2007-07-06

私の頭の中のシナリオ


およそ思い出ほど、自分を勇気づけ励ましたり、傷つけ苛んだりするものはない。
人に何をされようと、思い出以上に影響を与えることなんか、出来ない。
だから人には、自傷行為を避けるべく、思い出の中の物語を都合よく書き換えていく、という習性がある。らしい。心理学の本か何かの、読みかじりのうろ覚えの受け売りだが。
一般論としてどうなのか、なんて、研究者でもなければ人生経験も浅い私にはわかりようがないが。
自分個人のことと考えれば、思いあたるフシがいくらでもある。
 
高三の冬。まったく受験勉強らしきものもせず、付き合っていた、浮気の前科がある彼女との関係を維持するだけで頭も心も精一杯だった私は、当然のように全ての大学に不合格だった。
不合格発表を一緒に見に行って、その翌日。唯一の生きる希望、というより唯一の心の逃げ道だった彼女にも、別れを告げられた。
あまりのことに錯乱状態に陥った私の脳は、その後のしばらくの間の記憶を一時的に抹消したらしい。
いつのまにか家路についていて、帰ったらようやく突き上げるような痛みが心の奥から湧いてきた。
その痛みを癒すために、なのか。私の脳は、「失われた時間」の記憶の部分に自分に都合の良いシナリオを作りだしてはめこんだらしい。
ほかに好きな人がいる、と告げた彼女に、私は「俺より幸せをくれる人なのか?」と問い。「うん」と答えた彼女に「じゃあ、幸せに。」とだけ言ってにっこり笑った。という記憶にしたらしいのだ。
どうにもクサイのは子供の考えなので勘弁してもらいたい。私だって自分で書いていて顔から火が出そうなのをこらえているのだ。
それでも、ぽっかりとあいた穴を埋められず困った私には、軽いストーカーの症状が出た。
家の前を通る同じような髪形の女性が全て彼女に見えたり。夜中に家を抜け出し、彼女の部屋を明かりが消えるまでぼんやり見上げていたり。
それにも耐えかねた私は、「あの日」から一ヶ月ぐらい後に。意を決し、「もう一度」じゃあ幸せに、を言うために。電話をかけた。
運よく一発で電話に出た彼女は、あからさまに鬱陶しげな口調だった。
それは、あまりにも私の頭の中のシナリオからはズレた反応だった。にこやかに別れを告げたなら、もう少し気分よく対応してくれてもよさそうなものだ。
こんなはずじゃない。こんなはずじゃ。うろたえた私の口をついて出る言葉は、どんどん「鬱陶しい元カレ」の本性をあらわにしていった。
「もう一度やり直せないかな。」
とうとう出てしまったその言葉を聞いて、彼女はふうと溜息をひとつつき。
耳を疑うような「真実」を、私に告げた。
 
シナリオにあったような言葉も、なかったわけではないらしい。
だが、完全に錯乱状態だった私は、最後にとんでもないことを言ってしまっていた。
「最後にもう一回だけ、」と、要求したらしいのだ。
らしい、という言い方は正しくないかもしれない。残念なことだが、今の私にはその言葉を言ったことも、その時の彼女のなんとも言えない悲しげな表情も。全て記憶が蘇っているのだから。
それでも、その時は。シナリオの蓋然性を崩され、再びパニックに近い状態に陥っていたその時は。
「嘘だ!そんなこと言ってない!」と叫ぶことしか、できなかった。
 
なんで急にそんな話をしたかって。
ある人に、このブログを手放しで褒められたのだ。
それで、また少し遡って読んでみた。
最初の頃から、このブログは思い出話が多い。私にとっては、一番書きやすいのだ。
原因から顛末まで、私の頭の中でシナリオが出来きっているから。
だが、思い出なんてものは、おおよそアテになるものではない。特に、人に言いたくなるような美しい思い出は。
私は、私の思い出に自信が無い。公開しているものではありながら、同じように私のブログにも自信が無いのだ。
あまり過大な期待を持って読まれぬよう、予防線を張るのに必死なのである。
人の話なんて、話半分に聞くものだ。
本人だって、半分以上話せているとは思えないのだから。

4 comments:

Anonymous said...

