2007-03-07

上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~9~

~8.時は金なり!青果担当の作業の単純化~
 
前項は、青果を扱う場合に考えなければいけない範囲が、単品で見た時にどのぐらいあるか、という話でした。
今回は、逆の話をしてみたいと思います。
例にあげたほうれん草のようなことは、もちろん全ての商品について考えたほうがいいことなのですが。それでは、身が持ちません。時間が足りません。前に書いたように、青果で扱う品目数は半端な数ではないのです。
どこかで、その複雑怪奇な要素の中から、最も重要な部分だけを抽出し単純化する、という作業も必要になります。
新人の三治君(仮名)のような場合は、経験のある担当者なら午前中までに考えられるようなことであっても、ひとつひとつしっかり考えていたら閉店までかかってしまいます。
だから、考えるべき中身をごくごく単純化し、最低限の結果が出るようにした「先輩の助言」が必要だったわけです。
と言っても、実際のスーパーの新人は、私が例に出したような「先輩の助言」はひとつも教えてもらえません。あのうち、実際に私が先輩から教えてもらったことというのは実は迷ったら、片っ端から中途半端にやれというこの1点のみなのです。
じゃあ他の「先輩の助言」は?というと、私が考えたものです。それも、どうすれば一番いいのかなんて全然わからない、1年目のペーペーの頃に編み出したものなのです。
 
私が入社して、研修として最初に配属されたのは片田舎の中規模店でした。一日客数1000人ぐらい、平日の青果売上げは20万ぐらい、というレベルの店でした。
この程度の店だと、普通部門担当者は一人しかいません。その店も、青果ひと筋30年の物凄い力量の大ベテラン、でも中途でライバルチェーンから入ったから出世とは無縁、という人が一人で青果をやっていました。
この人は、本当にすごい人でした。その後何十人もの青果担当者と知り合いましたが、この人を超える人はいませんでした。
りんごの鮮度チェックや売数把握で例に出したベテラン担当者は、この人です。感覚と数字を直結できるぐらいまで研ぎ澄まされた感覚の持ち主でした。
何しろ、開店直後ぐらいにちょっと市場行ってくる、と私に任せて店を出て、昼前に帰ってきたら売場も在庫も見ずに「きゅうり、そろそろ出しとけよ」なんて言うのです。
実際に売場にきゅうりはあまり出ていませんでした。売場で一番火急に出さなければならないものだったのです。度肝を抜かれました。
この手品のカラクリは、直接聞く機会がなかったので類推しかできませんが。恐らく次のようなものだったと思います。
 
1.私の品出しの癖を掴んでいたこと
 
この頃の私は、売場に数が出るきゅうりやらきのこ類やらは朝積んだらややしばらくほったらかし、というパターンが多い傾向がありました。
売場に数が出ない、回転が早い商品の減りが気になって、まだそこを常に補充する所まで頭も手も回らなかったのです。
 
2.客数の動向を掴んでいたこと
 
この人は、開店から30分ぐらいの客の入り、買い方で、一日の客数と売上げがだいたいわかってしまうという能力がありました。
私が計算式を持ち出してくどくどと説明した売数予測を、いとも簡単に脳内だけで、しかもより高い精度で出来てしまうのです。
開店後わずかな時間と、戻ってくる時の駐車場の台数を見れば、この人にはこの時間までの客数ぐらいわけなく想像できたのでしょう。
 
3.きゅうりの単品動向を掴んでいたこと
 
その時は冬でした。きゅうりは年中コンスタントに売れますが、旬でない上にサラダ需要が減る冬場は売れ行きが落ちます。
でも、その日は確か良く晴れて暖かい日だったのです。道も乾いてるし、たまに市場にでも、と言って出かけていった記憶があります。
北海道に住んでいると。厳しい寒さが続く毎日にポッと暖かい日があったりすると、急にアイスなんか食べたくなるものなのです。きゅうりも需要が上がるだろう、そう類推していても不思議ではありません。
 
