上から読んでも下から読んでも八百屋です。 ~24~
~おわりに・青果担当が辞める日~
1ヶ月以上続けてきたこのシリーズですが。一応前回で、言いたかったことはだいたい言い尽くしました。
もともとは10回ぐらいで終わろうかな、と考えていたのですが、書けば書くほどあれもこれも、と書きたいことが出て来て。1回あたりの文章もやたら長く、何の予備知識もなく読んでいるような方にはつまらない駄文でしかなかったかもしれません。
ただ、私がどれだけこの仕事に打ち込んで、様々思いを巡らしていたのか、ということは、その分量からおわかり頂けたかと思います。
どちらかと言えば私の個人的思想観に偏りがちなこのブログの中で、青果担当としての経験はそれを形成するのに欠かせない部分であった、というような読み方をするのは、これは私だけかもしれませんが。
最後に、そこまで打ち込んでいた仕事を、なぜあっさり辞めてしまったのか、という部分に触れなければならないような気がします。
今でも、客としてスーパーの売場に立つ度に、ここをこうして、このアイテムが弱いからこんなイメージで、と、私の理想の売場を追い求める意識は消えていません。
でも同時に、今後またスーパーで働くことはないだろうな、という思いも実感としてはあります。あまりに過酷な業務の実態と、その中で思うに任せない部分がどうしてもあることを知っているからです。
元手があったら、ひとりで青果店を始めてみたいな、という気持ちならありますが。そこまでの金銭的余裕と社会的信用を得るのは生半可ではないだろうな、とも思います。
丁度3年前のこの時期、もう少し早い3月の終わりごろでした。
発注の最中に店長が私を呼び、異動の辞令が出たことを知らせました。その時は時間がなかったので、あとで伺います、とだけ言って中身は見ませんでした。
既に3年、その店で働いていた私にとって、内容はともかく異動があること自体は驚くべきものではありませんでした。3年同じ店というのは、下っ端としてはむしろ長いぐらいだったのです。私のチェーンでは、普通は2年以内で異動するのが慣例になっていました。
そこまで長居になった理由というのは、1年目は私より下がいなかったからでした。全店でも最も過酷な部類だった私の店をやる人間が、他にいなかったのです。
2年目は、改装が理由でした。私の改装計画は提携先のバイヤーから評価されており、それを実行し軌道に乗せるためには動かせない、と言われました。
3年目。最後の課題になっていた果物もこなした私は、店舗統轄トレーナーという立場になっていた前のマネージャーから、次に改装予定がある中規模店のマネージャーをやらないか、と打診されていました。提携先のバイヤーもみんな賛成している、という話でした。
その頃、私の家庭では子供がちょうど1歳になったばかりでした。通例どおり異動の1週間前に辞令、では家決めるやら引越しやらなんやら準備も大変なんで、話が具体的になったらあらかじめ教えて下さい、と頼んでおきました。
何の前触れもないので話は流れたのかな、と思っていたら、辞令は突然やってきました。しかも開いた紙切れの中身は、聞いていた話とはまるで違っていました。
売上げ規模としては私のいた店より一回り劣る店の、3人体制の一番下の担当者、しかもその店は200kmも今の店から離れた田舎の店でした。
あまりに何やらわけのわからない話なので、店長に聞いてみました。それはそれは、ハラワタが煮え繰り返るようなものでした。
その田舎の店には、地元採用して7年目に入った担当者がいました。私は直接の面識は多少しかありませんでしたが、ぼんやりしてて責任感がない、仕事をやらされてる感じ、というのがもっぱらの評判でした。
その担当者は、採用の時に一つ条件をつけて、会社がそれを飲んで契約をしていました。その条件は、地元以外の店、実家から通える範囲の店以外には異動しない、というものでした。実家に体の弱い母がいて、面倒を見なければいけないから、というのがその理由だったそうです。
会社も、7年前はそれでもよかったかもしれませんが。不況のど真ん中の7年間で状況は大きく変わりました。まともな担当者はみんな辞め、その人にも他の店で働ける意識を持ってもらわないと困る、という事態になっていました。
1年越しで説得して、やっと動く気になったんだよ。でもデキる奴じゃないから一人で任せることはできない、だからウチの店に来ることになったんだ、と、店長は美談ででもあるかのように話していました。
