好き嫌いの無い人でも、それらだけで生きていこうとは思わないでしょう。おいしいものを食べたがります。
だから、ほぼ生食しかしない他の動物と違い、食材に調理をします。そのままむしゃむしゃ食べるのが中心のものなんて、果物とうになど一部海産物ぐらいじゃないでしょうか。
これらをまとめると、人間が食べ物を食べるという行為、食べたいという欲望には、生きていくために必要、という『利用性』と、おいしいものを食べたいという『嗜好性』、二つのベクトルがある、ということになります。
(※「利用性」、「嗜好性」という言葉は、不適切かもしれません。私が自分で考えるのに使っていた概念で、どこかで勉強したものでないからです。もしかしたらより適切な言い方があるかもしれませんが、私は不勉強なのでわかりません。すみません。)
さらに、長らく続いてきた人類社会の中で、この嗜好性の中に枠が生まれてきました。日本国憲法ではありませんが、「文化的な最低限度の食事」とでも言うような、各民族文化ごとに共通する最低レベルがあるのです。
塩や砂糖・味噌醤油のような調味料は、本来嗜好性しかないものです。おいしく食べるために調味料が必要なのであって、それらの栄養分がどうしても替えがきかないものではないからです。塩分が必要だというだけなら、他の動物の生き血だってかなりの塩分があります。
でも、多くの人の認識はそうではないでしょう。塩や砂糖は生活必需品であって、贅沢品とは思っていないはずです。何故なら、それらがない料理は考えられないからです。
ないことが考えられない、これが「文化的な最低限度」です。「嗜好性」の中でも基本的な部分は、「利用性」に近い欲求として認識されているのです。
そこに、例えば塩であれば、赤穂の天塩がうまいだとか、この料理には岩塩が一番いい、だとかいうと、嗜好性の要素が強くなってきます。普通の塩しかなければそれでいいけど、もっといい塩もある、というわけです。
全ての食品は、このような「利用性」と「嗜好性」の二つの性格を併せ持つ商品、という性格を持っています。
そして、「利用性」というのは最低限度を確保しようとする、下限確定の欲求です。「嗜好性」というのは逆に、もっとおいしいものを、と上を上を目指す、付加価値を積み重ねる上昇志向の欲求です。
利用性を確保しつつ嗜好性を求めていると、みんなが欲しがるおいしい商品と、利用性は満たせるけどあまりおいしくはない商品、という違いが出てきます。
そして、その求める人の数、求める欲求の高さによって、価格が決まっていくわけです。これがいわゆる「需要と供給の法則」です。
塩のような、本当に誰でも必要とする、つまり「利用性」が高い商品は、もし一部大資本が買い占めたりするとどこまでも価格を吊り上げることが可能になります。キロ1万円するとしたって、どうにも必要だったら買わざるを得ないからです。
だから日本では、塩は長らく国の専売商品になっていました。安定した価格で供給し続け、税収にも似た国の安定収入を得るためです。
専売制度廃止で先の例のようなこだわりの塩も販売できるようになりましたが、昔からある「食塩」より安く売るものはまずないと思います。価格訴求で対抗するならより多くの量を売らなければなりません。安く供するのが目的で作られているものに対抗するのは大変です。
それより、おいしさや含有ミネラルなどの付加価値を前面に出し、その価値で需要を刺激し、高い価格で売ったほうが効率がいいからです。
「利用性」がベースなり、そこに「嗜好性」が乗っかったもの、それが、食品での「需要」なのです。
この構造は、そのまま商品の価格にも反映させることが出来ます。「利用性」による絶対的需要によって最低供給価格が決まり、「嗜好性」によって需要を上積みできればより高い価格で供給できる、というわけです。
さて。野菜の話に戻ります。野菜での利用性と嗜好性の関係は、どのようになるのでしょうか?
さんざん言ってきましたが。お客さんは野菜に対し、食べないと不健康になる、食べるべきもの、という印象を持っています。とりあえず何かしら野菜を食べなきゃ、と思っています。
健康の件は置いておいても、野菜を全く使わないで料理をする、というのはなかなか考えにくいでしょう。
ハンバーガーばっかり食べて、なんて言うお母さんはよくいますが、そのハンバーガーに挟まってるトマトもレタスもピクルスも、一緒に食べてるフライドポテトだって野菜です。自炊するなら、尚更です。
これらは言い換えると、高い利用性需要がある、ということになります。
また、野菜はなかなか単品でメインディッシュにはならない食材です。すっごくおいしそうなさつまいもを売っていたからと言って、おかずがさつまいもの天ぷらだけ、というのは有り得るでしょうか?
