上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~8~
~7.同じほうれん草だけど違うほうれん草?青果担当の考える範囲~
前回までで、新人の三治君(仮名)を通じて、青果担当の1日の作業と、それが意味しているところにまつわる脱線話をしてきました。
客としての視点で見たら、どこに行っても同じように見えてしまいがちな青果の売場に、担当者がどう関わっているかわかってきたと思います。
どこに行っても同じ。多くのお客さんがそう思っているように、担当者にもそう思っている人間が数多くいます。担当者の目線で言い換えると、同じモノならどう売っても同じになります。
同じなはずはないんです。同じなら潰れる店も儲かる店もありません。
商圏人口、駐車場の容量などの集客キャパシティに応じた客数だけ来て、同じように買っていくなら、店間の優劣は立地だけで決まるハズです。現実は、そうなっていません。
私の店には、50km先の田舎町から毎週車で買い物に来てくれる、もともと農家をやっていた老夫婦のお客さんがいました。
50km走ってくる間には、イ○ングループやヨー○ドーグループ等、全国に冠たる大手チェーンの店も、激安で売る地元チェーンも、青果市場でやっている鮮度バツグンの直売店だってあり、そもそもご夫婦の地元に生産者直売所だってあります。
それでも、私の店に来てくれていたのです。
そのお客さんとの取り留めない雑談の最中に、アンタがいるからこの店に来ているんだと言われた時には、泣きそうになりました。
もちろん店で売っているもの、やっていることは青果だけではありません。肉も魚も食品も本屋も衣料品もありますから、額面どおりにには受け取れません。お世辞の部分が大半でしょう。
でも、確かに、担当者の仕事はお客さんに伝わっている、それを期待して来てくれるお客さんがいるというのは、大きな励みになりました。
どこに行っても同じだと思っているお客さんも、何らかの理由で店を選んでいます。
車社会の現代では、特に自家用車保有率が高い北海道では、500m先のスーパーへ行くのも5km先のスーパーへ行くのも車です。どちらでもたいした時間・労力の違いはありません。
その範囲にある店が1店、というド田舎ならともかく。全人口のほとんどを占める都市圏住民は、その範囲に何店もある店の中から「何らかの理由」でどこかの店を選んでいるのです。
お客さんが意識していないのは勝手ですが、毎日モノを売り細かい所まで動向を掴める立場にある担当者が、「何らかの理由」を推測する材料を持っている担当者が気付いていない、その上勝手に同じモノならどう売っても同じと決め付け気付こうとしないようでは、お客さんに見放されます。
それは、並んでいるものでお客さんは満足するに決まっている、という傲慢に他ならないからです。
例えば、同じほうれん草であり、また多くのお客さんがどれでもたいした違いはないだろうと思っているほうれん草であっても、いろいろな商品があります。
バンバン化学肥料を使いハウスの暖房温度を上げた促成栽培で収穫量を増やし、害虫駆除も農薬をバンバン使って人件費コストを減らし、出荷価格を抑えている上に出回り量が 多いから当然価格も安い、緑が薄く葉がぺなぺなになっているわりに茎だけ筋張っているほうれん草。
昼夜の寒暖差がほうれん草の食味に大きな影響を与えることを考慮して朝晩暖房を落とし、だから株の成長速度はゆっくりで、地力を高めるため極力肥料を使わず、害虫駆除も手作業でやって安全なものを作ろうとしている。緑が濃く葉がしっかりして、それでいて茎がやわらかいおいしいほうれん草。でも手がかかるから価格は高い。
どちらがいいか選ぶのは、お客さんです。どれでも同じほうれん草ならとにかく安いほうがいい、というお客さんもいれば、高くてもいいからおいしくて安全なほうれん草を、というお客さんもいます。
店がどちらか選んで売るのは勝手ですが、どちらかしか置いていない店にはどちらかを求めるお客さんしか来ません。安いほうれん草を欲しがりそうなお客さんが多いのに、高いほうれん草しかない店、またはその逆というのは、確実に客数を減らします。担当者の勝手で傲慢な思い込みに、お客さんがそっぽを向くわけです。
米国産牛肉の輸入再開議論のことを思い出してみて下さい。安全絶対論の人もいれば、吉野家牛丼早期復帰を願う人も多かったはずです。どちらかに決め付けてはどちらかから反対があります。
米国政府の傲慢な態度は、多くの人の反感を買いました。日本政府の日和見な態度は両方から反論が出ました。
同じことが、店では売上げという数字で、しかも自分達の生活に直結する数字で示されます。それをどうでもいいと言ってしまうのは、食えなくてもどうでもいいと言っているのと同じことです。
じゃあ、例えば先程のほうれん草の場合で、担当者がするべきことは何だったのか。
まず第一は、お客さんの需要を把握することでしょう。
過去の売上げを見てみれば、どんな商品が売れているのかから、価格なのか、品質なのか、安全なのか、量の単位は、など、お客さんの需要を様々な要素で多角的に分析できます。