この辺を、まさか帰りしなにずっと考えていたはずは無いでしょう。せっかく市場で今の相場動向を聞いてきたのです。そっちで頭がいっぱいだったと思います。
私であれば、市場の話から今現在の売場に頭が切り替わるのは、バックヤードを歩いて来る途中です。
そこで瞬間的に上記要件(まだあるかもしれないし、このうちのどれかだけかもしれませんが)が頭を駆け巡り、私への極めて適切な指示に繋がったわけです。
2時間の不在中の売場が、この人の頭には出来ている!新人の私には、衝撃の事件でした。
 
でも、その人から得られたものは何だったか、と言われると、心もとなくなります。
陳列の方法。鮮度。倉庫整理。最も基本的な、逆に言えば誰でも教えればできることを教えてくれたのはこの人でした。そのひとつひとつが非常に高い水準にありましたから、いい基礎を仕込まれた、とは言えると思いますが。それだけだったように思います。
値段のつけ方を聞いたときには、原価を元に、売れる値段で、としか言ってもらえませんでした。発注や売場計画に至っては、どうすればいいと思う?と逆に聞かれ、答えると、まあそのうちわかってくるよ。やってみるのが大事だ、なんて精神論みたいなことを言われました。
私も根が体育会系であり、そうした職人気質的な、見て技を盗む、というような世界が嫌いではないので、そういうもんか、頑張るぞ、と無邪気に走り回っているうちに研修は終わってしまいました。
頑張ろう、という意志と、尊敬できる先輩には出会えましたが、逆に言えばそれだけでした。しかも、それはおよそ金に繋がるものでは無いように思います。
 
研修の次の配属店は、チェーンでも有数の大規模店でした。入った時で平日客数が2500人、平日の青果売上げが80万ほどでしたから、人口20万に満たない地方都市のスーパーとしては相当上のほうにランクされる店です。
そこで私は、野菜の担当者、ということになりました。こういう大規模店では、担当者一人で青果全体はは管理しきれないので、野菜と果物は担当者が別れるのです。
かといって、野菜と果物がてんてんばらばらでは双方で共通している売場やパートさんの管理上マズイので、二人の担当の上にそれを取りまとめる部門マネージャーがいました。
担当が複数、マネージャーもいるとはいえ、非常に責任のある仕事です。先程、20万の小さい店で担当者一人、と言いました。80万売る店に三人なら、一人あたりの売上げ責任がより重くなる、ということがおわかりいただけるかと思います。
基本はわかってきていましたが、管理能力はゼロに近い私が、なぜそんな立場になるのか。それは、スーパーが抱えていた経営上の理由によるものでした。
 
むかしむかしバブルの頃。私のチェーンでは、どんなに小さい店でも青果担当は二人以上いました。交互に休みを取るためです。
しかしバブルは弾け、しばらくたって本格的な消費の冷え込み時代が到来しました。現金商売の強みで、運用だけでも結構な利益をあげていたスーパーにとって、ゼロ金利時代も強烈な逆風になりました。
そごうが。ダイエーが。長崎屋が。丸井今井が。次から次へと小売業が経営危機に追い込まれていく時代に、私は入社したのです。
利益確保のため人件費を削る、リストラが経営手法として広まりました。スーパーの青果担当は二人から一人へ、ごく小規模店なら担当を置かずパートだけ、とどんどん厳しくなっていったのです。
私のいたチェーンも、一時破綻寸前にまで追い込まれていました。優秀な担当者は兼並み退職し、一人あたりの労働量はどんどん増えるのに残業代もつかず、ひどい労働環境にありました。
そんな中で残っているベテラン担当者は、チェーンにとって辞めて欲しくない存在です。デカイ店でも小さい店でも給料が変わらないなら、小さい店がいい、と担当者に言われれば、従ってしまう、ことになっていたようです。
必然的に、作業が辛い大規模店は新人の職場になります。また、新人が一人で店をやるよりは、マネージャーが上にいる形のほうがリスクが少ない、という計算もあったようです。
どこのスーパーでも似たような状況があるようです。即戦力の募集が多く、新人を取っているスーパーはほとんどありません。取っているスーパーも、前線に放り込んでいることでしょう。
 