昨今はベジタリアンの人も多いので一概には言えませんが。大多数の家はエビやらイカやらキスやらがメインにあってこそのさつまいも、ではないでしょうか。
トンカツがあるからキャベツの千切りがあるのであって、キャベツがおいしそうだったからトンカツにした、という人はいないと思います。
付け合せであり、副菜である野菜は、「使う」という発想で買っている人がかなりの割合になります。私も何度かこのシリーズでお客さんが「使う」という言い方をしてきました。使う、という言葉には利用性のニュアンスが多分に含まれています。
また、野菜というのは様々な料理への汎用性が高い食材でもあります。キャベツで言うなら、単に千切りやサラダに始まり、お好み焼き、ロールキャベツのような洋風スープもの、シューマイを蒸す時の包みにも使えれば、焼肉で一緒に焼いたりもできます。
汎用性の高さも、何々に「使う」という、利用性の印象を強めています。
野菜という大きなくくりで見た場合には、お客さんのイメージとしては嗜好性より利用性の印象が勝つのでないでしょうか?
だから、かどうかわかりませんが、激安生鮮スーパーの経営者というのは、八百屋出身の人が非常に多くなっています。
どんなスーパーのチラシでも、上のほうの一番いい場所に青果が載っているのも、まずは青果の価格で利用性による絶対的需要の競争に勝とうとする意志の現れでしょう。
でも、野菜が食品商材である限り、利用性しか需要が無い、なんてことはありません。水ですら、圧倒的に安い水道水より嗜好性の高いミネラルウォーターに需要があるのですから、「おいしさ」だって求めているはずです。
ただ、野菜の食味がうまいまずい、というのは、まだまだ意識されていません。そういう売り方をしにくいからです。
塩の例を何度かあげましたが、今やコンビニですらいい塩と普通の安い塩を両方置いています。ラベルを見れば、いい塩か普通の塩かわかります。
キャベツを売ろうとする時、一番多いのは1玉でそのまま裸陳列です。手をかける担当者でも1玉にラップをかけて終わりでしょう。
その売り方で、昨日売っていた柔らかくて生食向きのサワーキャベツと、今日売っている固めで歯ごたえがあり、新漬けや焼き物向きのグリーンボールキャベツは、お客さんに見分けることができるのでしょうか?違いがわからない限り、その良し悪しも判断できません。
さらに、ほうれん草で説明したような「味は普通だけど安い」「高いけど味はバツグン」という商品が市場に出回っている場合、多くの担当者はどちらかしか売りません。
比較対象が無い限り、お客さんが実際に食べて今日はおいしい、おいしくない、と思っていても、次に繋がりません。おいしくないと思われたら、その店の野菜は二度と買わないかもしれません。おいしいと思っても、何と比較しておいしい、というわけではないですから、他の店が安いチラシを出せばそっちに飛びつくかもしれません。
そうした売り方を続けられてきた結果、お客さんの中で野菜は「どれでも一緒」、「どこでも一緒」という、以前指摘した意識が出来上がってしまい、結果利用性だけを追及した売場、安売り競争に歯止めがかからない、という状況を生んだのだと思います。
利用性だけの買い物というのは、調味料やら油やらを買うときを思い浮かべてもらえればわかるかと思いますが。実に単調なつまらない作業です。いつものアレを掴んでカゴにポイ、終了です。またおカネが財布から減りました。それだけです。
そこに、エンドで目を引く形でいつもと違う醤油を売っていたり、違うダシの試食販売をやっていたりしたら。どうでしょう?どっちがいいんだろう、どっちがおいしいんだろう、財布の中身だけでない「価値の想像」で、俄かに楽しくなってくるのではないでしょうか。
どっちでもいいことをどっちがいいか考える、というのは買い物の大きな楽しみの一つです。しかも、下限がある「どっちが安い」よりも、上限が無い「どっちがおいしい」のほうが、お客さんに喜びを与えやすいのです。
楽しい店は、お客さんに愛されます。嗜好性に対する刺激を与える仕掛けを、青果はもっとやる必要があると思います。
私がそんなことをざっくりと考えるようになったのは、やはり同じ2年目の春頃、アスパラの販売がきっかけでした。
アスパラというのは、需要に占める嗜好性の割合が非常に高い商品です。野菜の中でも他とはちょっと異質なほど高い、と思います。
買う動機の一番は、「おいしいから」です。実は多くの料理に使える汎用性の高い野菜なのですが、そこはあまり意識されません。そのまま焼いたり、バターでソテーしたり。極めてシンプルに、アスパラの味を楽しみたい、というお客さんがほとんどです。
冷涼な気候を好み、昼夜の寒暖差が大きいほどおいしくなると言われるのがアスパラです。北海道のアスパラは、全国に特産ギフトとして配送されるほどの名物になっています。
道産モノの旬は春先。4~5月です。この時期のアスパラは、スーパーの野菜部門にとって売上げの6%ほどを占める、極めて重要な商材なのです。
アスパラの売場計画をぼんやり考えている時に、私の頭は様々に回り始めていました。
大根。白菜。キャベツ。長ネギ。これらは、いろんな料理に使う。使うために買っているんだろう。
アスパラを使う料理って、何だ?バター焼きしか思いつかない。
バター焼きうまいよなあ。食いたいなあ。
そうか、アスパラはうまいから買うんだ、使うために買うんじゃないんだよなあ・・・
高いしな。あんなちょびっとで298円とかするのに買うもんなあ・・・
(中略)
待てよ。うまいから買うってことは、他の料理とか関係無くうまそうだったら買うってことか。
菓子買うのに晩御飯とのバランスなんか考えないもんな。
それじゃあ、他の野菜買った量に関係無く、うまそうだったら普通の買い物と別に買っていくってことか?