定期的に行われるお客様アンケートも参考になります。何を求められているのかをしっかり掴まなければなりません。
安さがウリのスーパーで、ずっと最安を意識して売ってきた、そういうお客さんが多い、という場合でも、安全な高いほうれん草を一度並べてみるべきです。データが無い商品は需要を類推することもできません。並べる商品は単なるメシのタネとしてだけでなく、将来の売上げを類推するデータの対象でもある、という視点が必要です。
売れ行きが悪ければ3日で止めたっていいでしょう。3日で1万ロスったって、月間1000万売る店では僅か0.1%です。月間100万の店(街の八百屋並みの低水準ですが)でも1%。その間にいつものほうれん草はいつも通り売れるでしょうから、試してみる価値はあるはずです。
第二は、きちんとした情報をお客さんに提供することです。
ただ単に「○○産ほうれん草1袋100円」と、「△△産ほうれん草1束200円」とだけPOPに書いて販売すれば、誰だって○○産を買うでしょう。それぞれが安いけど農薬たっぷり、高いけど安全でおいしい、という特徴があることは、お客さんには伝わらないので、目に見える価格だけで判断してしまうのです。
価格は、いつでも最大の、一番わかりやすい判断基準です。ほうれん草で実際によくある産地パックの単位で言えば、200g150円と150g130円で、何も書かなければまずお客さんは130円を買います。
gあたりなら200g150円の商品のほうが安いんですが、200g、150g、と量目を表示しないでどちらが安いか判断できる人は稀でしょう。
ティッシュの5箱綴り売り商品には必ず1箱何枚入りか書いてあります。書かないとわからないからです。
量なら数字で済みますが、今回のような品質の件だとちょっと複雑です。
まず、農薬・化学肥料の使用量が少ない農産物については、農水省で「有機農産物及び特別栽培農産物に係る表示ガイドライン(参考URL:http://www.greenjapan.co.jp/nose_yukifood_guide.htm)という表示基準を定めています。これに沿った商品なら、表示すればたとえ基準を知らないお客さんにも比較上安全性が高いことをアピールできるわけです。
ただ、農水省へ申請が必要で、コレが非常に面倒なため、表示基準を満たしていても表示許可を取っていない生産者も数多くいます。
そこで、農薬・化学肥料の使用来歴と一般的な使用量を直接表示するという荒業に出ているスーパーもあります。詳しく読むお客さんはよほど意識が高い人でしょうが、表示しているだけでもどちらが優位かは判断基準に加えられるわけです。
食味については、個人の味覚の感度、そして好みも関わってくるので、一概にどちらが、とは言いにくくなります。
こっちがおいしい、と表示しても、わからない、ちっともおいしくなかった、という苦情に繋がるので、担当者の独断で恣意的なことを言ったり書いたりは出来ないのです。
最も手っ取り早いのは食べさせることです。つまり試食提供です。
加工肉や惣菜でよくやっているような、おばちゃんを立たせてホットプレートで、という方法なら非常に効果的でしょうし、そこまでしなくてもほうれん草なら軽く水にザブンと浸けてからレンチンすれば即席おひたしにできます。
それを売場に置いて、お客さんに勝手に食べさせる、みかんの箱売りでよくある試食と同じパターンです。
安いもの高いもの、どちらも試食を出せればベストですが、高いほうだけ試食を出しても、こっちの味に自信がある、という食べなくても伝わるアピールの効果があり、これがなかなかバカになりません。
試食分のロスがもったいないようですが、一人一人のお客さんはチョロッとしか食べないでしょうから、200g200円のほうれん草なら2袋あれば十分なハズです。
100袋売れば2袋試食に使ってもわずか2%以下です。単品の利益率は25%ぐらいに設定しているでしょうから、なんてことはないのです。
一日100万売る青果部門のトータルで見れば、200円×2の400円など0.04%に過ぎません。
ロスが心配だと言うなら、試食分より試食を出さなかったことによる機会ロス、在庫をより多く残してしまうことによる値引きロスリスクだって考えるべきです。
試食を出す手間が 惜しい、という場合なら、おいしいほうれん草の見分け方、というPOPを出してあげるのも効果的です。
どちらがおいしいか、と書いては責任問題なので、お客さんがおいしいものを選ぶ判断基準を提供するわけです。
ベテラン担当者は、物凄い量の商品知識を持っています。りんごを指先で弾いて、その音でボケを確認する、というのは割と良く知られた確認法ですが、ベテラン担当者は触りもしないで、見ただけでわかるのです。
でも、それをお客さんにフィードバックし、売りに繋げている例は少ないように思います。せっかく担当者はおいしい商品を知っているのに、お客さんに伝えていないのです。
バナナは黒点がポツポツ出てきたぐらいが一番甘味があっておいしい、ということすら、知らないお客さんが多いので黒いバナナはいつまでたっても値引き対象です。
値引きシールのかわりに「食べ頃シール」でも貼れば、正価売りの日数を一日伸ばせるのに。もったいないと思いませんか?