説得した側からすれば美談かもしれませんが。私にとっては侮辱以外の何物でもないな、と思いました。必死に成績を上げてきた私を、先後の関係はあるとはいえその人の都合だけで動かす、ということですから。
「要は穴埋め人事で僕に行け、っていうことですよね?」とはっきり言いました。その頃は成績がよかった私ですが、最初からスイスイできたわけではありません。その人が伸びるためなら飲むしかないのか、とも考えていました。
そのとおりだ、すまない、と一言あれば、それで一件落着でした。恐らく大急ぎで家を探して言われたとおりにしたでしょう。でも店長からは、その思惑通りの言葉は出てきませんでした。
「まあ、形はそうなるけど。君は一番若いし。これからがあるから。何事も経験だよ。」店長はそう言いました。その時点で、私のハラは6分目まで決まりました。
これから。その7年目の彼がいなくなるまで、私はずっと一番下なのでしょうか?数字で誰にでもはっきりわかる実績を上げ、同部門の上司はみんな認めてくれているのに。別に出世しなくたって一向に構いませんが、穴埋めだけの理由で左遷される謂れはありません。
そういう私の思いを、思いをもってもおかしくない周辺の状況を、自分の店の店長が全く把握していないのにも嫌気がさしました。
家に帰る途中、一度ブッと膨らんだ不満の風船が、どんどん膨らんでいくのを感じました。非人間的な労働条件にも耐え、残業代どころかボーナスもつかない中で、自分で頭が痛い思いをして100円でも200円でも売りを伸ばそうという努力を重ねてきて、その思いなら、誰にも負けない自信があったのに。
それを「形はそうなるけど」などと踏みにじられて、平気でいられる図太さはこの頃の私にはありませんでした。
その晩には、辞める方向で、ということで家でも話がまとまりました。それでも一応、トレーナーに確認してから、という微かな望みはまだ残っていました。
翌朝一番で、マネージャーには「辞めるつもりです」と告げました。店長が慌てて飛んできましたが、まともに話をするつもりはありませんでした。
開店準備が終わった頃に、トレーナーも店へ来ました。この人にはとにかく軽薄にベラベラ喋る悪癖があって、この時はそれが悪いほうに出ました。
「いや~、お前、あれだぞ。俺も上には○○店(改装予定店)にお前で、って書面で提出してたんだよ。俺もびっくりしちゃったよ、いきなりだもん。何でも○○専務が絶対ダメだって潰したらしいんだよ。俺の計画。」
○○専務。私の5%事件の時に、一悶着あったその当人でした。
それを言わないで、黙って自分の力不足でこういう異動になっちゃってすまない、期待させてたのにな、とか何とか泣かせる台詞が聞ければ、私の心にもまだグラつく余裕、思いとどまる余裕は残っていたのですが。
言ったばっかりに、私の中で全てが繋がってしまいました。その後の2年で、その5%の時落とした分の粗利益など多額のお釣りをつけて返していた私に。今更の報復人事だったのです。
完全に、この組織はダメなんだと見切りをつけました。ついでに、自分が私の恨みを買わないために口を滑らして真相を暴露し、私の心を完全に固めてくれたこのトレーナーを「異動がありそうなら早めに言ってください、って僕あらかじめ言っておきましたよね?それはどうなってたんですか?」とイジメておきました。
退職が正式に決まっても、代わりの人事が云々言って、その後1ヶ月は働くことになりました。
私は、私にしかできない報復を企てました。全精力を傾けて絶対に破れない売上げ、つまり前年実績を作り、次の担当者を苦しめてやろうとしたのです。
最後まで全力で、売りまくりました。それは非常に爽快で、責任感がない分だけとても楽しい仕事でした。
一身上の都合で辞職したのに、なぜかパートさん主催でお別れ会が開かれました。「若い男がいなくなって寂しいでしょうが~~」などと悪態つきながらも、最後まで私を信頼してくれたこの人たちを、私は忘れません。
その後そのチェーンの経営がどうなのか、知る由もありませんが。私個人だけのことでなく、職員全体を軽視する企業、業界には、私は用はありません。
経営者の方がココを見ているとは思えませんが。
もし見てくださった方がいたら、一人の担当者の3年半の軌跡を通じて、少しでも担当者の思いを知る機会と。自分達の仕事の社会的意義を、単に金儲けでない社会的意義を。考え直す機会になってくれたら、と思います。
最後まで駄文の長文失礼しました。
これにてこの項、めでたしめでたし。
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