メニュー提案とかとりあえず置いといて、もっつりアスパラ重点の売場作ったらどうなるかなあ・・・
出来上がった売場計画は、多分に実験性を含んだものでした。平台の正面の一等地で、しかも全平台面積の20%以上がアスパラ、というものだったのです。
これがどれだけとんでもないものだったか、というと。
この頃の私の売場の、部門全体に占める売場別の売上げ割合で言うと、平台が大体80%、レギュラーが20%でした。単純に面積対比で言っても、売上げの16%を占める面積をアスパラ一品のために使った、ということになります。
そして更に、平台の前面(玄関に近い、お客さんの目に付きやすい面)は、背面より売れやすい、という傾向があります。それも含めて考えた売場効率で言えば、全売上げの20%ぐらいをアスパラで占めないと割に合わない売場、ということになります。
面積が広いということは、それだけ陳列量も多くなり、ロスも出やすくなる、ということです。アスパラは傷み足の非常に早い商材でもあり、それまでの常識では可能な限り陳列量を減らして回す、とされていたのです。
リスクが大きいことはわかっていました。しかし利益も売上げも順調な時期だったこともあり、ダメだったら3日でやめりゃあいいや、ぐらいに気楽に考えていました。
売れたら儲けもん。やってみなけりゃわからない。それが私のモットーでした。実際、売場作りだけで取り返しがつかなくなるようなことなど、そんなに無いものです。
その結果は。アスパラの売上げは、前年から倍増しました。客数対比でのアスパラ売上げで言えば、提携先も含めた全店で、2位以下を大きく引き離して私の店がトップでした。
とはいえ、まだアスパラが部門売上げに占める割合は11%ほどでした。面積効率では相当悪化しています。
ところが。部門トータルの売上げも前年比125%と、それまでのペースより高い伸び率を記録していたのです。
それまでのペースより前年比の伸びた分は、ほぼアスパラが伸びた分に相当しました。他の野菜の売上げはほとんど変わらず、ほぼアスパラが伸びた分全てが部門の伸びに繋がっていたのです。
私の想定以上の成果でした。そして、私の推論に一つの答えが出ました。
「利用性」の需要は売場展開に影響されにくく、「嗜好性」の需要は非常に大きく左右される。これはその後に続く、とうきびや枝豆、秋のきのこ等、嗜好性の高い商材の売場計画へと反映されていきました。
レギュラーで品揃え品になっている商材、言い換えれば利用性が低い商材にも、実は嗜好性は高い商品が数多くあります。
パプリカ。ししとう。オクラ。妙姜。スナップえんどう。小茄子。白かぶ。チンゲン菜。毎日の料理に使う機会は少なくても、たまに食べたい、好き、という人が多くいる商材たちです。
毎日平台に乗せたってたまにしか使わないから頭打ちでしょうが、安い売り頃のものがある時に目立たせてやると、面白いぐらい売れます。それを繰り返すとその商材のファンが増え、次第にレギュラーの動きも変わり始めます。
しかも、それら嗜好性商品の売上げは、やはり通常の利用性需要に食い込むことはありません。パプリカ買ったから今日はピーマンはいいや、なんてお客さんはあまりいないのです。
嗜好性商品が売れた分はそのまま、全部門の売上げの付加になっている、ということです。
利用性の売上げのベースに、嗜好性の売上げが乗っかる。お客さんの需要の構造、単品の価格の構造は、実はそのまま店の売上げの構造とも連動させることができるのです。
さらに。もう一つオマケの効果もあります。
いつも買うものを買って終わり、という店と、何だか珍しいものを売ってて、買ってみたらおいしかった、という店。買い物するお客さんが毎日通って、楽しいのはどちらの店でしょうか?
担当者の目線からだって、いつものものをひたすら積んで一日が終わる、という売場と、明日は何が売れるかな、と常にヘンなものを並べつづける売場。毎日仕事をしていて、楽しいのはどちらの店でしょうか?
実際、私の店の客数は、夏前からまた上昇曲線を描き始めていました。野菜の売場が楽しかったから、私自身が楽しんでいたから、というのも客数が伸びた一つの理由だった、と言っても、決して思い上がりではないと思います。
多少損したって、おいしいものを食べて楽しく生きていきたい、と誰でも思うものです。担当者だって、損得以外の楽しさを見つけてみれば、意外と得に繋がったりもするものだと思います。
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