このほうれん草の場合でも、店として売りたいのは絶対に高いほうれん草のはずです。安いほうと同じ利益率なら、お客さんが買っていったほうれん草の量は同じ=食べるほうれん草の量は同じなのに、店の売上げ・利益額は倍だからです。
そして、このほうれん草はおいしい、と気に入ってもらえれば、次もその次も高いほうを買うでしょう。もう一度同じ商品を買う、という場合、判断基準は価格に代わって味が最優先になります。
おいしいからもう一度買う、または安い割においしいから、満足できたからもう一度買うのであって、安くても満足できない商品というのはお客さんは二度と買いません。
つまり、明らかに一般的なほうれん草よりおいしい商品であれば、ほうれん草の売上げを恒常的に伸ばす、最大2倍にできるチャンスなのです。
なのに、最初の購買動機を与えない、与えられるのに与えない、というのは非常にもったいないと思うのですが。
第三に。潜在的需要を刺激することを考えなければなりません。
ほうれん草は、ポパイを例にするまでも無く代表的な緑黄色野菜であり、体にいいというイメージが定着している商品です。(参考URL:http://www.j-medical.net/food/f-hourensou.html)
すごく好き、というお客さんがそんなに多いわけではありませんが、食べたほうがいいというイメージを意識せずとも持っている、つまり潜在的需要があるわけです。
これはほうれん草に限った話ではなく、青果全般に言えます。1日30品目食べましょう、なんて奨励をしているビラに含まれる品目の、だいたい半分ぐらいは青果です。
健康のため一日350gの野菜と200gの果物を食べましょう、なんてわざわざ官庁が量まで指定してくれていたりもします。青果と健康志向というのは、現代では切っても切り離せない関係にあるのです。
言い換えると、お客さんは、自分の健康のために、どれか青果を買って食べるべき、という潜在的需要を持って店に来ているわけです。
しかし、具体的にどれを食べるとどういった効果が、自分の持病にいいのはどれ、という所まで知識を持っているお客さんはなかなかいません。
そもそも、健康志向が高まったとはいえ、今現在病院に罹っているのでもなければ自分が不健康だと思っている人はあまりいません。
だから、何でもいいから野菜食ったほうがいいんだろうな、どうせなら安くておいしいものがいいな、ぐらいの、あくまで意識しないイメージだけ持って店に来ています。意識して買うわけではないから「潜在的」なわけです。
そこを刺激するには、どうするか。
まず一番わかりやすい、価格で訴求します。安いほうのほうれん草を目立たせて、安さを印象付けます。
そこにさりげなく、先程参考URLで示したような情報を、POPやリーフレットで提供してあげます。だんだんと、お客さんの中にもともとあった「ほうれん草」・「野菜」・「健康」のそれぞれが繋がり意識され始めます。
食べたほうがいいんだろうなあ、と思うあたりで、隣に並んでいるもう一種類のほうれん草に気付きます。こっちが農薬もあまり使っていないから安心だしさらに健康志向、しかもおいしいらしい、という情報が入ってきます。
どっちにしようかな、と思わせてしまえばもうこっちのものです。どちらかはわかりませんが、まずほうれん草は買うでしょう。何故か。
もし買うならどちらがいい、という質問には必ず答えがあります。そして、「買うなら」という肯定的な前提があります。選択肢が無く買うか買わないか、だけの状況よりも肯定的な「買うなら」という前提があり、しかも「こっちがいい」という答えが出てしまうため、買う可能性が高くなるのです。
特に欲しかったわけではないほうれん草が、いつのまにやら買ったほうがいい、という購買意欲にまで段階的に意識を摩り替えられたことになります。
単に「安い」、「おいしくて安全」のどちらかの商品の魅力だけでは、この構造は産み出せません。二つの異なる魅力がある商品があったから、購買意欲に結びついたわけです。
もちろん売場スペースは限られていますから、あまり多くの種類の品目にできる芸当ではありませんが。一つの商材でもいろいろな魅力があり、それの選択肢をお客さんに与えることで新たな購買意欲が得られる場合があるというのは知っておいたほうがいいと思います。
【余談ですが、同じ構造で消費を刺激している例に、100円均一ショップ、「100均」があります。