かくて私は、全く五里霧中の状況で、平日45万売る野菜部門の担当者に、半ば放り込まれるような体で納まったのです。
しかも私の前任者の異動先は、2階級以上特進でバイヤーでした。青果始めスーパーの担当者の成績と言うのは、前年売上げをもとに組まれた予算との対比で決まりますから、入社3ヶ月のド新人が、いきなり後のバイヤーの売上げと比較される立場になったのです。
とにかく、辛い毎日でした。わけがわからないのに、マネージャーからは毎日詰めが入ります。人間、わけがわからないことをわかれ、考えろと要求されるほど辛いことはありません。
しかも、わけがわからなくてうろたえている人間というのは、はたからみればサボっているようにしか見えないものです。
やる気あるのか?と言われれば言われるほど、研修で先輩の背中に微かな憧れを感じて生まれたやる気は失われていきました。
どうすれば、やる気があるように見てもらえるのか。売上げ等の結果よりも、やる気があるように見える=一生懸命動いているように見えるよう仕事をする、それが当面の目標になりました。
この時期にマネージャーに言われた例の迷ったら、片っ端から中途半端にやれという助言をもとに、考えるより動く、を実践するようになりました。
動いている最中にも、厳しい要求は続きます。動きながら、その要求についても考える、ようやく、動きながら考えることができるようになったわけです。ここまでに、半年ほどかかりました。2月に異動し、盆という繁忙期を越えて、ようやく余裕が出てきたのです。
動きながら考えていると、「動き」か「考え」か、どちらかに寄っていることを意識できるようになります。それは、「動き」の量か「考え」の量かを減らすと楽になる、つまり単純化の発想に繋がっていきました。
とはいえ、まだまだお客さんのことなんて頭の片隅にもありません。忙しすぎる毎日を、目の前の仕事をこなすので精一杯、それ以外は考えませんでした。
 
店を移って半年。盆の終わりに、一緒に働いていた果物の担当者が辞めてしまいました。彼は30前半で、かなりできる人でしたが、ほとんど彼より上の年齢層しか残っていない会社の、上の閉塞感が耐えられない、と言っていました。
代わりにやってきたのは、40半ばのオジサンでした。このオジサンはもともとまるで別の仕事をしていて、2年程前から青果に来たのだ、仕事もそうだが人生の先輩だからな、とマネージャーに聞かされました。
これが、とんだ先輩でした。年がいっているので、私のようなキツイ詰められ方を経験していなかったのでしょう。2日一緒に働けば、基礎知識すら私以下しかないことがわかりました。
担当者の責任意識は皆無でした。前の仕事の影響もあるのでしょう、言われたことを必死にやるのが、それだけが仕事だ、と思っているような所がありました。
言われたことを、と言っても、青果の仕事は品出し一つとっても見てもらったように考えなければならないことがたくさんあります。いちいちどれをいくつ出して、なんて指示は誰もくれません。むしろパートに指示するのが担当者の仕事なのです。
マネージャーも、オジサンをそのまま果物の担当者にはめるのは無理だ、と判断したのでしょう。自分が果物に入り、オジサンは私やマネージャーの休日等に入る、サブの位置付けにしたのです。
ある程度はお前一人でもできるだろ、というマネージャーからのメッセージとして、粋に感じました。と同時に、連日の詰めから解放されて大きな安堵がありました。再びやる気が沸いてきました。
でも、現実は甘くありませんでした。
 
