全ての球児に愛をこめて。
その瞬間。
野村は、ぼんやりと打球の行方を目で追った後、俯くでもなく、怒るでもなく。ただ、微笑みながら立ちすくんでいた。
信じられない。それしかなかったのだろう。
たった1球が流れを変え、全てをぐるりと引っ繰り返してしまう。
引っ繰り返された者が、手にしかけた勝利を逃したその本人が。ただただ呆然と立ち尽くすしかないほどに。
彼の目には、空に浮かんだ真っ白な雲は。どんな色に見えたのだろう。
ここまで鮮やかな逆転劇というのは、私は見たことがない。
8回表終了までで、広陵は12安打。2回から毎回得点圏に走者を置きながらなかなか点が入らなかったが、7回についに2点を追加し4-0。
投げてはエース野村が10奪三振。佐賀北を僅か1安打に抑えていたのだ。
県大会であればコールドになってもおかしくないぐらいの力の差があるんじゃないか。そんなことすら考えながら見ていた。
それでも、佐賀北は諦めなかった。誰も優勝するとは思わなかった、公立の進学校は諦めなかった。
3者凡退の山を築いても。無死満塁のピンチでも、確実にアウトを積み重ね。大量点は許さなかった。
そして。たった1本のラッキーなヒットから、針の穴を通すほどしかなかった筈の勝利への道をこじあけ。グランドスラム一発でとうとう真紅の大優勝旗を手にしてしまったのである。
こんな試合は見たことがない。単にジャイアントキリングなら、ままある。だが、試合を通じてここまで力の差が明らかにされていながら、引っ繰り返ってしまった試合というのは、見たことがない。
贔屓のチームが負けてしまっても、毎年必ず「見たことがない」ぐらい凄いものを見る。だから甲子園は面白いし、ファンを惹きつけ続ける。
なんで「見たことがない」んだろう。野球には逆転劇なんか、しょっちゅうある。ついこの間だって、阪神はヤクルトに7点差逆転をかましていた。
でもやっぱり、今日のような試合は見たことがないのだ。
なんでだろう。しばらくわからなかった。
ついさっき、ようやく気が付いた。大事なことを忘れていた。
毎年毎年、違う選手たちが、己の全てをかけて闘っている。
彼らは、他のどこにもいない。彼らしかいないのだ。
幼いころからの夢舞台。その場に立っているのは、俺だと。己の全てを剥き出しに、闘っているのである。
まだ人生の1/4も終わっていない彼らだが。彼らには最後の夏なのである。これからの夏とは違う、今しかない夏なのである。
プロ野球はおろか、メジャーもWBCも下らない、としか思わない私が、甲子園にだけ夢中になる理由。
見たことがないものを探し続け、毎年見つける理由。
それは、彼らの自己を燃やし尽くすような輝きにあったのだ。
熱い夏だった。
今年も、いい夏だった。
ところで、私これから甲子園に出たいんですが。どうすればいいですか?
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