そこでは「100円」という気軽に買ってしまえる、わかりやすい価格のくくりで様々な商品が並べられています。「同じ100円ならどれがいい?」という選択肢問題が売場中に巡らされているわけです。
100円=安い、という肯定要因があり、さらにそこに並んでいる商品は人が日常生活の中で感じている潜在的需要を刺激する商品ばかりです。
肩叩き棒がどうしても欲しい、と思い買いに来るお客さんはまずいないでしょうが、肩こりに悩んでいる、という人はかなりの数いるでしょう。
100円という手が出やすい価格でそういうお客さんをひっかけた瞬間に、お客さんの中には100円の肩叩き棒、それで手に入った価値、という比較基準が現れます。
これが100円。これも100円?これも100円?と、「100円」で「肩叩き棒」という価値基準と、売場の他の商品との比較を無意識に繰り返すうち、何だか次から次へと潜在的需要が購買意欲に摩り替わり、いつの間にやらカゴいっぱい、というわけです。
誰にでも一般的な生活必需品、それでいて購買頻度の高くないもの、タワシやら風呂桶やらを豊富に並べているのはホームセンターだって金物屋だって一緒です。でも100均には、そのタワシや風呂桶を掴ませたことで潜在的需要を刺激できる要素が山程あるわけです。
雨後のたけのこのように100均が至る所に現れ、どんどん勢いを増してきたのは、この購買時の心理によると思います。】
ほうれん草ひとつとっても、お客さんの需要の要素、それに応え、売上げをを伸ばすために青果担当者のできること、というのは、実はたくさんありました。
スーパーにとって一番重要なのは、当たり前ですがとにかく商品を買ってもらうことです。でも、それは誰でも思いつく「利益のため」だけではありません。
生鮮食品の場合は、「どこそこで売ってる野菜」「どこそこの魚」「どこそこの豚肉」というように、お客さんの印象の中での商品特性に、どこの店で買ったか、という要素が加わってきやすい特徴があります。
同じ「ほうれん草」でも、見てきたように安いものと高いものは違う「ほうれん草」でした。
これを例えば、カレールーで同じように考えてみて下さい。H社とS社のものは味も違うし、同じH社でもいろんな価格帯の、いろんな辛さを揃えています。それぞれに商標があり、区別が明確です。
どれを買うか決めている、または今日の目的に合わせてどれにするか選ぶ、というお客さんがほとんどだと思います。さらに、どこの店へ行っても目的の商品を選ぶでしょう。商品ごとの差別化がしっかりできているからです。
青果の場合は、「ほうれん草」としか普通言いません。「~~さんちのほうれん草」等と差別化を計る動きが強まってきてはいますが、まだまだカレールーの場合ほどその違いの基準がお客さんから見て明確ではありません。
豚肉なら豚肉、サバはサバです。B1豚、黒豚、関サバのようなこだわり商品が出てきてはいますが、高い商品を売るためのものであって、カレールーのようにごくごく一般的な商品の域まで差別化されているわけではありません。
そこに、同じ産地のほうれん草でもA店はいつも高鮮度、B店はいつも腐れかけ、なんて鮮度の要素が加わりますから、「どこそこで買った野菜」、「どこそこの肉」「どこそこの魚」というように「店」と「商品」が結びついて印象付けられやすいのです。
売った商品に満足してくれれば、また来てくれます。また買ってくれます。
他では得られない満足であれば、冒頭の老夫婦のように手間を惜しまず通ってくれるのです。
でも、商品を手にしてもらえなければ、その満足を与える機会すらないのです。永遠に。
どれでも同じだ、と売っている限り、限られた人、たまたま需要と商品があった人にしか満足を与えられません。満足を与えていない人は、固定客にはなってくれません。
チラシで安いものを出すとそれだけ買ってよそへ行く、そんな店にとって一番嫌なお客さんになってしまう、かもしれないのです。
今日の売場は、明日に繋がっています。明日売れる店は、昨日も今日も売れている店です。
いい売場を作り、最大限の売上げを目指すことは、これからの売上げの伸びに直結しているのです。
同じモノならどう売っても同じ、なんて言っていれば、いつまでも売れないままですよ。
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