詰められている、ということは、自分の未熟な部分を補ってもらえている、ということでもあります。マネージャーに助けてもらっていたわけです。
その支えが無くなって、どうしていいかわからない部分が幅広く残っていることが、嫌でもわかりました。
どこがわかっていないかわからなくても、わかっていない部分があることが、この仕事は売上げ・利益という数字に如実に表れてくるのです。
考える材料すら、誰も与えてくれません。おまけに、何もわかっていないに等しい、年が20近くも上のオジサンに、自分の代わりをしてもらわなければいけない場合があるです。数字が落ちるのは当然でした。
特に発注や計画のような、頭で考える仕事は、オジサンには全く期待できません。週一回しかない休みも削って3時には店に行き、計画までやって8時に帰る、という生活になりました。
でもそれは、確実に私を変えました。自分の仕事を振り返る、という視点ができたのです。自分がいない時のオジサンの仕事振りに、俺ならああしたのに、こうしたのに、という考え方をするからです。
同じように自分が不在の時でも、マネージャーに対しては絶対しなかったろう考え方でした。
そこから、じゃあ自分と同じように、能力で劣るオジサンに動いてもらうにはどうすればいのか。それをオジサンにもわかる言葉で伝えるにはどうすればいいのか。という方向に発想が向いたのです。
言い換えれば、作業を自分が出来る範囲以上に単純化し、さらにわかりやすくまとめようと考えたわけです。
例の「先輩の助言」のほとんどは、この時に考えたものです。後にそのオジサンが前にいた店の大先輩に酒の席で、内容こそ違えど俺もそうしていた、という話を聞いて、勇気付けられました。
8月から年末の大混乱まで、一切休み無く働いていくうちに、オジサンの使い方はわかってきました。あんまり休まず、しかも一日いてくれる便利なパートさんぐらいの感覚で使うようになりました。
今思えば、一緒に働いていく仲間として、オジサンを教えて伸ばしていくような発想も必要だったのかな、と思います。実際、マネージャーは何とか果物を担当させようと私の見えない所でゴチャゴチャやっていたようです。
もっとも、立場は私が下だったんですから、仕方ないとも思いますが。
 
オジサン向けに考えた単純化の発想は、自分の仕事にも役立ちました。考えなくてもたいして結果が変わらない部分は極限まで単純化できるようになり、どんどん余裕が出てきました。
芋を積み込みながら「今日は芋が売れてるな、明日の売場どうしよっかな」と考える、という、ベテラン担当者が当たり前にできることが余裕を持ってできるようになってきたのです。
帰る時間が早くなりました。年明けからは週一回の休みも店に行かないことにしました。ぐっすり寝たり、ゲームをしたり、ネット友達とのオフに参加したり。気分転換が出来るようになると、仕事中も頭が回るようになりました。
これだけ労働量を減らしていても、売上げは逆に着実に上がり始めました。2月に入り、「前年」という比較対象が自分になると、プレッシャーからも解放されて、あれだけ壁に感じていた「前々年」を上回る売上げが出るようになりました。
作業の単純化が、効率改善に、仕事の質の改善に、最後は売上げにまでしっかり繋がっている、ということが、この時にわかり始めたのでした。
しかも、誰に教えられたわけでなく、自分で考えたものだったので、より確信を持って仕事に打ち込めるようになっていきました。
 
時間にも、出来る仕事の量にも、限界があります。やるべきことが無限に近いほどあるのとは対照的です。
体も頭も丈夫だから休まなくてもいい、今すべきことは出来る限り全部やりたい、とやっても、余裕がなくては先のことは考えられません。「今」に追いかけられ続けるのが商売ですが、「今」より大事な「明日」もあるのです。
今日も明日も今を大事に100点満点の100点取り続けても、ひょっとしたらあるかもしれない200点満点の売場は見つけられません。今日100点満点の8割、80点で済ませて、明日150点満点の売場を作れれば、150点満点の8割取れれば120点。これを繰り返し売場を改善していけば、最後は大差で8割売場が勝つのです。
単純化出来る範囲を見極め、楽に仕事を進めることで、明日を考える余裕が生まれます。
時は金なり。時を圧縮する単純化は、金になってちゃんと返ってくるのです。

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