思想と感情
あるおじいさん先生の講演を、文章としてまとめる仕事に取り掛かっている。
困ってしまう。あまりに、内容が断片的なのだ。
カケラを繋ぎ合わせ、ジグソーパズルを完成させなければ、先生の言いたいことが見えにくいのだが。
何せ原稿も無く、その場の思いつきで喋る先生だから、こっちのカケラとは繋がるがこっちとは繋がらないだとか、必要なカケラが見つからないだとか。たくさんある。
読む人も読む人だから、モザイク状のままでいいのかもしれないが。私の自尊心がそれを許さない。
思い出したのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺である。
人間には、こうあるべきという思想とは別に、密接な関係がありながらも独立したものとして、感情がある。
そして、好悪の感はあまりに場当たりで唐突で。とりとめがない。常に断片でしかないのだ。
その断片的な感情の根には思想がある、はず、と考え証明しようとしたのが哲学や宗教だが。
どんどんわけがわからないほうに向かっていく。
それはそうだろう。メシ食ってうまいまずいまで思想的に証明できるはずがない。
遺伝子を作ったのが自然現象である以上、人の脳で完結するなど有得ないのだ。
そして、坊主が憎いと感じたら、そうすべきでないと思っていても。
袈裟までも憎く感じてしまうのが人間というものだ。
そして、歳を重ねるごとに、人の思想は感情の側に引きずられるものらしい。
そうなるだろう。感じて想い、想い感じて生きてゆくのだ。
それは自然なことで、善悪を言うようなことではないと思う。
問題なのは、感情は常に断片的であるということだ。
引きずられ細切れになった思想を、元通り一つに繋げろというのは、人に頼むことじゃないと思うんだが。
まとめると、誰か代わってよーこのしごとー
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