他人の思い出話には興味がもてません。
だが、自分の思い出話は書きたくなる‥

しかし、考えて見ると、ただいま現実を書いていても1秒後には過去の話になっているのですよね。

三治 said...

>まさやんさん

コメントありがとうございます。
あてつけのような記事を書いてしまい、気分を害されていないか内心不安な部分があるのですが。
なるべく正直に思ったことを書いていこうと思っているもので。ご寛慮下さい。

>他人の~

わかる気もしますが。全てがそう、というわけでもない気がします。
私にとっての「興味がある(ない)昔話」を分かつのは、その話が現在にどう繋がるのか、自分を形作る上でどんな意味・役割をなしたのかを話せているのかどうか、という部分です。
例えば、よくある「昔はワルでさぁ」だとか、「満州にいた頃はそりゃあもう」だとか、武勇伝の類がちっとも面白くないのは、その人の現状と昔が一向に繋がってこないから、ではないかと。
逆に、飲み屋のオネーチャンの「昔っからアタシはダメなのよ。こんなことが~~」なんて話に、人は(と言うより、男は)ついコロッと騙されてしまったりするものではないかな、と。

昔話だけでなく、現在の日常であっても、これこれこうでした、ウケただのムカついたの、だけでは私には面白くありません。
こうだからこう思った、の「こうだから」がないとな、と。
一応このブログでは、そこに気をつけて書いているつもりです。

Unknown said...

コメントのコメントありがとうございました。貴重なご意見大変参考になりました。
決して反論ではありませんが率直に僕が感じたことを述べさせていただきます。

>その話が現在にどう繋がるのか、自分を形作る上でどんな意味・役割をなしたのかを話せているかどうか~

ここの意味が僕にはよく分かりません。繋がっていないこともあるし、何の意味・役割もなしていないこともありましょう。因果関係や理屈に重要な意味があるとは思えませんが。

>例えば、よくある~

要は自慢話より駄目な自分をさらけ出したほうが受けると言うことでしょうか。そうだと思います。


>こうだからこう思った~

叩かれた猫は「ニャンと鳴いた」と貴方は思ったのですね。私は「ニャオ」と鳴いたと思いましたがね」‥‥それだけのこと。

こうだからこう思ったの独自性はエッセイ文の要諦だとは思いますが、強すぎると行動や考えの押し売りにも。淡々と事実の具体だけを述べて余韻を残した文章も私は好きです。ああ、そうですかとお聞きき流しください。

三治 said...

>fupph9さん
コメントありがとうございます。

>決して反論ではありませんが、
反論だったら、どうなんでしょう?そう思われて困る理由は何ですか?
決して反論でないなら、ご自身誤解を受けぬよう気をつけて書かれたのでは?
わざわざ但し書きをつけた意図は何ですか?

>ここの意味が〜
あなたはそう思うんですね。「私にとって」と書いて、私の思うことを書きました。

>要は〜
そういう行間読みが出来る文章でしたね。迂濶でした。自慢か自虐かはどうでもいいことです。反例を挙げれば、Appleの社長の成功話はなかなか面白かったです。

>・・・・それだけのこと。
そうですね。

>行動や考え方の押し売りにも
押し売られたのは誰ですか?あなたですか?
私は私、あなたはあなたと思える人は押し売られない気がしますが。
ご自身で書かれている前段と、不一致ですね。

>事実の具体だけを〜
それで面白く話せる人は、素晴らしく話が上手ですよね。でも話下手な人がやると「で?」となる。
私も力量が無いんで、「で?」を予め書くようにしてます。帰結がまとまってればある程度面白く読めるかな、と。
面白くない人もいるでしょうけど、力がないから仕方ないですね。

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